2017年03月17日

ベールの月から氷の月まで

このところネットであそぶ時間、というか、気力がぜんぜんないかんじだった。

ひゃー。
花粉がものすごいらしく、わたしはクシャミがものすごい。
一回でるとかならず連発になるから、レジしてるときはタイヘンだし、運転中だとクシャミしてるときって自然に目を瞑ってるからちゃんと前みれないし。
あと、目と耳とほっぺたが痒い。
鼻づまりとかはそんなにひどくないから、花粉のせいなのか、乾燥しすぎのせいなのかわかんないけど。

桜の枝はつぶつぶがだいぶぷっくりしてきたから、下旬には咲きそう。
森のところのソメイヨシノが一本だけ咲いてた。
ケヤキの枝も葉っぱがでるまえ、っていうかんじになってるし。
カナブンとか蛾がもう出てきてるし。
でも、ここ数日、夜明けは車が凍ってる。
このまえは夜中に雪降ったし。

もう冬タイヤはずしたいけど、こんどの雨の予報の日は気温がひくいから、まだちょっと交換しないほうがいいのかなー、って悩む日々。
あいまいな日がだらだらつづいても、季節は確実に春に向かってく。
春とか夏が好きじゃないわたしは、まいとし、あたたかくなっていくにつれてウツなきぶんになってたけど。

このまえ、夏がおわったころのことを思い返した。
「暑い日」が消えて、「あたたかい日」が少しずつ減っていく冬に向かう時期。
そのころのわたしは、少しずつ冷えていく世界にわくわくする。

ことしも確実に、その「わくわくするとき」が来る。
春に桜が咲くのを待ち焦がれて冬をじっと耐える人たちのように、木々が紅葉して霜が降りはじめるのを夏中待ち焦がれる人もぜったいいるはず。
わたしはそっち派。

夜中にみるオリオン座の位置が少しずつかわっていく。
とおくの街の灯りがきらめかなくなってく。
そんな変化に、冬のおわり、をかんじる。

ことしはどんな夏になるのかな。
ものすごい暑いのかな。
でも、そのあとでまた秋がくるね。
そのときをたのしみにして冬じゃない季節を乗り切ろう。



月光が地表に降りてこないフシギな暗い夜を体験した話を書いたけど。
このまえの日曜は満月で、びっくりするぐらいの明るさを体験した。

薄曇りだったから、空全体にうっすいベールがかかってる状態。
でも、一等星ぐらいは透けてみえてた。
それぐらいの半透明な夜空に満月がでると、空全体が明るくなるのね。

震災のあとの計画停電で、懐中電灯のうまい使い方をおしえてくれた人がいた。
透明じゃないコンビニの白い袋に懐中電灯を入れて、高い位置にぶらさげておくと、周りぜんたいを照らすように灯りが拡散される、っていうの。

それとおなじ効果なのかなー、って、薄曇りの満月におもった。
満月はそれだけでものすごい明るいけど、クリアな夜空より薄い雲が広がってるほうが、もっともっと明るい。
どれぐらい明るいかっていうと、地表ぜんたいが「暮れきってない夕暮れ」ぐらい。
三浦半島で、そんなものすごい明るさを体験した。
真夜中なのに、海はぜーんぶ、水平線まではっきり見渡せるの。
とおくの海に浮かんでる漁船も細部までみえるし、とおくの家も輪郭がみえる、っていうんじゃなくて、窓とか屋根の模様までフツーにみえるし。

景色ぜんたいをちゃんとみてみたくていちど昼間走ってみたいなー、っておもってたけど、その「景色ぜんたい」がちゃんとみえてびっくりした。
意外な場所から海がみえてたのも発見した。

雲は流れてたから、そのうちだんだんと薄い雲のベールが消えてって、クリアな夜空になっていったのね。
そしたらおもしろいことに、夕暮れから夜になったみたいに、ぜーんぶみえてた景色が暗闇に溶けてって、満月の煌々とした灯りでいろんなものの輪郭がみえるていどになった。

その夜の野村訓一さんの旅のラジオで、電動自転車を勧めてた。
行動範囲が倍にひろがるから、って。

フツーに暮らしてると、行動範囲なんて徒歩と公共の乗り物に頼ることになる。
電車やバスはとおくまで行けるけど、「その路線」の付近しか行動範囲は広がらないことになる。
徒歩や路線が決められてる乗り物が行きわたらない世界、を知らずに生きるのって、ものすごいもったいない。

電動自転車やバイクや車は、これも「道路」がある場所に限られるけど、でもずっと自由性が増して行動範囲が広がる。
車があると、とおくに旅行しなくてもいいきぶんになるのは、日常の世界にいくらでも「あたらしい発見」が転がってるからだとおもった。
砂漠で非日常的な月夜を体験する旅もステキだけど、車でふらっと出かける場所で、毎週ぜんぜんちがう「夜」の景色をみれる、って、ものすごい贅沢なきぶんになる。

電車やバスもおわってる真夜中に、こんな半島でステキな夜を体験できるのは、わたしには「車」があるから。
びんぼーでも車を持つ理由、は、みたことのない世界、を旅できるから、なんだとおもった。



駐車場でだれかがエサをやってるせいで、ここらへんの野良猫がたーくさん集まって駐車場内に住みついてる。
それをだれも文句言わないから、かんぜんにネコ天国になってる。

車から降りるとボスネコがこっち向いてて目が合う。
それで、わたしが「にゃあ」って言うと、かならず「にゃあ」ってこたえてくる。
それをくりかえしてたら、ちがうネコがふらっとあらわれて、いっしょに「にゃあ」ってこたえてきて、そしたらまたちがうネコが出てきて、何匹ものネコが集まってきてびっくりした。
わたしが「にゃあ」っていうと、みんな「にゃあ」って言うの。

すごいー。
なごむー。

わたし、ネコ語が話せるようになったよ!
意味はぜんぜんわかんないけど、たぶん、なんか、会話が成立してるっぽい。
敵対してるかんじはないから、たぶん、友好的な会話。



いつもおなじような話ばかりしか書いてないけど(でも、わたしにはまいかい、あたらしい発見、みたいなのを書いてるつもり)、またラジオの話。

草なぎさんと香取さんのラジオは相変わらず聞ける日曜は聞いてる。
SMAPが解散したあとのことしになってから、香取さんがものすごいあかるくなった。
あの「やる気のない」去年のラジオのかんじは、ああいうキャラだったわけじゃないんだねー。
なんかいい意味でいろいろふっきれたのかなー、っておもうぐらい、ものすっごいあかるい番組になって、ちゃんとスタジオで収録されてるから「音」もちゃんときれいな番組になった。

わたしはますます村山由佳さんのラジオに夢中。
番組中に流れる曲はわりと古い(&知らない)のがおおくて、わたしの感覚にはぜんぜん合わない昭和の曲がけっこうある。
演歌でもないし、POPSともちがうし、ああいうジャンルってよくわかんない、っていうかんじの曲。

でも、そのわりにリスナーは中学生とかけっこういるんだよねー。
ハガキを読まれる中学生がおおいもん。
いまの中学生って村山由佳さんの小説はどんなのを読むんだろ。

このまえの深夜勤のときに配達されてきたスポーツ新聞の一面で「かまやつひろし」さんの訃報記事をみた。
店長が「うおー。むっしゅがー」って騒いでたけど、わたし、どんな人かぜんぜんわかんなくて、騒いでた店長をムシしてた。

そしたらこのまえの村山由佳さんのラジオで、追悼の意味でかまやつさんの歌がかかった。
それで、こういう歌を歌ってた人なのかー、ってわかった。

ゲタをならしてヤツがくるー、っていう歌。
これは昭和のPOPS?

村山由佳さんのラジオが心地いい理由は、聞いててなんとなくわかった。
30代独身の女性リスナーが、休日はひとりでたのしく過ごしてるのに、それを会社の男の上司とか女の部下からバカにされる、ってメールしてきて。
村山さんがこんなステキな休日の過ごし方が理解できないその上司と部下に怒って、この番組のリスナーの女性みんなに共感を呼びかけてた。
その番組は「深夜の女子会」って番組だからねー。

あ、この番組の女性リスナーって、こういう「一体感」でつながってるのかも、っておもった。
女は群れる、っていうやつ。

わたし、そういう「女子グループ」みたいなのはぜんぜん好きじゃないし、そこにうまく属せないんだけど。
でも、好きな人(この場合、好きな作家の村山さん)から「みんな」って呼びかけられる中に、じぶんもはいってたら、うれしいかんじになるかも。

そうかー、これが「群れる」よろこびかー、って、なんとなくちょっとわかった気がした。
深夜にひとりきりで聞いてても、ぜんぜん「ひとりじゃない」きぶんになれる。

ピストンさんの夕方の番組でも、リスナーの一体感、が熱いけど。
あの番組は「うちを聞いてるリスナーはJ-WAVEのほかのオシャレ番組を聞いてるリスナーとはぜんぜんちがうろくでもない人たち」みたいな自虐の一体感で結ばれてるからねー。
それがおもしろいし、じぶんもそのろくでもないリスナーの一員にはいってるのがたのしい雰囲気だし。

村山さんの番組は男性も聞いてて、メールがときどき読まれる。
シニア世代の男性が、妻をだいじにしなくてリコンされちゃって。
リコンしてひとり暮らしするようになってから、妻のタイヘンさがわかって、元妻にそれを伝えたい、みたいなメールしてきたことがあった。
村山さんは、別れた妻はあたらしい人生を進んでるのだから、もうそっとしてあげて、っていうコメントを返してた。

リコンした妻のことを思いやってるようで、けっきょくは、じぶんの感情が優先の元夫の人。
人を愛する、っていうのは、じぶんの愛を成就させることばかりがだいじじゃない。
相手のしあわせにじぶんはなにもできない、相手の人生にはじぶんは必要ではない、っていう現実を受け入れることも、「愛する」ことのひとつ、だとおもう。
あの男性のメールは、たぶん、妻とやり直す後押しをしてもらいたいのかなー、っていう甘えがかんじれたから(これはわたしの主観)、その甘えをピシャリと断った村山さんはさすが、っておもった。

ただ、この番組。
男性のホンネ、っていうコーナーがあって、いろんな著名な男性ゲストにいろいろ話を聞くのね。
その男性ゲストにかならず、どんな女性が好みか、って聞くんだけど。
ものすごいステキな人生を送ってきてる男性でも、「オトコをたてる控えめな人」とか、「オトコがつらいとき支えてくれる人」とか、「自立しててもオトコより弱いとこをみせる人」とか、もうねー、「はあああああああ?」っていう、進化しないオトコ、のがっかり女性観がわりと語られちゃうから、びっくりする。

いちどでいいから、「好きな女性には好きなように生きてほしい。僕はそれをそばでささえたい」とか言うオトコ、いないのー、っておもっちゃう。
(そういう人、いたかもしれないけど、わたしが聞いたときにはそんな理想は語られてないー)

女はつよくていいし、男はよわくていいし、女らしさっていうのは男に都合のいい女という意味ではないし、男らしさっていうのも女が依存できる男という意味ではないし。
相手にいろいろ望んでるうちは、恋してないよねー。
恋しちゃったら、もう相手はそのまままるごと、なにもかも「好きだからいーのいーの」で片づく。
そういうのが「恋」っていう気がする。

わたしは、すごい好きだった人のこと、その人のいろんな欠点も好きだった。
そういう欠点がいろいろある不完全性が好きだった。
でも、その人はわたしの欠点をいろいろ並べて、それがゆるせなくて、わたしから離れてった。
相手はわたしのこと好きだってなんども言ってくれてたけど、ほんとはわたしにぜんぜん恋してなかったの。
うふふ。

話がラジオから逸れたー。

っていうわけで、村山さんのラジオはすごい好きなんだけど、かかる曲とか、でてくる男性とかが、ちょっといろいろ感覚が古いかんじがして、そういうぶぶんだけわたしには合わない。
そういうの含めて、じぶんの世界観が広がるような村山さんのラジオに、わたしは夢中なのです。

村山さんの小説の創作上のいろんなエピソードもちょくちょく語られるから、そういうのもすごいおもしろい。



わたしのバイト先の「超絶人手不足問題」は、次のステージに移行した、ってかんじ。

急募の求人をいろんな媒体にだしてるらしいけど、うちみたいな業種でいちばんほしいタイプの人(協調性があり体力溢れるマルチタスク脳常識人)なんていうのはぜんぜんひとりも応募してこなくて。
シニア求人の媒体にも広告だしたから、ちらほらときた応募の人たちは、ひとりをのぞいてぜんいん還暦以上。
あと、ひとりは中年世代の男性だけど、病弱すぎてどこの面接も落ちてうちに流れついてきた人。

どう病弱かっていうと、特定の疾患をかかえてるわけではないみたいで(本人申告)、いろいろとカラダがよわいのでフツーにはたらくのがムリ(本人申告)、っていうらしい。
でも、うちは雇った。

還暦以上の人たちも、トランプさんみたいに大統領やっちゃうぐらいに精力的な高齢者タイプじゃなくて、うちの作業は体力的にいろいろとムリじゃないかなー、っていうかんじの人たちばかり。
でも、うちはみんな雇った。

これで少しは埋まらないシフトは埋まることになった。
(まだまだ人手不足はぜんぜん解消されないけど)

全面接落ちしてきた病弱な人は、「そういうわけで、体力つかう作業はさせないように。辞められちゃうから疲れさせないように。レジに立っててもらうだけでいいんだから」っていう店長指示つきで、いっしょに組む人たちに紹介された。
超還暦な人々は、「そういうわけで、難しいことは覚えれないし、体力つかう作業はムリなので、カンタンなことだけさせて。ムリなことさせて辞められないように」っていう店長指示つきで、一緒に組む人たちに紹介された。

でも、みんな、時給おなじ。

ここがポイント。

「いろいろと免除される新人」には「ラクな作業でちゃんと時給もらえる」ホワイトな話だけど、その新人たちとおなじ時給ではたらく「新人のやれない分の負担増になる先輩」は超絶ブラック化。

それがバカらしくて、仕事できる人たちが辞めてこんな超絶人手不足に陥った、っていうのに、学習能力ないよねー、うちの経営者。
能力給で少しは時給差をつければいいのに。

これからは高齢化はあたりまえになってくるから、高齢スタッフの作業免除はあたりまえ、って店長から説明された。
それはいいんだよね、べつに。
でも、免除される人と、そのぶんの負担増になる人と、だーかーらー、時給の差をつけなさいー。

工場ではたらいてる友だちのとこも、ものすごい高齢者がはいってくるようになって、でもだいたいは作業がぜんぜんムリでタイヘンなんだって。
でも、高齢者を雇用すると会社にお金がはいるから、だれひとりクビにはならないんだって。
うちのホログラムおぢさんみたいな、いろいろニンゲンとしてアレ、みたいな人はいないらしいけど、ほんとに呆けちゃってるんじゃ……、っていうぐらいに心配な人とかいるんだって。
でも、クビにはできないから、その人のいろいろ記憶のないかんじのはたらきかたをまわりの人たちがフォローしなくちゃいけないんだって。

さいわい、こんどうちにはいってきた超還暦な新人さんたちは、ホログラムおぢさん系の人はいまのところいなくて、みんなにこにこしてる人なので(そのかわり、ホログラムおぢさん以上になんかいろいろぼーっと立ってるだけ)、一緒に組んでもこっちのこころはすさまない。

ゴミ捨てぐらいはします、って言ってくれたから、ゴミ袋交換するだけのことをおねがいしたら、1時間ぐらい戻ってこなかった。
わたしも長蛇の列になったレジ離れられなくて、様子みにいけなかったけど、どうやったら1時間もかけてゴミ袋の交換するのか、ちょっと知りたい。

納品のとき、お蕎麦ひとつ棚にいれるのに、20分ぐらい迷ってて、そのあいだにわたしがぜんぶ終わらせて、そのひとつのお蕎麦のいれ場所がまだ決まってなかったから、「ここですよ」ってポップがある空いてる場所をおしえてあげた。
「あ、(商品の)名前がちゃんと書いてあるんですね」
って言ったから、「どれもちゃんと札がついてるから、そこにいれてくださいねー」って説明したけど、つぎの納品(25分後にきた)のときにはそのこと覚えてなかった。

じぶんがいろいろ買い物してきて、こういうお店の商品の陳列ってじぶんでみてきてるはずなんだけどなー、って、いろいろフシギになるぐらい、シニアスタッフの人たちは、商品をちゃんと棚に並べることができる人が「皆無」。
女性も男性も。

ちゃんと、っていうのは、ものすごい素晴らしい陳列、っていうレベルのことではなくて。
買いやすいように並べる、ってことができないの。
棚にいろんな向きで、つっこんじゃう。
ちがう商品どうしをヘーキで重ねちゃう。
パンとか潰れるぐらいにギューギューに棚につめこんじゃう。
ポテチは袋の中で粉々になるぐらい押しこむ。

それをじぶんがお金出して買いたいですか?
って、ほんとにフシギになる。

じぶんがお客さんになったら買いやすいように商品並べてくださいねー、っていうおしえかたをしたけど。
でも、ダメなの。みんな。なぜか。

年をとると、脳で「モノの向き」とかの認知がかわるのかなー、っておもったけど、どうなんだろう。

あと、やっぱりいろいろ覚えることがタイヘンみたいで(とくにいまのうちの業種って、バイトが覚えるべきこと膨大すぎて若い脳でもすぐにはムリ)、レジでさいしょに責任者番号いれるのをぜんぜん覚えれなくて(番号を記憶できないんじゃなくて、そのステップが覚えれないみたい)、離れてたレジに立つたびに「レジがつかえませんー」って呼ばれる。
レジ精算のさいごに年齢層のキーを押すとレシートが出てくるんだけど、そのキーを押すのを記憶できなくて、「あのー、レシートがでてこないんですけどー」ってまいかい呼ばれる。
だから、ひとりでレジ任せれないから、ふたりいても、ひとつのレジしか開けれない。

並んでるお客さんから「もう一台開けろ。急いでるんだ」って怒られて隣のレジ開けると、そっちで宅配便、もうひとつでネット決済とか重なると、もう新人にはお手上げ。
でも、わたしはひとりしかいないから、ふたつのレジを同時に受け持つ。
お客さんはとうぜん、怒る。
レジを途中で離れちゃうわたしに怒るから、わたし名指しの苦情が増える。

レジに立っててくれればいいから、って店長は言うけど、レジ番すら任せれない状態の人ばかりだから(そのうち慣れたらもっとマシになるとおもうけどねー)、時間かけてもっと研修やってから現場にあげてー、っておもう。
研修やる人員もいないから、さっさと現場投入されちゃって、シフト穴埋め地獄から免れたい店長はどんどんシフトから抜けてる。

さいきんの新人さんの特徴は、年齢性別問わず、みーんなトイレ掃除がキライ。
好きな人いないとおもうけど、ゴミ袋の交換に1時間かかる人も、トイレ掃除させると3分でおわらせて出てくる。
うちのトイレ、汚れてなくてもひととおりの掃除すると10分はかかるのに。
あとでみにいくと、ぜんぜん便器の汚れがそのままだったり。

このまえは男性の小用トイレにウンコしてった人がいて(洋式が使用中だったんだとおもうけど)、掃除当番だった新人がすぐに「掃除できません」って戻ってきた。
みにいったら、「こんなことしたやつ、お尻もげちゃえー」って呪いたくなるような状態だったけど、掃除しなくちゃいけない状態、でもあるからね。
掃除しないと、ってわたしが言ったら、「あんなの、掃除ムリですよ。業者さん呼ばないと」って言って、そのまま掃除拒否されちゃったから、仕方なくわたしがやった。
わたしはどんな状態の汚トイレも、もうヘーキで掃除できる体質になっちゃったからねー。

その新人さんが、「きぶんがわるくなるから汚れたトイレの掃除はムリです」って訴えたので、新人さん一律、トイレ掃除の作業は免除された。
ムリにやらせると辞められちゃうから。
でも、男子もトイレ掃除をイヤがったから、「わるいけど、トイレはこれからぴのさんがやってくれない?ぴのさんがいない日はじぶんか店長がやるから」って店長代理に言われて、わたしと店長代理と店長の仕事になった。

トイレ手当つけてくれるならいーですよ、って言ってみたけど、そんなのつけれるわけないでしょ、って怒られた。

ぜんぜん仕事できないからクビになりそう、って、ひとりのシニアスタッフの人が泣きそうになってわたしにこっそり言ってきたけど。
ほんとにその人もぜんぜんいろいろできない状態なんだけど、「うちはぜんぜんクビにならないから、心配しないでヘーキですよー。いまのコンビニってどんな新人もいっぺんにおぼえれるわけないかんじになってるから、のんびりやってってくださいー」ってわたしはこたえた。

職場の高齢化、ってこういうことなんだ、って、少しずついろいろ体験で知ってく。
わたしはいい体験させてもらってるかも、っておもう。

「フツーにできてあたりまえ」の基準が、年齢によって変化する。
その変化を受けいれないと、高齢者の雇用ってムリがでてくるんだとおもう。

いまのバイトの公式マニュアルは、現役世代向け。
これからシニア世代のバイトをどんどん雇用しなくちゃなりたたない業種なんだから、バイトに求められる「最低限の基本作業」のレベルをさげるしかないとおもう。
それを標準時給にして、あとは、基本以上のいくつかの作業をこなせる人には、そのぶんの能力給をプラスする形にするべきー。
基本作業しかしないでいい人と、フル作業できる人と、時給に差をつけるべきー。べきべきー。

それで、いちおうの公平感、って保てるとおもうんだけどー。
負担の不公平感で、仕事できる人が辞めちゃったら、それは負担免除されてる新人のせいじゃなくて、おバカな経営者のせい。

ホログラムおぢさんは、あいかわらずぜんぜん仕事をおぼえる気もなくて、だいたいの作業を組んだ相手にやらせて、じぶんは気分で暴言吐いたりさぼったりしてるだけだけど。
じぶん世代の新人がはいってきて、うれしいみたい。
同世代新人たちみんなに「ぴのって人には気をつけなさいよ。人をコキつかうからね」って忠告しまわったらしい。

新人さんたちはなぜかそれをみんな、わたしにおしえてくれたので、わたしはそれを知ったの。
(あなた、こんな悪口を言われてますよ、って本人におしえるのは年齢関係なくいるねー)

わたし、いつホログラムおぢさんを「コキつかった」っけ?
(?_?)
って、目が「?」になっちゃったけど。

もしかして、このまえ、雨で床が濡れてて、ホログラムおぢさんが滑りそうになって濡れた床にものすごい口汚く罵ってたから。
「床が濡れてたらあぶないから、裏にあるモップで拭いちゃってください。モップはあとでわたしが洗うから、そのままにしてていーです」
って言ったことぐらいしか、なにか作業を頼んだことはほかにはぜんぜんない。

あれも、わたしが拭くべきだったわけかー。

って、あのおぢさんの思考が理解できた気がして、「あー、あのときのことかなー」って、うふふ、ってわらった。
あとで新人にそんなこたえかたしたじぶんを思い返したけど、それじゃ、わたしがコキつかったの認めてるみたいじゃんー。

ぴのはコキつかう鬼オンナ、って、新人さんに広まりそう('_')←広めたのはおれ



書くお仕事は、いろいろエゴサーチしたら、いろいろ電子書籍化されてるの発見した。
著者本人にぜんぜん連絡ないじゃんー、っておもったけど、なんかものすごい過去に「電子出版するけど、儲けがでたらその分払うね」っていうかんじの雑な契約書にサインしたことある。
それの契約のぶんらしいけど、いつのまにレーベル変わってない?って、よくわかんない状態でぜんぜんわかんない場所からじぶんの書いたものが売られてた。

「儲けがでたらその分払うね」の契約は、ちゃんと実行されてたらしくて。
このまえのギャラの振込みのとき、わたしが計算したのより小銭な半端な額がおおかったから、これはなんだろー、原稿料がアップしたにしてはものすごい少額でハンパ、ってナゾがってたけど、その数百円の半端な金額が「儲けがでた分」らしかった。
まえにも振り込まれたことあったけど、そのときも数百円の世界。
あいかわらずの「微額」。

こんなの、幼稚園児のお小遣いじゃんー、っていうかんじの金額を、おれ、稼いだ。

さいきん、二次使用のものがいろいろ増えたし、じぶんが書いたものがどんなかんじでじぶんの稼ぎになってるのか、ぜんぶちゃんと把握しきれてない気がする。
なんて言っても、放っておいたら口座に数億たまってた、なんていうたのしい話じゃなくて、なんかいろんなとこから小銭があつまってる、みたいな募金箱的。

アクセ作りのお仕事のほうは、この季節柄、卒園式や入園式でつけるオリジナル名札の依頼を幼稚園からいただいたり、パーティのゲスト用のコサージュのまとまった依頼があったりして、こっちも納期までいろいろいそがしかった。



春樹おぢさんの短篇の話も書きたかったけど、またこんど。
って、いつもいろいろ先延ばしにしてる話題がたまってて、そういうのをいろいろわすれてって、いろいろなかったことになってる。

春樹おぢさんの小説は、いちど読んだだけじゃ、わたしのあたまは「上澄み」しかわかんない。
でも、時間が経ってから、じわじわと、その上澄みの底に沈んでるもの、に気づいたりする。

『イエスタデイ』って短篇で、わたしがものすごい惹かれた箇所があった。
さいしょは、そこに書かれたままのものに惹かれたんだけど。
なんかそこの箇所を、いま、このブログを書くのに読み返してみて。

あ、これ、比喩なんだ、って「いま」気づいた。
そういうのに気づくの、わたしのあたまは遅すぎ。

比喩だと気づいて読み返すと、春樹おぢさんはちゃんとそれが「比喩だよ」ってわからせるようなことを書いてる。

いちど読んで、そのあとずーっと、あたまの中で読んだもののいろんなナゾ解きがはじまる。
それが春樹おぢさんの小説のたのしさだし、それがいろいろわたしのあたまには疲れてしまうから、読みたいのにすぐ手を出さない「ためらい」にもなってるんだとおもう。

『イエスタデイ』のー、氷の月はー、詩的なステキイメージとかじゃなくてー、氷の月イコール木樽のおにーさん自身、なんだねー。
20センチの厚さの氷の月、は、二十歳の木樽おにーさん、ってことじゃないのー?

っておもったんだけど、ちがう?(自信がない)

だれかー、こたえあわせしてー。


女のいない男たち (文春文庫 む 5-14) -
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じゃあの。


posted by ぴの at 17:17| オーランド 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする