気づいたら、ずーーーーーーーっとブログ書いてなかった。
先日、スマホのアプリでなんとなくTwitterに復帰。
連日だらだらと一日中つぶやいてた頃が懐かしいけど、感情の垂れ流しが出来たのも若さなのかなー、なんて思う。
いつのまに30代になったかんじで、まだ巧く30代の人生を操れず、20代だって未完全なまま終わらせて、結局わたしはいろいろ人生を無駄遣いしてる。
4分の3過ぎた今年、何をしてたかっていうと。
去年のブログで、生まれつきの持病が脱寛解して保険の効かない高額治療に手を出したって書いたけど。
その治療も空しく、更に進行して。
今年の前半、全身にドラマチックな症状発生。
あまりに「いかにも重病」な症状だったんで、冗談抜きでかなりホンキに「余命宣告」を覚悟した。
症状発生から全身あちこちの検査やるのに数ヶ月。
入院が必要な検査もあったし、検査前後は仕事が出来なかったり、お金も「そんなにわたしの命は高くないー」っていうぐらいにかかったり。
結果は、余命宣告とかにはならなかったけど、健康体から遠い遠いカラダをもう少し使っていかなくちゃいけない現実。
ほんとはまだ残ってる検査があるんだけど、もう投げ出した。
治らないんだから、いちいちカラダの現状を症状が出てない部分まで知らなくていいし。
発症予防だってわたしにはもう必要ない。
余命宣告かなーって覚悟した時。
わけのわからないくらいのすっごい解放感がわたしを襲った。
「これで終わる」って。
死刑宣告されたマリー・アントワネットなかんじ。
予約入れた検査の日までは、家の片付けとか楽しかった。
だってもう、なんにも要らないんだもん。
だからなにもかも迷うことなくポイポイ捨てていける。
いつか使いたいけど今じゃない、ってためこんでた付録のポーチとか、買いこんでたきれいなノートとか。
そういうものは全部、今使わないとあとがない、って惜しみなく使いだした。
日々のイヤなことも、あと少しって思えば全然苦痛でもないし。
期間限定の人生って、なんて気楽で楽しいんだろう。
っていう感覚に襲われていたから、検査結果でまだ生き続けなくちゃいけないっぽいことがわかった時、言いようのない疲労感が代わりに襲った。
ほんとに、まだ終わらない人生にがっかりした。
どれだけわたしは死にたいんだろう。
っていうより、もう生きるのにうんざりしてる。
人生、充分楽しんだもん。もういいよ。
自殺はしないって決めてるからしないけど、早く終わりますように、って日々、無意識に祈ってる。
そういうことがあったあとの夏。
今度はコロナになったー。
どこで感染したか全然わかんないタイミング。
突然発熱して、この数日コロナになるようなことないから違うよねー、って思ったけど、発熱したら「陰性証明」が必要な予定があったから仕方なく抗原検査キット使った。(前に買えた時に買っておいたのです)
そしたら一瞬で陽性の2本線。
地元の発熱外来に電話したら、いますぐおいでって言われたからすぐに行ってPCR検査。
その日のうちに陽性決定。
10日間の自宅監禁生活。
去年、何度も検査して陰性のままだった謎の肺炎やったけど、あれとは全然症状が違った。
コロナの発熱はジェットコースター。
1日のあいだに39度台に上がったり35度台に下がったりを数日繰り返す。
味覚障害とか肺炎とかは全くなかったけど、いつ治るんだろうってぐらいカラダが少しも治癒に向かってるかんじがしない。
でも、治る時もいきなり。
いきなりカラダが「あ、治った」ってかんじにラクになって平熱キープ。
だけど後遺症ってほんとにあるー。
治ってからかなりのあいだ、手足に力が入らなかった。
いまはなんとか平気になったけど、一番ひどいときはハンドル掴めないしペダルを踏めなくて運転出来なかった。
やっぱりコロナになった知り合いも、足に力が入らなくてしばらく寝たきりを続けてたし。
10日過ぎた咳も発熱も感染力はないっていうけど、治ったあと、数日おきにいきなり38度の熱が小一時間ぐらい出る。
すぐ下がるの。
でも検温器がある店でひっかかったこともあって、慌てて外に出た経験もした。
咳はいまでもだらだら続いてる。
コロナは風邪やインフルとは違う。
なんか得体の知れない気味悪さがある病気。
じぶんのカラダから完全にウィルスが消えた安心感がない。
どこかに潜伏してるキャリアなかんじ。
仕事は、これも去年のブログに書いたけど、人を雇う側になった。
コロナ禍でお父さんが無職状態になったのと同居するようなパートナーが誰もいないフリーの身になったのとで、恐れてた通り、子どもたちにSOSの接触をしてきた。
弟だって巧く自立出来てなかったし、わたしもいろいろ考える年頃だったし。
じぶんが高校時代から続けてきたバイトでいろんな出会いがあって、この業界に人との繋がりがいつのまにいろいろ広がった。
それをチャンスと捉えて、家族ぐるみで起業した。
1店舗だけをやるフランチャイズオーナーじゃ家族全員食べていくのなんてタイヘンなのわかりきってたから、複数店舗を経営するスタイルで。
わたしがバイトしてた時から独立を勧めてくれた繋がりのあるベテラン法人経営の会社にアドバイスとサポートもらいながら、エリアを分けての協力共存。
経営にはスプリさんも加わってくれてる。
わたしはじぶんの病気が段々とやっかいなことになるのがわかってるから、ずっとは現場にいない立場に身を置くようにして。
大好きな場所にセカンドハウス的な居場所を持ったけど、維持費がもったいないのと山の中の女独り暮らしの危険性を体験したんで、手放して。
カラダがなんとなく元気に動かせる時期は、働けるだけ働いて、オフにはのんびりと車で身軽に山暮らし。
まだこういう暮らしが送れる。
もう生きなくていい人生を、生きるんなら楽しく笑って、って思って、お金持ちにはなれなくても、笑える日々を送れる生活はどうにかキープ。
お父さんの面倒をみたのは、わたしがいなくなったあと、弟がお父さんと共倒れしないため。
弟が苦しい人生送るのは、お母さんが哀しむから。
スマホのアプリでピグがやれるじゃーん。
って気づいたのも、今年の前半。
スマホ版ピグライフに復活して、わたしはまた、あのフシギでステキなお庭で癒しを得てる。
またノン。←ピグのクマキャラの真似