2016年09月30日

ホラーとジャンク

9月はきょうでおしまい。


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まいぴくちゃー見てたら、こんな絵が出てきたけど、これはどこに貼ったかおぼえてない。
いろいろブログをうろうろしすぎて、じぶんの過去ログの所在の記憶がぜんぜんなくなってるからねー。

ツイッターもツイート保存してる場所にじぶんではいれなくなっちゃったので、ツイートの記憶もないから、いつも新鮮なきもちで、ころころ言うことが変わっても気にせず気侭にツイートしてる。

おれの発言に一貫性とか整合性とかないよ!←ひらきなおり(でも弱気っぽく薄い字で)


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こんな絵を描いてから、もう一年も経った、ってことだよねー。
どひゃー。

これ描いたころから2〜3日しか経ってないかんじがするから、あとの363日ぐらい「わたしの一年」、わたしのあたまの中ではなかったことになってる。



夏のリベンジの蒸し暑さに参って、夏ギライが悪化する。
冬のリベンジ的な春先の寒の戻りはうれしがるクセに。

でも、暑くなった途端、いっせいにアブラゼミとミンミンゼミとヒグラシが鳴きだした。
ツクツクボウシやニイニイゼミやクマゼミは鳴かない。
体感で季節をかんじる派と、暦で季節を追う派、に見事分かれてる。(たぶんちがう)



アニちゃんから、「これやばいー。買わないとやばいー」って言われたから、わたしも買った。


楳図かずお 大解剖 (サンエイムック) -
楳図かずお 大解剖 (サンエイムック) -

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こわいよー。

なんて、まだペラペラしか見てないけど。
シマシマおじさんはたのしそうなおじさんなのに、絵がすっごいこわいよねー。

わたしより年下の学生のバイト男子が、楳図かずおさんのすっごいファンで、ものすごい熱くマンガ語りしてくれたことあった。
親がコミック持ってて、それ読んで、まことちゃんのファンになったんだって。
まことちゃんって、グワシの手のマンガね。(親世代の人には有名?)

わたしの叔母さんちもまことちゃんグッズがいろいろすごい。
いろんなものに、とぐろウンコがついてるの。
あと、カビるんるんとまっくろくろすけのミックスみたいなまるいキャラ。(なまえ知らない)

このムックに、楳図かずおさんちのシマシマハウスの中の写真もあった。
ものすっごーい「楳図かずおワールド」炸裂なインテリアでびっくり。
(^o^)

ムックのさいごのほうに『鎌』っていうホラー短篇マンガが載ってて。
これ、すごーーーーーーーーいこわーーーーーーーーーーーい。

楳図かずおさんのマンガ、いろいろ読んでみたくなる。
『14歳』←これ読んでみたい!



これも買った。

LDK (エル・ディー・ケー) 2016年 11月号 [雑誌] -
LDK (エル・ディー・ケー) 2016年 11月号 [雑誌] -

この雑誌、髪切りにいくお店とかでときどき読んでるけど、おもしろいよねー。
この号を買ったのは、掃除と臭い対策のいろんな記事がおもしろかったから。

このお掃除特集の写真はいろいろすごかった。
わたしは「片づけれないオンナ」だけど、さすがにここまでこういうかんじの汚し方はしてない。

汚部屋サイトなんかに出てくるような汚れ方してる写真がいろいろあって、これって実際にそういう家があったのか、撮影のためにわざわざここまで汚したのか、どっちなんだろ。

でも、汚れやすいいろんな場所の効果的な掃除方法はいろいろ参考になるとおもった。
具体的にどんな洗剤をつかえばいいか、メーカー関係なく実際の商品が出てるのがこの雑誌のいいとこだよね。

「におい」の対策も、いろいろ参考になる。
「人のカラダ」や「人の家」って、ぜったい「無臭」ってないよね。
悪臭じゃなくても、なんらかのにおいはかんじる。
でも、じぶんのにおいってわかんない。
家に帰ってきたとき、ポプリのいいにおいとかはかんじることあっても、悪臭、っていうのはわからなくて。
じぶんの鼻で慣れちゃってるだけかもしれない「イヤなにおい」が「ある可能性」もかんがえるから、ものすごい不潔ぐらしをしてなくても、玄関先とかクローゼットとか、そういうとこのにおい対策はしておきたい、っておもう。

排水口には氷、っていうのも「へええええええ」って、はじめて知った。
きれいに見える公衆トイレがものすごいにおったりしてる理由も、これでわかった。

家事って「科学」だよね。

収納とかレシピとか、そういう記事もおもしろい。
さいきん「家事」にいろいろキョーミ出てきて、家事やるのをたのしめるようになったから、こういう雑誌が好きになってる。
とくにこの雑誌は、「主婦向け」みたいに既婚女性をターゲットにしてるわけではないから、ひとりぐらしの人でもフツーにたのしめる。

(こういうふうにわたしが書くものは、なーんにもステマ要素はないです。単純に、じぶんのキョーミと感想をわーわー書きたいだけ。だから、わたしが「これいいよー」って言っても、ほかの人にもその良さが通用するかもわかんないので、情報記事的じゃなくて、ただの読み物として読んでね)



バイトでどんな汚いトイレもぴかぴかに掃除できるスキルをつけてから、どんなトイレの掃除も「たのしく」なった。
きれいにしようとすれば、かならずきれいになるから。

公衆トイレの掃除で「きれいにしたよー」って見せるコツは。
金属ぶぶんを曇りなくぴっかぴかにすること。
レバーや蛇口や鏡やペーパーホルダー。

家でも洗面所とかお風呂場とか、水滴のあとがすぐつく蛇口のとこをいつもぴかぴかにしておくだけで、なんか清潔感が高まる。
ティッシュに除菌アルコールスプレーをシュッシュッして、さっと一拭きするだけでぴかぴかになるからカンタン。

ケータイも寝るまえにアルコールで一拭きすると、指紋もぴかぴか。



自炊してると、どんどん薄味に舌が慣れてって、外の味つけがどんどん苦手になる。
これって健康的かもしれないけど、ジャンクな食べ物をたのしめない、っていうのは、こころの健康的にどうかとおもうよねー。

ときどき、「やっちゃいけない」ことを「やっちゃう」ことで、張りつめた精神を緩める効果があるとおもう。
その「やっちゃいけない」ことが、反社会的とか違法なことだといろいろタイヘンなことになるので、他害性のない範囲がベスト。

その代表格のひとつが「ジャンクフードを食べる」ことだとおもう。

じぶんでものすごいおいしい(じぶんの味覚に限る)唐揚げを作れるようになって、外で食べる唐揚げが、そんなにおいしくかんじなくなった。
外のは衣で容量を大きく見せるせいなのか、肉の部位のせいなのか、油をたっぷり吸いこみすぎてるんだよね。
それで、お肉の内部まで味がしみてて濃くて。

じぶんだと、酒と醤油を一対一にして香味的ななにかを加えて(柚子胡椒とかショウガとかバジルとかミョウガとか好きなもの)、それに10分ぐらい「軽く」つけこんで(長すぎるとしょっぱくなるよー)、片栗粉と小麦粉を半々ミックスさせた衣をうっすーくまぶして、低温で火がだいたい通るまで揚げてから、高温で二度揚げしてカラッと仕上げ。

こんなテキトーな唐揚げが、いちばん好き。(自画自賛な舌)

でも、ときどきはきぶんで、コンビニとかで揚げ物いろいろ食べたくなる。
それで買うんだけど、おいしいとおもうのはさいしょの1口か2口で、すぐに味の濃さとか脂っこさが苦手なかんじになってく。

外食したとき、サラダを頼んでも、そのドレッシングの味が濃すぎるー、っておもったり。

そんなに特別、健康的な食事、って厳格に成分値を計算しながら作ろうとかぜんぜんこころがけてないのに。
なんかじぶんで作っていると、どんどん薄味になるのはなぜー。

高度な味つけがめんどくさいだけ?(^_^)

飲めるようになった炭酸水も、レモンとかコーラとか香料入りのがダメになって、いまはほんとにただの炭酸水だけ「おいしい」ってかんじる舌になった。
そのせいで、ときどきは無性に飲みたくなってたコーラとかジンジャーエールが、甘すぎて飲めなくなった。
つまんないー。

ときどき気まぐれにカラダにジャンクなものを取り入れる!

これが精神を元気にするコツかもねー、っておもうようになった。

ジャンク欲、だいじ。


posted by ぴの at 18:41| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

みんなそろってしあわせになりませう

セルフレジははじめてつかった、ってツイッターで書いたけど、ほんとはレンタルDVDのショップでとっくにつかってた。
買い物でははじめて、っていう意味だった。

この日本がこれからどうよくなるか、なんてことは、いまのわたしはなんにもキョーミない。
でも、じぶんの手を伸ばした周囲の「わたし社会」には、いろいろおもったりする。

いまのバイトのお店にきてから、店員にわざわざ絡んでくるお客、というのを体験してる。
地域柄というより、みんなストレスがたまりまくってる世の中になってるのかなー、ともおもうけど。

ストレス発散のためみたいにみえる絡み方をしてくるんだよね。
わたしは年齢確認ボタンの協力をおねがいしただけで暴れられて、殴られそうになったし。
その人、わたしがボタン押すおねがいするのを待ち構えてるように目をキラキラさせて、わたしが口にした途端、待ってましたとばかりにすらすらと罵声放って暴れ出したからねー。
レジをバシバシ叩いて、そういう人ほんとにいるんだー、って、でも(導入されてからものすごい経ってるのに)いまごろになって?、とか、わたし、可笑しくなってた。(その人にごめんなさい、っておもうけど)

わたしもこの仕事にいろいろ純真がスレてきたから、そういうキレるお客対応のテンプレを発動させてテンプレっぽく無感情な笑顔でマニュアルセリフを返したら(警察の指導なのでご協力おねがいしますー、とか)、タバコをこっちの顔面に投げつけて「この店で買ってやらねーよ。こんなクソったれな店、二度と来るかっ」ってわたしを掴もうとしながら(さっと掴まれない距離に下がったおれ)怒鳴ってきたから、
「はい(^_^)ありがとうございましたー(^_^)またのお越しをお待ちしておりますー(^_^)」ってすごいフレンドリーなマニュアル挨拶してお見送りした。

おれも黒くなったもんだ、って、背中のおじさんがエアタバコふかしてたけど。

仕事がいろいろダメなバイトが、ものすごいコトバの暴力をそのお客さんが来るたびに浴びせられるようになったりもした。

お店側の接客でお客さんを不快にさせた点は、わたしが現場にいればいっしょになってお詫びする。
でも、あまりに一方的な暴力になってくると、わたしはやられてる店員を庇うかんがえになる。

さりげなく裏で仕事させてレジから隠したり。
絡まれちゃったときは、わたしもそこにいて「ふたり」で罵倒されるようにして、ひとりだけがやられないようにしたり。
なだめれるだけなだめようと、わたしはわたしでお客さんにいろいろ話したり。
絡むお客っていうのは、絡む相手だけに罵倒して、その横にいるわたしには紳士的だったりするんだけど。

これ以上は警備会社の人を呼ぶ、っていう意味のコトバを出さなくちゃいけない場面もあった。

店員に絡むお客は、ちゃんと絡む店員を選んでる。
気の弱そうな店員、ぜったい言い返してこない店員。
そこまでこのお店に腹がたつなら経営者に怒鳴りこめばいいのに、そういう「強い立場」には怒りを向けない。
それがわかるから、わたしは腹がたつ。

わたしが腹をたててるのは、ターゲットのバイトに絡むことをわざわざ目的にして来店するようになった罵倒おじさん客のことね。
経営者がいない時間帯にしか来ないの。

きょう、じぶんがセルフレジで日用品をいろいろ買う体験をして。
うちのお店もふたつあるレジの片方はセルフにしようよー、っておもった。

気にくわない店員がレジにいる、とおもったら、セルフのほうにどうぞー。
それで、みーんな、しあわせになる。

接客がダメダメなバイトも、接客以外の仕事をがんばればいい。
店員の態度にいろいろおもうお客は、店員のいないレジでお買い物すればいい。

仕事がダメダメなままのバイトを、人手不足だからクビにはできない事情をかかえるようになっていく、これからのこういう業界。
そんなダメダメな店員のいるお店で買い物するしかないお客さんも気の毒だとおもう。

でも「人手不足」って問題は、きれいな接客をやれない現実に、現場の従業員もお客もガマンするしかない、ってことになっていくんだとおもう。

セルフレジを導入して、みーんなでしあわせになろう。

そんなこと、おもったのでした、きょう。
セルフレジ、ほんと、気楽だったもん。
一円玉がなかなかお財布の底から取りだせなくて、でも、目の前で「まだー?」って顔してる店員に焦る必要もなくて。
ボックスティッシュと柔軟剤買うだけで、いちいち「人と人の感情がもつれない」買い物、サイコー。


レジの人とおしゃべりしたい人は有人レジへどうぞ。
ってことで、うちのお店も片レジはセルフ化して、店内のみんなで平和なスマイル(無料)シェア♪



そんじゃーの。


posted by ぴの at 17:32| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

喪失

宇野さんのハングアウト最終回。
ラストまで聞いて、あーあ終わっちゃった、って、じぶんのなにか小さくはないものが終わったきぶん。

「出会い」より「別れ」のほうに意味がある、っていう話が出てた。

「別れ」は、たしかにじぶんを成長させる。
それは「じぶんひとり」で乗り越えるもの、だから?

きれいな別れ方、というのはなかなかむずかしい。
出会いのときに饒舌に美辞麗句を並べたてる人ほど、別れのときはコトバで「関係」を汚して、じぶんが捨てるものの価値を根こそぎなくそうとする。
そうしないとじぶんが捨てるものを後で惜しむのを怖れているみたいに。

けんかしようよ 
価値観をぶつけ合って
もっと大きく世界を目指そう

///『星のかがやきよ』//歌:ZARD 作詞:坂井泉水 作曲:大野愛果


コナンのオープニングの歌。
喧嘩をする価値があるのは、これからもつづく関係の相手。

じぶんの価値観を「ぶつけ合う」というのは、相手の価値観を壊すものとはちがう。

じぶんから去った人が戻ってきた、っていう体験をしたことある。
なぜのこのこ戻ってこれるんだろう、って、わたしはとてもフシギにおもう。

じぶんは「やり直せる」つもりなのか、「またはじめれる」とおもうのか、わかんないけど。
こっちは、その人との「別れ」を乗り越えて、もう別れたときよりも「先」に進んでる。

のこのこ戻ってきた人から、その成長を讃えるコトバをもらったこともある。
それは「あなた」には別に認めてもらいたくないよねー、ってわたしはおもう。

「あなた」がいなくなったじぶんの世界をじぶんで再構築したのだから。
それは「わたしの成長」にもなるのかもしれないけど、再構築したわたしの世界に「あなた」はもう要らない。
「あなた」なしでもいい世界を、わたしは苦しんで再構築したのだから。

なんておもうわたしは、ニンゲンが小さいのかな。
再び、じぶんの世界からなくなったものを受け容れることができるのが、真の成長、なのかな。

わたしから去る人を、わたしは追いかけはしない。
もし戻ってきたとしても、来るものをいちいち拒むのもめんどくさい。
拒むことで、まためんどくさい反応を返されて、それに傷つくことがイヤだから。

だけど、いまの「わたし」はあなたが知ってる過去のわたしとはちがう。
過去のわたしがどんなにあなたを好きだったとしても、いまのわたしがおなじ感情を持つわけじゃない。
過去のわたしが好きだったあなたは、その「過去」にいたあなた。

過去にじぶんが好きだった感情を、いまのじぶんが否定しようとはおもわないけど。
過去のじぶんの感情を、じぶんがいま必要とすることはない。

(この「あなた」はわたしのネット上のいろいろを見るはずもない、リアル限定のニンゲン関係の中の人のこと。恋愛の話に限らず)

じぶんが必要としてたものをなくすたびに、それを必要としないでも済むじぶんを構築させようともがく。
そういうことでしか、傷つくことからじぶんを守れない。

「ずっとわすれません」
そんなコトバを、じぶんの世界からなくなるものに吐けない。

わすれようとしても、ずっとずっとじぶんの中に留まるものがある。
そういうものだとしても、じぶんの世界から逃げていくものに、それをいちいち伝える意味はない。

思い出の中に永遠の存在を留めようとはおもわない。
「消失」するものに「喪失感」をかんじることで、じぶんの世界に「存在してたもの」の価値づける。
喪失感がつよいほど、それはじぶんにとってだいじな価値があったもの。

それをなくしていく体験は、じぶんを着実に「先」に進ませる。
そうやってじぶんの命を消化していくのが、人生。

いつかはじぶんの命すら、じぶんの肉体からなくなる。
じぶんの命がこの世から消失するときは、なにものにとってもじぶんは限りなく無価値でありたい。



なーんて。

こんなこと書いてもいつかこんなかんがえがころっと変わるかもしれないからね。
いぜんのかんがえがどうだったのかもわすれてる。

「いま」思いついたことをただ無責任に書いていくテキトーなブログは、気楽。
人に向かっていちいち話せば、「このあいだと言ってることちがうじゃんー」って突っ込まれたりするからねー。
ひとり語りが好きなだけできるブログって、なんでも話せる親友よりじぶんにベンリでやさしい存在。




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posted by ぴの at 02:57| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする