2017年05月05日

変わりゆく日々

ひさしぶりに覗いたら、いよいよブログがぜーんぶ強制的に新システムに移行するんだって。
でも、これはまだみたい。

わたしのぱそこんでつかえるのかなー、って、いま、あたらしいシステムのブログをひとつ作ってみた。
なにが変わってるのかよくわかんなかったけど、編集画面はぜんぜんおなじままみたい。
だいじょうぶなのかな。

でもこれ。
自動保存にならなくなってる。
なんで?

べつにじぶんがネットでブログを書きつづける必要なんて、この世のどこにもないのだけど。
まあ、いいや。
アカウントがつかえるうちは、ひまつぶしにつかって、つかえなくなれば、ネットから追い出されたきぶんで消えちゃえばいいんだし。

なんて言っても、つぶせる「ヒマ」なんてぜんぜんない。
ブログを書くなら、その時間をじぶんでつくらないとダメ。
それがめんどくさくて、さいきん放置してた。

ネットであそぶのがめんどくさいんじゃなくて、時間のやりくりするのがめんどくさい。
いろんなことを整理して合理的に処理する、っていうことが、わたしのあたまでは無茶すぎて、つかれる。



きょうはゴールデンウィークスペシャル、ってことで、J-WAVEはクリス智子さんと佐藤オオキさんコンビが朝から夕方までずーっとナビゲーターをやってた。

このふたりのからみはひさしぶり。
ふたりの番組が日曜の夜から消えて以来、日曜の夜はなんだかさみしい。

久々のおふたりの番組を車に乗り込むたびに聞いてたら、なんか「昔」を懐かしむような泣きたいきぶんになった。
年をとっていく、っていうのは、過去がそのぶん積み重なっていくから、感情がうしろ向きになることが増えていく。

ことしの春もたくさん泣くことがあって、泣くことにくたくたになった。
体調もよくなくて、ビョーキが少しだけ進行した。
あらたな症状に、ものすごいきぶんが落ち込む。



さいきんいろいろあったけど、なんかそれを書く気がしないから、ブログ開いてもべつに書くことないことに気づいた。



バイトをやっていて、急速にじぶんの価値観が変化していくのをかんじてる。
世界が変化してるのか、じぶんが世間知らずすぎただけなのかわかんないけど。

うちのお店にはとうとう外国人のバイトもきたー。
日常のカンタンな会話がどうにかカタコトで通じる程度の日本語力で、ひらがなは読めるけど、意味はぜんぶわかるわけじゃなくて、漢字はまったく読めない。
だーかーらー。
レジ接客は無言でレジ打つぐらいはできるけど、いろいろめんどくさいサービスでお客さんとやりとりが必要になる場面ではムリ。
じゃあ、納品やってー、っておもったけど、そもそもマニュアルも読めないし、いろんなポップやいろんな記載事項が理解できないし、商品の名称も読めないから、納品もハードル高い。

英語はわかんない人で、その人の母国語なんてだれも耳馴染んでないから、「カタコトの日本語」だけで仕事を教えるのがどれだけヘヴィか、っていう体験真っ最中。

「やります」と「やった」と「わからない」の3語で仕事を進めませう。
っていうゲーム感覚で仕事おしえてる。
「わからない」とは言ってくれるけど、なにがどうわからないのか説明できなくて、わたしの説明もだいたいは理解はできなくて、「わからない」ってことだけお互い理解をシェアするのが精一杯、っていうレベル。

ラジオの英会話教材のCMで、赤ちゃんは勉強しなくても自然にコトバを覚える、って言ってるから。
たぶん、いつかは自然に通じあうはずー。
ってことで、相手がわかんなくても、とりあえずは日本語でフツーに説明して、あとはわかってなさそうなとこを身振り手振りで教えたり、「雰囲気」でわかったふりしたり。

シニアスタッフの新人さん(日本人)なんて、じぶんがぜんぜん覚えれないサービスは、お客さんからなにか聞かれると「じぶんはそれ、わかんないんですよねー」で済ませちゃってるし。
わからないなら、わかるだれかに聞いてください。
わからないから、ってお客さんにこたえないで帰しちゃったりしないでー。
って言っても、そのときは「そうですよねー。はい」って言ってくれるのに、またそんな場面になると「それはじぶんにはわかんないんですよー」って言ってるからねー。

タバコを吸わない人はぜんぜんタバコの名称も場所も覚えようとしない。
あらたに覚える、ということは思いつかないみたいで、わからないことはわからないままにしとく。

商品の区別もつかなくて、似たようなパッケージのものは見分けれない。
ひとつひとつの認識に時間がかかるから、なにをやっても、ものすごい時間がかかる。

60歳すぎると、だいたいの人がどこかしらカラダの不具合をかかえてる。
高血圧とか腰痛とか視力の衰えとか。
だから、基本の作業をこなすのもムリ、っていう人ばかり。(その相方がほとんど負担させられる。おなじ時給で)

うちの業種は、さいきんは年齢問わず、「よそではまともに働けない(雇ってもらえない)」ような人たちばかりが流れてくるからねー。

もうねー。
最低限の仕事の質、っていうレベルも、現場ではかんぜんに崩壊してる。

そういう時代なんだなー、って、わたしは受け入れるようになってる。

日本語が理解しきれてなくても日本で働かなくちゃいけない外国人はいくらでもいるし、いろんな身体能力が衰えていく高齢になってもマルチタスクな職に就かないと食べていけない人もいくらでもいるし。

年金受給が70歳になるとか言ってるけど。
その年まで、「まともな仕事」ができる人、どれだけいるのー、っておもう。
でも、政府はカラダも脳も衰えていく年齢になっても「現役」でいろ、って言うんだから。

できないことだらけの人たちが働く社会、になるのは、仕方ないじゃん。

70歳まで現役でいろ、っていうなら、とうぜん、その年まで車も運転するよね。
高齢ドライバーが歩行者なぎ倒し、とかっていう事故も、とうぜん減らないよね。
年齢にあわせて、ムリのない能力で働ける職場、なんて、理想にすぎないんだから。

できないことが増えても、できる世代とおなじような日常を送らないと食べていけないなら、ムリヤリやってくしかない。

それでも、高齢者を雇わないとやっていけない業種なんかは、その年代にも仕事がこなせる(もっとわかりやすい)システムにかえていくしかないよー。
外国人もどんどん雇わないとダメなら、現場の言語も日本語オンリーじゃダメじゃん。

それが難しいなら、いろんな質の低下は社会で諦めて受け入れていくしかないよね。
コンビニの店員に一流ホテルのコンシェルジュのような高度のサービスを要求しない社会。

なんかねー。
職種それぞれの現場で働く人たちの問題、というより、社会全体がいろいろ価値観をかえていかないと、「いろんな人たちがいつまでも現役」なんていう社会でみんながしあわせに暮らせないとおもった。

シルバースタッフさんと組んだ日。
お客さんが途切れたとき、ものすごい陳列の状態になってる商品の棚を、なんとなく眺めて。
(フツーなら10分以内で済む陳列作業を相手が50分ぐらいかけてやってた箇所)
ちょっとー、これで商品売れるとおもってんのー。
って、まえならわたし、むかむかしたり、なんか言いたくなったけど。

これがいまのコンビニの現状だよねー。
って、そのままを受け入れる価値観がじぶんの中に生まれた。

これで仕方ないんだよ。
本部は理想的な陳列をいろいろ言ってくるけど。
それをやれる能力の人が集まらない末端の店舗では、パンはパンの棚に並んでるだけマシ。
ラベルが逆に置かれてても、アイスのとこでパンが凍ってないだけ、いいんだよ。
(ほんとにたまに、アイスケースの中になぜか納品されてきたばかりのパン落として凍ってたりするナゾ現象が起こってるから)

従業員の意識を高めたり、仕事の質を一律に守らせる指導そのものが通用しない時代になったんだとおもう。

パンがひっくり返って陳列してる棚を、わりと仕事ができる新人のバイト男子が見つけて、「これ、どうおもいますか?ぴのさん。だれがやったかわかってるんで、店長に報告しますか?いつもこうなんですよ」って言ってきたとき。
「あー、それはねー、こうしちゃえばいいのー」
って、わたしは、ひっくり返ってるパンをまたひっくり返した。
「ひっくり返ってるのみたら、またひっくり返しておけばいーの」
って、言っといた。

ひっくり返ったパンも、またひっくり返しておけばいいだけ、だからね。
陳列がめちゃくちゃだって、べつにものすごい問題じゃないんだよ。

なんかいろいろすごい問題にみえても、たぶん、いろいろたいしたことない、んだとおもう。
そうおもっておけば、世の中は平和になる気がした。

いろいろサービスが低下してるお店に遭遇しても、「あ、ここはサービスだめだねー」でいいんだよ。
よくない、って言う人は、サービスがいいお店に行けばいいんだよ。
サービスがよくないお店だらけになったら、それがいまどきのスタンダード、だとおもえばいいんだよ。

なんかそれじゃいろいろよくない気もするけど、それはじぶんのせいじゃないんなら、「まあ、そんなもんだよねー」って長いものにくるくる巻かれちゃう。

仕事ができない人に対して、じぶんがいろいろタイヘンなきぶんになってたわたしだけど。
だんだん、じぶんがタイヘンがる必要もない気がしてきた。
じぶんがえらい立場なわけでもないんだから、じぶんがタイヘンだとかんじてたのは、思いあがってただけ。

そういえば、仕事で出かけた先の街で、回送中のバスが、回送中ですみません、みたいな謝罪つきの表示を出してるの見かけた。
回送中だと、なんで謝るの?
って、ものすごいフシギだったけど、謝らなくちゃいけない社会になってるんだろうねー。

「あ、バスがきたー」
「あー、回送だったー」

で、「なーんだ」っておもわなくて、「ふざけんな」っておもう社会なんだろうねー。

回送中のバスをみて、「なーんだ。ざんねんー」っておもえるぐらい、ゆるゆるな社会になるといいよねー。
だから、お店の陳列棚でパンがひっくり返ってたら、「あー、パンの背中がみえてるー」ってゆるゆるやり過ごせる人になるのがいちばん。

なんか、いろんなことがもっとゆるゆるでいいんだとおもう。




posted by ぴの at 22:47| オーランド ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする