2016年08月27日

孤独ハウス

病院の帰り道。
ラジオに芥川賞のコンビニの人が出てた。
作家さんのトークはいろいろおもしろいから、もっと聞きたかったけど、降りる用があったから途中まで。

病院は、ぜんぜん明るい話はナシ。
うふふ。←こわれてる。



ラジオで日本人が歌う英語歌詞の曲が流れてた。
洋楽はかなり聞き取れるようになって、巻き舌系の発音とか、まえは聞き取れなかった人とかもすらすら入ってくるようになったのに。
日本人が歌う英語ってなんであんなにぜんぜん聞き取れないんだろ。

ものすごいヘタクソなかんじで歌ってる人のほうが聞き取れる。
流暢っぽく舌をつかう音たてて(あの日本人におおい、くちゅくちゅした発音、すごい苦手)、れろれろれろー、って歌ってる人の英語は単語ひとつ聞き取れなかったりする。
でも、ちゃんと英語圏の人には聞き取れるんでしょ。

あ、だけど、佐藤オオキさんの英語はものすごい早口だけどちゃんと聞き取れる。
会話ができる英語力の人と、英語歌詞だけ歌える人のちがい?



さいきん、ラジオで『ゴーストバスターズ』の曲がよく流れる。
新バージョンのじゃなくて、旧バージョンの。



Youtubeだと音がつまんないけど(わたしのぱそこんのスピーカーのせい?)、ラジオで流れる音源はものすごいカッコイイ。

この映画と中国のオバケ映画(タイトルわすれた)は、親がものすごい嫌ってたから、この曲がどこからか流れるたびにお母さんが「これ聞くと頭痛がする」ってしかめっ面してた。

わたしがさいきんヘビロテで聞いてるのはこれ。


(なんで上のと貼りつけサイズがちがうー)

これでめちゃくちゃ烈しく踊るとすごいきもちいい。

True Colors - Zedd
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やーっとこのアルバム、買えた。
うれしい。



見なくちゃ、っておもってる映画。(レンタル)

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さいきんハマッてるもの。
炭酸+レモン。
ウィルキンソンのとかいろいろなのを買ってたんだけど、セブンのを買ったら、これがいちばんレモンがおいしかった。

これね。
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%82%AD%E9%85%B8%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%80%80%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%B3&biw=1508&bih=722&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiRg-qgleHOAhUBt5QKHWTCCWgQ_AUIBigB#tbm=isch&q=%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%80%80%E7%82%AD%E9%85%B8%E6%B0%B4%E3%80%80%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%B3
(さすがにセブン商品はアマゾンではヒットしなかった)

わたしはずーっとかんちがいしてた。
ミネラルウォーターのいろんな味のがあるけど、あれは糖分がかなりはいってる、っていう記事を読んで、こういう炭酸もおなじだとおもって敬遠してた。

でも、このまえウィルキンソンの炭酸コーラが、ただの炭酸にコーラの香料をくわえただけ、っていうのを知って。
ほかのレモンとかグレフルもそうなのー?ってちゃんと成分みたら、ただの香料入り炭酸水だった。

それ以来、水分補給として炭酸レモンばかり飲んでる。
コーラもおいしかったけど、レモンは何本飲んでも飽きない。

これ飲むと、もうコーラもいらない。
甘い炭酸ジュースなんて飲みたくなくなる。
ゴハン食べにいっても、ドリンクバーにただの炭酸がないとかなしい。

とくにカラダのため、っていうヘルシー志向なんて意識的にはないんだけど。
だけど、ことしは食事の好みがいろいろ変わってきてる。

いろいろゴハンをちゃんと作るのがたのしくなってからは、コンビニとかお弁当屋さんのお弁当とかお惣菜とか、食べようとおもわなくなった。
カラダにいいかわるいか、ってことじゃなくて。
あまりおいしいとかんじなくなってきた。

やっすいファミレスとか松屋のゴハンはおいしいとおもうのに、なんでコンビニとかスーパーとかお弁当屋さんのはこんなにダメになったんだろ。

じぶんで作るのは、市販のルーとかつかわずぜんぶ手作り、なんていう本格的じゃない。
カレーはフツーに固形ルーつかうし。
和風カレーは和風ダシで作る、ぐらいの作り分け、はするけど。

ゴハンは人のためじゃなくて、じぶんのために作るのがたのしい。

コンビニのお惣菜は新商品がはいるたびに見て、「これだったら作れるよねー」って、ラベルの原材料を見て作り方見当つけて、レシピ代わりにしてる。
さいきんはレシピなんていちいち見なくても、どこかで見た料理を、テキトーな味付けで作ってみる、ってことが出来るようになった。

じぶんのお味噌汁はおいしい、っておもう。(自画自賛)
あと、いろんな根菜の和風コンソメスープ。とろみつけるの。

ケッコンなんて絶対しないけど、もししなくちゃいけない社会になったら(ならない)、わたし、農家の人とケッコンしたい。
家族で畑でいろいろ働くの、たのしそう。

それでじぶんちで野菜カフェやるの。
本もいろいろ置いて。

なんて、テキトーなこと言ってるけど、やっぱりひとり暮らしして、じぶんのためだけにゴハン作る生活でいい。

家を少しずつもっときれいにして、それからあまりお金かけれないけど、少しずつじぶんのお気に入り空間の「カンペキ」を目指して。
日の射しこむ部屋と、北側の部屋と。
その日のきぶんで好きなほうでぬくぬく過ごせる家にして。

孤独な女のひっそりハウス、っていうのを作っていきたい。
どこかに「孤独」な空気が漂うようにして。

低い山の途中に窓に灯りがついた家が見える。
そういう道をときどき通る。
周りはなんにもなくて、ただ真っ暗で。
薄墨色の夜空と、もっと黒い山と森のシルエット。
その森の葉の合間から、電球色に四角く光る窓が見えて。
建物はわりときれいな一軒家。

あんなに木に取り囲まれたとこで、どんな人がどんな暮らしをしてるんだろ。
っていう想像をするのが、ものすごい好き。

わたしの家も、なんかぽつんと「社会」から切り離された雰囲気を漂わせて、窓の中の暮らしぶりがナゾ、だけどぜんぜん寂しそうで憧れない、みたいなオーラをゆらゆら漂わせるようなかんじになればいいのに。

近所のおじさんにときどき会う。
そのたびに、「どうですか」って声をかけられる。
こんにちは、とか、きょうは暑いね、っていう挨拶じゃなくて。

まえにヘンな男が玄関前をうろついてたとき、大家さんに相談して、それから近所の人たちもそういう不審者の情報を知るようになって。
そのときから、うちに変わりはないか、って意味で「どうですか」って聞いてくれる。

さいきんはなにもないです、って、わたしも挨拶の代わりに応える。
なにかあったらいつでも頼りにしてね、って言われる。
はい、ありがとうございます、ってわたしは応える。

それ以上のなんにも押し付けはないから、いつもこういう親切に素直に感謝してる。

道で会うと、少しはなにか会話をする。
そんなていどの繋がりが近所とあって、でも、ぜんぜんベタベタな繋がりはつくらないで、家に帰るとかんぜんに「ひとりきり」の静かな世界がある。

都内で人と会うたびに、この雑踏がわたしの日常ではないよろこびを感じる。
ときどきだから雑踏もわるくないけど、これがじぶんの日常の舞台だったら気が狂う。

出かけた日は、まえは食べるものをなにか買って帰ってたけど。
あまり好きでないとこに出かけたときほど、じぶんでちゃんとゴハン作って、ほっとしたきぶんで食事をしたくなる。

ひとりだから、お行儀わるく本読みながら食べちゃう。
ときどきはぱそこんのデスクで食事しちゃう。
そういうお行儀のわるいことをすると、だれもいないのに、お母さんに怒られる気がする。

わたしを怒るお母さんを思い出す。
それでときどき、泣く。

そういう静かでさみしいひとり暮らし、が好き。



(※このブログ中のアマゾンのリンクはわたしのアフィリエイトではありません)

posted by ぴの at 18:23| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ライバルはおれ

夏がもう終わる。
気温33度とかになっても、外の日向が暑いだけで日陰はすずしいし、家の中は扇風機だけでものすごいひんやりしてる。
ことしの夏はぜんぜんエアコンが欲しくならない夏だった。
これから一生、夏はこうだといいのに。

ほんとは夏にはいるギャラでやっすいエアコン買えそうだった。
NASAの脅しどおりにものすごい酷暑になったらカラダ壊さないように買おうかな、っておもってたけど、そんな必要がなくなったから、税金の支払いにまわして、分納分とことしの分完納した。

来年の夏にまたエアコンが必要になりそうになったとしても、そのときまでやっすい機種代ぐらいは貯めれるかなー、って楽観して夏との戦いに勝利宣言しちゃう。
冬とは仲よしだから戦わない。



an・an (アン・アン) 2013年 12/18号 [雑誌] -
an・an (アン・アン) 2013年 12/18号 [雑誌] -

部屋の整理してたらこれが出てきた。
いろんな人がいろんな本を紹介してるけど、この中にこのまえの芥川賞取ったコンビニの人がいたねー。

しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫) -
しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫) -

このタイトル、ステキ。
だけどあらすじ読むと、あんまり読みたい小説じゃないかんじ。

この作家とわたし、相性わるいのかもしれない。
単に思春期の話なんてキョーミがないせいかもしれないけど。
「思春期」はじぶんの人生から切り取ってなくしちゃっていい。
そんな時期になにもいい感情が持てない。

いま振り返っても、なんの力もない子どものまま、だけどなにもできないからそこにいるしかなかったじぶんを、とてもミジメだとおもう。
学校も家もわたしにはたのしい場所ではなくて、どこにも居場所がないかんじがして、必死で「家」に置いてもらおうと媚びた気持ちで生きてて。
わたしのお母さんは子どもの出来がわるいからって追い出すような鬼親じゃなかったのに。

思春期に恋なんてしてない。リアルでは。
ネットではステキな「年上」がいろいろいて、恋というより、なんかものすごい眩しいものを見るきぶんで、ステキな年上の人たちの言動を眺めてた。
リアルの異性は大嫌いだった。
とくに学校の男子なんてひとり残らず、わたしの人生から排除したい。
いまは必死で排除してる。
地元で会ってフレンドリーに話しかけられても、わたしは一言も発しないで走ってそこから逃げ去る。
クラス会に仲のいい友だちが行っても、わたしはなにも関心がない。
学校の先生にもだれにも会いたくない。
高校の担任はわたしの友だちもみんな嫌ってるけど。
どうしてって、保身ばかりで生徒を守ろうとしない「お給料もらいに学校に通ってる」だけの教師だったから。

わたしが通ってた底辺校は、いまはレベルがあがって、地元ではわりとマシな生徒が通ってる。
だから、その高校出身だというと、いま高校生世代の子どもを持つ大人の人からは「いいとこ行ってたね」って言われる。
どれだけサイテーな世界だったか、いまの高校生の親は知らない。
数年でそんなに世界が変わるなんてねー、って高校時代の友だちとフシギがってる。

話をananに戻すと。
この号、巻頭は春樹おじさんのインタビューなんだけど。

いろいろananを皮肉ったり、ananの読者層を裏切るような回答してて笑った。
媒体に媚びないとこが恰好いいのかもしれないけど、こういう余裕が持てるのは「村上春樹」だからだよねー、っておもう。
ムラカミハルキブランドの力。

夢で会いましょう (講談社文庫) -
夢で会いましょう (講談社文庫) -

こんな本を買ってたのも発掘した。
春樹おじさんと糸井重里さんがそれぞれショートストーリーを書いてるの。
すごいおもしろい。

その各ストーリーのいちばん最後にどっちが書いたかイニシャルがついてるんだけど。
春樹おじさんっぽい文体だよねー、っておもうのが、わりと糸井さんのもので、このふたり、なんか文章の匂いが似てるのかも。

かなりまえに、ブログでだれかと交替で往復書簡みたいなことしたい、って言って、それでものすごいステキな文章を書くインディーズ作家さんとやることになった。。
いろいろあって、あの企画はすぐにやめちゃったけど、ああいうの、なんかまたやりたくなる。
いろいろこじれちゃった関係性は別にして、あの人以上にあんなにステキな文章を書ける書き手はわたしは知らない。プロを含めて。

人といっしょになにかをやるのがヘタだから、どうせまたうまくいかないじぶんの性格わかってるのに、人と文章で遊びたくなる。

書くお仕事では、ひとつの媒体で別名義で書き分けてる原稿がある。
そうしろと言われたから。

ある媒体で別名義で書いてる作家さんは、文体ですぐわかっちゃう。
意識して変えてるようにも思えないぐらい、特徴をどっちにもそのままだしてるから。

わたしも別名義で書いてても、とくに意識して文体変えたりはしてない。
文体を変えるのって、かなりむずかしい。
だから、いろいろブログに飽きて、ぜんぜんちがうキャラクターでブログつくってみようかな、っておもっても、けっきょくいつもの文体がじぶんにとって自然体すぎて、ムリがつづかなくなる。

おもしろいのは。
ひとつの媒体で別名義で書いてて、片方の名義のほうだけ他社からお仕事の依頼もらうの。
どっちかっていうと、じぶんはこっちの名義がメインなんだけど、っていう方はぜんぜん依頼がこないの。

メインで力いれて書いてるつもりの文章は、他人にはあまりウケないみたい。
メインじゃないほうの名義ばかりがネット検索でヒットする。
わたしのメイン人格は廃業しそう。
ライバルはもうひとつの人格。

アクセづくりのお仕事でも、別名義活動をはじめた。
こっちはアクセじゃなくて、お人形服づくり。
服なんてつくったことないから、さいしょにフツーの人間の服づくりの本をいろいろ見て。
それからいろいろじぶんでたーくさんつくってみて、いろいろ改良して、じぶんのオリジナル型紙を増やしてきてる。

ネットで販売できるほど多産はできないから、一点ものとして、じぶんの作品を依託販売してくれてるショップに出してるだけだけど。

さいしょはウェディングドレスをつくってみたくて、ドレスの洋裁本やドレスのカタログばかり見て勉強した。
それから和装にもキョーミもって、十二単をつくったりして。

それから世界の民族衣装にもキョーミもって、資料をいろいろ集めてるとこ。

デザインにも著作権(?)があるから、映画の登場人物たちの服は販売はできないけど、じぶんでいろいろ真似してじぶんの練習用にいろいろつくってる。
販売してるのはあくまでもオリジナルデザインの服だけね。

ちいさい服を縫うのは精神的にもいいみたい。
ちいさい型紙はぜんぶフツーの机の上でつくれちゃう。
お裁縫道具として、ぷくぷく綿入りの布が貼ってある表紙のノートみたいな板がある。
開くと片方はカッティングマットになってて、もう片方には紙やすりが貼ってあって。

カッティングマットのほうでちいさい型紙をカッターで切り取る。
それを紙やすり板のほうで布にあてて、細くとがらせたチャコペンで線ひいて、その机の上でハサミでちょきちょき裁断。
机にはコルクボードをたてかけてて、切ったちいさいパーツの布はなくならないように待ち針でとめてぶらさげておく。
ほつれ止めを縫ったときも、乾かすのにボードに刺してぶらさげておく。

いろんな細かい装飾品もあるから、なくならないようおおきなトレイの上でいろいろ作業する。
片づけるときはそのトレイを、お裁縫用に用意した棚に置くだけ。

ちいさいフリルをつくったり、ちいさいビーズを一粒ずつ縫いつけてったり。
ドレスはどれも、どこかにスワロフスキーをつかう。
それを一粒ずつ選んで買うのもたのしい。
いちばん細い編み棒で、ちいさいセーターやカーディガンやストールを編むのもたのしい。

つくったちっちゃい服は、乾燥剤を入れたタッパーで保存する。
一着(アクセとか靴とかバッグもつくって「セット」にするの)分ずつタッパーひとつ。
だから、積み重ねれるシリーズのタッパーを大量に買った。(100円ショップ)
売るときはシンプルなボール箱に、セット服をちゃんと見栄えいいようにはりつけて、乾燥剤入れて、透明なセロハンを貼って、蓋を開けて飾ってもらう。

こういうひとつひとつの作業にものすごい癒される。




あ、もうこんな時間。
バイトに行くでー。
じゃあの。


posted by ぴの at 04:11| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

FBはすばらしい人類の知恵(追記あり)

台風9号が千葉のほうに上陸したらしくて、わたしんちのほうも強風と真横に飛んでる大雨。
窓はぜんぶ閉めて、扇風機だけ廻して、でもそれでちゃんとすずしくて、窓ガラスにぱつぱつあたる雨のはじける音を聞きながら、こんな午後はわたしは好き、なんて呑気なことをおもう。
どんな嵐も直接の被害をじぶんが受けなければ、身勝手な呑気に浸りきれる。

このまえの騒いだわりにはぜんぜん大したことなかった台風7号がすぎたあとは、裏の道にたくさんの青いどんぐりが落ちてた。
そんなにすごい風だっけ?っておどろいたけど、一緒に落ちた茶色のどんぐりだけが何粒か残されて、青いどんぐりはだいたい二日ぐらいでぜんぶ消えた。
たぶん、鳥とか虫とかのゴハンになったんだとおもう。

「親方!空から餌が!」
女の子が降ってくるよりうれしいよね。

きのうは晴れてたのに天気予報で湿度100%って言ってた。
湿度100%ってどういう状態なのー?
水の中じゃないのー?
ってフシギ。

調べたら人体の60%は水分でできてるんだって。
人は水がないと生きれない。
それなのに、湿度が高いと体調がおかしくなるのってなぜなんだろ。
からっと乾いてる空気を「きもちいい」とおもう。

プールに行くとわたしは床すれすれのとこを潜って泳ぐのが好き。
公営プールは潜水禁止だから、潜水させてくれるとこで泳ぐ。
まえに人に驚かれたほどわたしはずっと息をとめていれる。
いきなり前触れなく潜らされても、わりと長く息をしないでいれる。

水の中で息をとめてて「苦しくなる」っていう感覚がわたしにはわからない。
そういうふうにはならないから。
ぜんぜん苦しくないからいつまでもとめていれる。
息をとめることをやめるのは、脳の中の変化をかんじるから。
あ、意識失うかも、っていうかんじになってはじめて、それが「危険」だと認知して、わたしは息ができる状態にする。

潜水をいつまでもつづけながら、そのまま死んでしまえる特異体質なのかも。
ためしてみたい気もする。

咳き込んで息ができなくなったときはちゃんと苦しむのにね。
水の中だと、その水にじぶんのすべてが溶けだして、なんかじぶんと水の区別がつかなくなって、ものすごい居心地よさをかんじる。



お祖母ちゃんちに、お母さんの子どものころからのいろいろの形見分けに行った。
お祖母ちゃんは家族ぜんいんからの手紙とかもぜんぶとっといてた。
それ読んで、叔母さんが「これは自殺したくなる呪いの箱(箱にはいってたの)!この箱ごと燃やしたいー!」って絶叫してた。

人には開けちゃいけない箱がいろいろある。
パンドラのとか、浦島さんがもらってきたのとか。
それと、過去を閉じ込めた箱。

そういうのを見て、わたしはリアルにこれ以上なにかを書き残しておくのはやめよう、っておもった。
人に手紙を書くときは、「全体公開」のつもりで。
ネットでも、呆れるぐらい「私信」を平然と公開してしまう人たちがいる。
それをみんなから批難されるわけでもないのを見ていると、「私信の公開」はそれほど禁忌でも罪でもないらしい。

秘密が共有されない世界で秘密を持つ、というのは、ほんとに秘めやかな趣味、なんだとおもった。

フェイスブックは「死後に明らかにされる私信の秘密」の被害を防ぐ最適な人類の知恵なのかも、ってこともおもった。
家族同士の近況連絡にもフェイスブックをつかういまは、そこにあげたものはどれも「人の目」を意識してる。
だからなにも「ほんとのホンネ」や「ほんとの秘密」は書けないかもしれないけど。
その代わり、死後に「あらたに暴かれる私信」、とはならない。

人はSNSのおかげで私的な手紙を残さなくなる。
ブログのおかげでリアルのノートに日記を書くこともなくなる。
後世に残るのは「いいね」を欲しがった建前の文章ばかり。

お祖父ちゃんがお祖母ちゃんに「夫婦喧嘩のあとに送った手紙」は、ものすごい名文だった。
こんな美しい手紙を書ける人が、なんで小説はあんなに退屈なのー、ってびっくりしたぐらい。(お祖父ちゃんに失礼)

お祖父ちゃんはロマンティックな恋愛小説を書けばよかったのに。
ぜったいものすごい文豪恋愛作家として名を残せたとおもう。

でも、喧嘩のあとの手紙、が何通もあって笑った。
そんなに喧嘩したの?って聞いたら、もうわすれちゃった、って言われたけど。
喧嘩の数、少なくとも手紙の数だけは証明されてる。

お母さんが10代から弟が生まれるまでお祖母ちゃんに送った手紙には、わたしがぜんぜん知らないお母さん、がいた。
その頃のお母さんがじぶんのキョーミあることをいろいろブログなんかに書いてたら、ものすごいおもしろいブログができてたとおもう。
小学生のころは「少女マンガ批判」を書いてた。
中学生のころはいろんな映画(ハリウッドだけじゃなくてロシアとか中東とかヨーロッパの映画いろいろ)の監督評が書かれてた。
高校生のころは里神楽や能にはまって関東圏内いろいろ見に行ってて、神楽や能の「拍子」をバレエに取り入れるとどうおもしろいか、ってことをものすごい熱く手紙に書いてた。
大学のころはドイツ語とロシア語にはまってたみたいで、ドイツ語やロシア語の手紙になってた。いちおうちゃんと和訳つき。
サンスクリット語でもいろいろ書いてた。

わたしの10代とぜんぜんちがう「濃い」10代送っててびっくりする。

お祖母ちゃんはお祖父ちゃん以外にも子どもたちの日記をいろいろ「発見」してて、それを残してた。
叔母さんはそれでも絶叫してた。
でも、叔母さんははじめてコンピュータゲームを自作するようになったころのコード(?)をぜんぶ書いたノートを発見して喜んでた。
わたしにはぜんぜんわかんない文字列がものすごいずらずら書かれてて、途中途中で赤字で、それがどんな場面のどの効果かってメモ書きが添えられてて。

叔父さんの手紙は国内や海外のいろんな旅先からの手紙がだいたい。
いま読めば、ちゃんとゲイだとカミングアウトしてるような内容もあって、「親に察して」欲しかったのかなー、っておもった。

お祖母ちゃんの「呪いの過去箱」に他人のものもはいってて。
「これだれー?」って聞いたら、お祖母ちゃんももうわすれてて。
叔母さんがその人をネットでググッてみたら、その人のWikipediaが出てきて、関連のWikipediaの中にわたしの身内(だれかは書かないでおく)が出てきてびっくりした。

叔母さんは「そうそう、いつのまにこんなの出来てたんだよねー」って言ってて、そこを開いたら「あ、加筆されてる」って叔母さんもびっくりしてた。
このまえ発見したときよりものすごい詳細になったんだって。

そこに書かれてた内容はものすごい近しいニンゲンにしかわかんない情報もあったから、みんなでびっくりした。
これ、だれが書いてるのー、って。

ほんと、なんでこんなことまで書けるの?っていうぐらい、とくに「世間」には知られてないことが書かれてたの。
戸籍の記載の内容もあったし。
戸籍が見れる人なのー?
でも一ヵ所だけ間違いがあったから、ここ修正したいー、っておもった。
修正していいのかなー。

でもそのWikipedia、わたしのその身内をものすごい尊敬してる人が書いてる、っていうのがわかる。
これを書いた人と直接会ってみたい。

ネットとリアルの融合体験はポケモンGOだけじゃない。
ポケGOとは反対に、ネットの海原に突然「じぶんのリアル」が出現する。



ポケGOの世界ではわたしの家の中は海。
駐車場ではプリンが獲れたけど。
わたしのお母さんのお墓にはヒトデマンがいて弟がゲットしてた。

ポケモンGOを規制したがってる人たちのこと、「バカじゃないの?」っておもってた。
じぶんがキョーミを持てないことを他人がたのしんでるってだけで苛立つ人たちがいる。
ほんとに「歩きスマホ」や「ゲーム脳」を危惧するなら、ゲーム以外で歩きながらスマホしてる社会人やパチンコやめれない社会人のことから憂いでいればいいのに。

でも、オリンピックになんにもキョーミないわたしは、オリンピックの話しかしない人になんにもおもしろみをかんじなくてしらけてる。
これもおなじだね。

じぶんがつまんないとおもうことをだれかが夢中になってやってると、その人のことをつまんなくおもっちゃう。
オリンピック規制しろ、と社会に訴えたりはしないけど。
そのかわり、じぶんの中でオリンピックをシャットアウトする。



運転してたらラジオからこれが流れてきた。



おあいこじゃないよ、僕はキミが「おあいこだよ」って言ってくれるのを知ってたから、僕はずるい。

っていうとこまで聞いて、うんうん、っておもってたけど。

いきなりそこから、「キミ」にも文句つけだしたから「は?」ってなった。

歌詞はこれ。
http://j-lyric.net/artist/a002630/l03714a.html

この歌の男の人、ほんとにずるい。
じぶんのことをさいしょに「ずるい」って認めて、それから相手のずるさを責めて。

それからまた、じぶんのずるさを持ってきて、それからそのあとで、つまりはおたがいさま(おあいこ)、にしてる。

うまい論法だよねー。
じぶんの罪も認めることで、相手を責めたいけど、じぶんが加害者にはなりきらないようにしてる。

こういう男、きらい。
けっきょく、じぶんが被害者になりたがってて、めんどくさいから。

わたしの読解力だと、いい曲もこんな解釈になる。

抱きしめるふりして抱いてもらいたがってた男を黙って抱いてあげても「おあいこ」なんてじぶんのずるさを薄めようとするほんとにずるい男。

そういう男だとわかっていても、黙って抱いてあげた女の人にじぶんがあたえてるかなしみには思い至らない。

その女の人も彼を「あなたもずるいね」って言って、はじめて「おあいこ」になるんだよ。
相手は彼のずるさに黙っているんだから、ぜんぜんおあいこじゃない。

それがわからない男の人に被害者面されるとね。
傷つくんだよ。
それがじぶんの好きな男だったら、なおさら。
そんなこともわかんないの、バカ。←私怨になってる


(追記)
あ、PVをちゃんと最後の最後まで見たら、女の人が「おあいこ」って言ってる。
ラジオで流れてた曲にはなかったよー。

ずるい。

こういう手法でじぶんのずるさを許されようとする男、やっぱりきらい。







posted by ぴの at 18:38| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする