2017年05月06日

怖いものを怖く書く才能

「変わりゆく日々」なんてタイトルつけたきのうの日記。
読み返したら、ぜんぜんいつもとおなじようなことしか書いてなくて、ひとりで笑った。

ブログに書くことは、いつも似たような話ばかりになってる。
だけど、実際はいろんなことがちゃんと変化したり進化したりして、似たような日々の繰り返しの中でも、変わってしまうものはたくさんある。

ゆうべは由比ヶ浜で夜光虫が見れて、ツイッターではトレンドに出るほど話題になってた。
はじめて「夜光虫」っていうものを知ったけど(コトバだけは知ってたんだけど、ホタルみたいに陸上の光る虫かとおもってた)、そういえばお父さんから聞いたことあるのをおもいだした。

いろいろわすれてるだけで、親から教わっていたものはいろいろあるねー。

特になにも用事がなければ毎週のように走りに行ってた海が、あんなふうに光るなんてわくわくしちゃう。
いつかわたしも見れるといいな。



ラジオでよく流れるこれ、すごい好き。



泣きたくなっちゃうぐらいにきれい。
アリアナは「バラ」なんだね。



ことしいろいろ本を読んでるから、読書記録みたいなのを書きたくてブログ開いたんだけど。
飲みながらやってたら、なんかもうめんどくさくなっちゃったんで、ぱそこん消しちゃう。

小説を読むとき。
その世界にはいりこむのに時間がかかるものもある。

だから、さいしょの数ページはものすごい時間かけて読んで、もうやめてもいいかな、って迷ったりするけど、なんとなくカバンにいれたままにしてるから、出先で仕方なく続き読んだり。
でも、とつぜんその世界にすーっと入りこめると、かんぜんにその物語に浸りきる。

こんどはそれを読み終えるころ、終わらせたくなくて、わざと速度を落として読んだり。
それで、ついに読み終えちゃったときの虚脱感と喪失感。

もう浸りきった世界が消えちゃった喪失感ね。

ひとつ読むたびに、失恋みたいなきぶんになって、へとへとなかんじになる。

その話をスプリさんにしたら、なんでそんなに全身全霊で読むの?ってフシギがられた。

『裏庭』みたいだよねー。

裏庭 (新潮文庫) -
裏庭 (新潮文庫) -

「裏庭」に入り込むたびに、命を削ってく、みたいな。
入り込んだ裏庭で命削って、いつかわたし、「表」に戻ってこれなくなる日がくるかも。

この「裏庭」って小説は凄すぎて、こんな物語を書ける才能に憧れる。
ジブリがまだ手を出さないのがフシギ。
(わたしはジブリ嫌いだから、ジブリアニメにはなってほしくないけど、ジブリアニメになりそうな世界観だもんねー)

わたしは「裏庭」を消したくなくて、この小説、途中から読めないままでいるの。
読み終わっちゃうのがこわいから。

このまえブックオフに行ったら、ブックオフオリジナルの絵本っていうのがあった。
絵がステキなんで惹かれて立ち読みしちゃったけど、ものすごいステキな絵本でびっくりした。

https://www.bookoff.co.jp/event/ehon201410.html

これこれ。
「ぼく、にんげんになれるかな」っていうのと、ここには載ってないけど、ウサギの王さまの絵本がすごいステキだった。

なんで買ってこなかったんだろ。
たった500円なのに。
(ブックオフでいつも108円の本ばかり買うから、500円ってものすごい高額、っていう気になっちゃったんだよねー)
絵本だから、買うほどでも、っておもっちゃったんだけど、また見かけたらこんどはぜったい買う。

さいきん、絵本とか児童小説とかも読んでる。
オトナが読んでもおもしろいストーリーのものを選んで。
(コドモ向けって、いかにもオトナ目線の、教育勅語を推す政府的な感覚で「管理者が望むただしい世界観」を押し付けてくる物語があったりするからねー。ああいうのって、コドモを見下して、コドモの純真を腐敗させるだけだよ)

児童小説を読んでると、子どものころ、じぶんがそういうものを読んでたときの感覚が蘇る。
子どものころに「おもしろい」とおもった絵本や児童小説って、オトナになったじぶんが読んでもおもしろいんだよね。

コドモを見下してないオトナが書いたコドモ向けの物語はおもしろい。
オトナはコドモをただしく躾けなくちゃ、っておもう「教育理念」を創作にからめた児童向けストーリー、って、コドモに対する支配欲たっぷりなテキストにすぎないから。

オトナが官能小説を書くより、児童小説を書くほうがむずかしい気がする。
むずかしい、っていうか、これこそ天賦の才能みたいなものに左右されるかも。
「小説」を書けるからって、だれでも児童小説も書ける、ってわけじゃないんだとおもう。

このまえ読んだ児童ホラー小説はおもしろかったけど。

グースバンプス (1) 恐怖の館へようこそ (グースバンプス 世界がふるえた恐い話) -
グースバンプス (1) 恐怖の館へようこそ (グースバンプス 世界がふるえた恐い話) -

コドモがいる家族が巻き込まれたホラーな話なのね。
引っ越した家に、コドモは「なにか」がいるのを見る。
でも、親は「気のせい」って言って、ぜんぜん取り合ってくれない。

こういうストーリーのとき、オトナってだいたい「バカ」に書かれるのはなぜなんだろう。
コドモから見ると、オトナって意外にバカ、ってみえてしまうのもあるんだろうけど。

親が「なにか」の存在に気づけたんなら、それはオトナが主人公のオトナ向けのホラー小説になる、ってことなのかな。

この小説を、スティーヴン・キングが書き直したら『シャイニング』みたいになるのかもねー。
でも、『シャイニング』は、もう少し簡潔な文章でリライトしたら(キングの文章ってクセがありすぎて、読むのにコツがいるもん)、あのストーリーのまま、児童向けホラー小説にもなるとおもう。

「怖い」文章を書けるようになりたい。
だから、ホラー小説を書いてみたい。

きのうブクログに登録した『憎鬼』って小説は、文章で「怖さ」がものすごい伝わってきてすごかった。

憎鬼 (RHブックス・プラス) -
憎鬼 (RHブックス・プラス) -

とつぜん、街でだれかがだれかを惨殺する。
そういう惨殺がどんどん街中で増えてく。
ギリギリの生活費で子ども3人を妻と育ててる主人公が、その「惨殺」の被害に遭わないように家族でビクビクしながら暮らす一週間の話。

この作家の人、ネット小説で人気が出たっていう人らしいけど、筆力がすごいとおもった。
原書で読んだわけじゃないけど、翻訳の文章でも筆力のすごさは感じれる。

突如「惨殺」する「憎鬼」と対峙しないように怯えながら通勤する描写が、ひしひしと怖さをかんじさせるんだけど。
満足な暮らしを営めない低所得の家族のギリギリの生活、の描写も、リアルでものすごい重苦しい。

ストーリーそのものをたのしむ、というより、わたしは、この作家の筆力に圧倒されてた。
おなじネタを与えられたとして。
こんなふうに「怖く」書ける?
って、じぶんに問いながら読んでた。

文章のすごさをかんじる小説を読むと、ものすごい宝物発見したみたいな高揚感がある。
やっぱりねー。
文章を書く人は、その文章が命、だよねー。

古畑任三郎のドラマでも、そういう話がある。
まるっきりそっくりの双子(おなじ女優さんが二役やってる)のシナリオライターの話。
ふたりの共作、ってことで、ひとつのペンネームで双子姉妹が活動してる、っていう設定なんだけど。
ほんとは、執筆は片方だけで、もうひとりはどっちかっていうと営業活動専門。
でも、その執筆をしないほうがおもしろいストーリーを思いつく天才、なのね。

その人が、いいセリフが書ける脚本家と、プロットがうまい脚本家がいる、っていうことを話してた。
シナリオの場合、どんなにプロットがうまくても、セリフがダメだったら、ぜんぜんダメな作品になっちゃう。

小説も、どんなにプロットがおもしろくても、文章に魅力がなければ、読者を魅了できない、ってことなんだとおもう。

マンガの場合。
画力があってもストーリーが作れない人もいるけど。
そういう場合は原作者がつくよね。

わたしも、だれかと共作したいなー、っておもう。
共同ペンネームをつかって。

でも、人気作家になったら殺人事件になっちゃう?
(^_^)
(さっきの古畑ドラマのふたごの脚本家の話は、刑事コロンボの『構想の死角』が元ネタだよね。あれも片方だけ執筆して片方は書けない共同ペンネームコンビの解散殺人事件)


ぱそこん消すとか言って、なんかだらだらそのまま書いちゃったけど、脳みそがつかれたのでここまで。



posted by ぴの at 20:34| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

変わりゆく日々

ひさしぶりに覗いたら、いよいよブログがぜーんぶ強制的に新システムに移行するんだって。
でも、これはまだみたい。

わたしのぱそこんでつかえるのかなー、って、いま、あたらしいシステムのブログをひとつ作ってみた。
なにが変わってるのかよくわかんなかったけど、編集画面はぜんぜんおなじままみたい。
だいじょうぶなのかな。

でもこれ。
自動保存にならなくなってる。
なんで?

べつにじぶんがネットでブログを書きつづける必要なんて、この世のどこにもないのだけど。
まあ、いいや。
アカウントがつかえるうちは、ひまつぶしにつかって、つかえなくなれば、ネットから追い出されたきぶんで消えちゃえばいいんだし。

なんて言っても、つぶせる「ヒマ」なんてぜんぜんない。
ブログを書くなら、その時間をじぶんでつくらないとダメ。
それがめんどくさくて、さいきん放置してた。

ネットであそぶのがめんどくさいんじゃなくて、時間のやりくりするのがめんどくさい。
いろんなことを整理して合理的に処理する、っていうことが、わたしのあたまでは無茶すぎて、つかれる。



きょうはゴールデンウィークスペシャル、ってことで、J-WAVEはクリス智子さんと佐藤オオキさんコンビが朝から夕方までずーっとナビゲーターをやってた。

このふたりのからみはひさしぶり。
ふたりの番組が日曜の夜から消えて以来、日曜の夜はなんだかさみしい。

久々のおふたりの番組を車に乗り込むたびに聞いてたら、なんか「昔」を懐かしむような泣きたいきぶんになった。
年をとっていく、っていうのは、過去がそのぶん積み重なっていくから、感情がうしろ向きになることが増えていく。

ことしの春もたくさん泣くことがあって、泣くことにくたくたになった。
体調もよくなくて、ビョーキが少しだけ進行した。
あらたな症状に、ものすごいきぶんが落ち込む。



さいきんいろいろあったけど、なんかそれを書く気がしないから、ブログ開いてもべつに書くことないことに気づいた。



バイトをやっていて、急速にじぶんの価値観が変化していくのをかんじてる。
世界が変化してるのか、じぶんが世間知らずすぎただけなのかわかんないけど。

うちのお店にはとうとう外国人のバイトもきたー。
日常のカンタンな会話がどうにかカタコトで通じる程度の日本語力で、ひらがなは読めるけど、意味はぜんぶわかるわけじゃなくて、漢字はまったく読めない。
だーかーらー。
レジ接客は無言でレジ打つぐらいはできるけど、いろいろめんどくさいサービスでお客さんとやりとりが必要になる場面ではムリ。
じゃあ、納品やってー、っておもったけど、そもそもマニュアルも読めないし、いろんなポップやいろんな記載事項が理解できないし、商品の名称も読めないから、納品もハードル高い。

英語はわかんない人で、その人の母国語なんてだれも耳馴染んでないから、「カタコトの日本語」だけで仕事を教えるのがどれだけヘヴィか、っていう体験真っ最中。

「やります」と「やった」と「わからない」の3語で仕事を進めませう。
っていうゲーム感覚で仕事おしえてる。
「わからない」とは言ってくれるけど、なにがどうわからないのか説明できなくて、わたしの説明もだいたいは理解はできなくて、「わからない」ってことだけお互い理解をシェアするのが精一杯、っていうレベル。

ラジオの英会話教材のCMで、赤ちゃんは勉強しなくても自然にコトバを覚える、って言ってるから。
たぶん、いつかは自然に通じあうはずー。
ってことで、相手がわかんなくても、とりあえずは日本語でフツーに説明して、あとはわかってなさそうなとこを身振り手振りで教えたり、「雰囲気」でわかったふりしたり。

シニアスタッフの新人さん(日本人)なんて、じぶんがぜんぜん覚えれないサービスは、お客さんからなにか聞かれると「じぶんはそれ、わかんないんですよねー」で済ませちゃってるし。
わからないなら、わかるだれかに聞いてください。
わからないから、ってお客さんにこたえないで帰しちゃったりしないでー。
って言っても、そのときは「そうですよねー。はい」って言ってくれるのに、またそんな場面になると「それはじぶんにはわかんないんですよー」って言ってるからねー。

タバコを吸わない人はぜんぜんタバコの名称も場所も覚えようとしない。
あらたに覚える、ということは思いつかないみたいで、わからないことはわからないままにしとく。

商品の区別もつかなくて、似たようなパッケージのものは見分けれない。
ひとつひとつの認識に時間がかかるから、なにをやっても、ものすごい時間がかかる。

60歳すぎると、だいたいの人がどこかしらカラダの不具合をかかえてる。
高血圧とか腰痛とか視力の衰えとか。
だから、基本の作業をこなすのもムリ、っていう人ばかり。(その相方がほとんど負担させられる。おなじ時給で)

うちの業種は、さいきんは年齢問わず、「よそではまともに働けない(雇ってもらえない)」ような人たちばかりが流れてくるからねー。

もうねー。
最低限の仕事の質、っていうレベルも、現場ではかんぜんに崩壊してる。

そういう時代なんだなー、って、わたしは受け入れるようになってる。

日本語が理解しきれてなくても日本で働かなくちゃいけない外国人はいくらでもいるし、いろんな身体能力が衰えていく高齢になってもマルチタスクな職に就かないと食べていけない人もいくらでもいるし。

年金受給が70歳になるとか言ってるけど。
その年まで、「まともな仕事」ができる人、どれだけいるのー、っておもう。
でも、政府はカラダも脳も衰えていく年齢になっても「現役」でいろ、って言うんだから。

できないことだらけの人たちが働く社会、になるのは、仕方ないじゃん。

70歳まで現役でいろ、っていうなら、とうぜん、その年まで車も運転するよね。
高齢ドライバーが歩行者なぎ倒し、とかっていう事故も、とうぜん減らないよね。
年齢にあわせて、ムリのない能力で働ける職場、なんて、理想にすぎないんだから。

できないことが増えても、できる世代とおなじような日常を送らないと食べていけないなら、ムリヤリやってくしかない。

それでも、高齢者を雇わないとやっていけない業種なんかは、その年代にも仕事がこなせる(もっとわかりやすい)システムにかえていくしかないよー。
外国人もどんどん雇わないとダメなら、現場の言語も日本語オンリーじゃダメじゃん。

それが難しいなら、いろんな質の低下は社会で諦めて受け入れていくしかないよね。
コンビニの店員に一流ホテルのコンシェルジュのような高度のサービスを要求しない社会。

なんかねー。
職種それぞれの現場で働く人たちの問題、というより、社会全体がいろいろ価値観をかえていかないと、「いろんな人たちがいつまでも現役」なんていう社会でみんながしあわせに暮らせないとおもった。

シルバースタッフさんと組んだ日。
お客さんが途切れたとき、ものすごい陳列の状態になってる商品の棚を、なんとなく眺めて。
(フツーなら10分以内で済む陳列作業を相手が50分ぐらいかけてやってた箇所)
ちょっとー、これで商品売れるとおもってんのー。
って、まえならわたし、むかむかしたり、なんか言いたくなったけど。

これがいまのコンビニの現状だよねー。
って、そのままを受け入れる価値観がじぶんの中に生まれた。

これで仕方ないんだよ。
本部は理想的な陳列をいろいろ言ってくるけど。
それをやれる能力の人が集まらない末端の店舗では、パンはパンの棚に並んでるだけマシ。
ラベルが逆に置かれてても、アイスのとこでパンが凍ってないだけ、いいんだよ。
(ほんとにたまに、アイスケースの中になぜか納品されてきたばかりのパン落として凍ってたりするナゾ現象が起こってるから)

従業員の意識を高めたり、仕事の質を一律に守らせる指導そのものが通用しない時代になったんだとおもう。

パンがひっくり返って陳列してる棚を、わりと仕事ができる新人のバイト男子が見つけて、「これ、どうおもいますか?ぴのさん。だれがやったかわかってるんで、店長に報告しますか?いつもこうなんですよ」って言ってきたとき。
「あー、それはねー、こうしちゃえばいいのー」
って、わたしは、ひっくり返ってるパンをまたひっくり返した。
「ひっくり返ってるのみたら、またひっくり返しておけばいーの」
って、言っといた。

ひっくり返ったパンも、またひっくり返しておけばいいだけ、だからね。
陳列がめちゃくちゃだって、べつにものすごい問題じゃないんだよ。

なんかいろいろすごい問題にみえても、たぶん、いろいろたいしたことない、んだとおもう。
そうおもっておけば、世の中は平和になる気がした。

いろいろサービスが低下してるお店に遭遇しても、「あ、ここはサービスだめだねー」でいいんだよ。
よくない、って言う人は、サービスがいいお店に行けばいいんだよ。
サービスがよくないお店だらけになったら、それがいまどきのスタンダード、だとおもえばいいんだよ。

なんかそれじゃいろいろよくない気もするけど、それはじぶんのせいじゃないんなら、「まあ、そんなもんだよねー」って長いものにくるくる巻かれちゃう。

仕事ができない人に対して、じぶんがいろいろタイヘンなきぶんになってたわたしだけど。
だんだん、じぶんがタイヘンがる必要もない気がしてきた。
じぶんがえらい立場なわけでもないんだから、じぶんがタイヘンだとかんじてたのは、思いあがってただけ。

そういえば、仕事で出かけた先の街で、回送中のバスが、回送中ですみません、みたいな謝罪つきの表示を出してるの見かけた。
回送中だと、なんで謝るの?
って、ものすごいフシギだったけど、謝らなくちゃいけない社会になってるんだろうねー。

「あ、バスがきたー」
「あー、回送だったー」

で、「なーんだ」っておもわなくて、「ふざけんな」っておもう社会なんだろうねー。

回送中のバスをみて、「なーんだ。ざんねんー」っておもえるぐらい、ゆるゆるな社会になるといいよねー。
だから、お店の陳列棚でパンがひっくり返ってたら、「あー、パンの背中がみえてるー」ってゆるゆるやり過ごせる人になるのがいちばん。

なんか、いろんなことがもっとゆるゆるでいいんだとおもう。




posted by ぴの at 22:47| オーランド ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする