2017年04月17日

桜ひらひら朧月ひたひた音なき春の音を聴く夜更け

桜がまだ持ってる。
ことしの桜は、おなじ地域でも咲き方がバラバラで、早いのはもうかんぜんに葉っぱだけの新緑の木に変身してるけど、のんびりな木は出てきた葉っぱと一緒に咲きつづけてる花はまだまだきれい。

ゆうべは温暖だとおもう地域の場所の川の桜並木がまだ見事なのを見かけて、ぜんぜん儚くない桜もいいねー、っておもった。

うちの近くに森から離れてたった一本だけぽつんとある桜の木は、いつまでもぜんぜん咲かないから、「いつ咲くのかなー」って通るたびにちらちら見てた。
そしたら、いつのまに葉っぱが出てきて、葉っぱだけの木になって、桜の花は2〜3個だけ満開状態でついてた。
ものすごい暴風の日だったから、満開の花がいくつかまとまってる小枝(花茎?)が、ぱらぱらと地面に落ちてた。
風のせいで花が丸ごと飛ばされちゃったんだー、ってかなしくなってたら。
その次の日、風がなくなって暖かかったら、一日で木全体が花だらけになってた。

ひゃー、24時間も経たないうちにぜんぜん葉っぱしかなかった木がいきなり満開で、ものすごいびっくり。

そんなかんじで、ことしはヘンな気候のせいか、あちこちでイレギュラーな咲き方の桜をたのしめたねー。
散る時期がずれてるから、いろんなところが数日にわたって桜の絨毯になってて、桜が長持ちするとしあわせも長持ち。

花はなんでこんなに華やかで艶やかな姿をしてるんだろう。
いろんな色があって、カタチもいろいろで、こんなにたーくさんの花が咲かなければいけない理由ってなんだろ。

星に生命が生まれたとしても、こんなにたーくさんの種類になる必要もない気がするけど、植物も生物もわけわかんないぐらいに種類が膨大。
ニンゲンだって、いろんな人種がいて、こんなにたくさんの種類で共存する自然の摂理を、生物学的なことには無知なわたしはフシギにおもう。

いろいろとつらいことが重なってるいま、春ギライのわたしはいろんな花に癒されてる。



このまえ、用事で出かけて、通りかかったパスタ専門店でランチしたとき。(ピークタイムはすぎてた)
たった1時間もいないあいだに、いろいろおもしろいことがあった。

ひとりで食べてたら、フロアにいた店員さんがいきなり「シメサバでーす」って声あげて。
「え?シメサバ?パスタ屋さんにシメサバなんてあるの?」って、ちょっとフシギにおもった。
そしたら、また少し経って、「シメサバでーす」って言うから。
まただれかが「シメサバ」頼んでるんだ、って、メニュー開いて「シメサバ」が使われてるお料理を探しちゃった。
マリネになってるサラダみたいなのか、和風のシメサバパスタみたいなのがあるのかなー、って。
でも、鯖なんて使われてるメニューはひとつもなくて、「???」っておもってたら、また店員さんが「シメサバでーす」って言うから、そっち見たら。

「おひとりさま」のお客さんを案内してるとこだった。
あ、「一名さまでーす」って言ってるのが、「シメサバでーす」に聞こえたのかー、って気づいた。

マンガの『あたしンち』でも、みかんのお母さんが美容院に行ったら、店員さんが「しあわせ?」っていきなり言うから、びっくりして「しあわせです」ってこたえようとして。
でも、その店員さん、「いらっしゃいませー」って言ってるだけだったのね。
それ読んだとき、「いらっしゃいませー」が「しあわせー」に聞こえるかなー、っておもったけど、わたし、実際にその体験した。
近所のセブンイレブンに行ったとき、いつも口先だけ愛想がいい(そのくせ感じ悪い)おばさんの店員が、「しあわせー?」ってわたしがはいったタイミングで叫んでたの。
あ、ほんとに「しあわせ」って聞こえるー、って可笑しくなった。

「一名さまでーす」も、「シメサバでーす」に聞こえるよ!
どこかで体験してみてみて。

それから。
そこで食べたあと、帰るまえにトイレにはいった。
そこは女性用と男性用がひとつずつしかなくて、ドアにそれぞれピンクの人型とブルーの人型のプレートがついてる。
ピンク側でわたしはおしっこしてたら、ドアが乱暴にドンドン叩かれて、「はいってますよー」の返答するヒマもないうちにガチャガチャ開けられようとした。
鍵かかってると、外からちゃんと赤く見えるからわかるのに。

なんで中の人を確かめないうちに開けようとする人がいるんだろう、って、いつもドアをガチャガチャする人にうんざりする。

でも、そのときは開かなかったから、そこで待たれちゃうかなー、っておもった。
わたし、トイレのすぐ目の前で待たれるのもキライ。
じぶんが待つときは、席に戻るか、離れたとこで待つようにしてるし。

そしたら、ドアを乱暴にガチャガチャした人は、すぐに隣の男性用にはいってった。
えー、その人の性別はなにー、って、ものすごいナゾになった。
隣は男女兼用じゃないからねー。
わたしが先に出て、隣から出てくる人をなにげに席でちらちら待ってた。
そしたら、出てきたのは50代〜60代ぐらいのおばさんだった。

なんでー。
おばさんはー。
男性用にー。
ためらいなくはいれるのー。

高速のPAや、ものすごい行列ができてたTDLとかでも、すたすた男性用にはいってっちゃう「おばさんたち」って見かけたことなんどもあるけど。
中に男性がいてもはいってっちゃうんだよねー。

そのトイレ事件のあとで。
わたしがお会計でレジに行ったら、ひとりのおばあさんがお会計してた。
「ひとりずつで」って言ってたから、ほかのおばあさんたち(わりと高齢の女性数人のグループ。トイレのおばさんとは別)と一緒のレシートで個別会計をしたかったみたい。
その人がお会計してもらって、わたしがすぐ後ろに並んで。
そのときはほかの人たちはまだ席にいて、トイレに行く人もいたりして騒いでたけど。

わたしの番になったとき、「ちょっと!こっちが先よ!」って、席からぞろぞろレジに来て、わたしの前にはいりこんじゃった。
店員さんが、「こちらのお客さまがお先ですのでー。後ろにお並びくださいー」って言ってくれたけど、「あら。わたしたちのレシート(伝票のこと)はそこでしょ。こっちが先じゃない」っておばあさんたちは主張。
何人もいて、それぞれ個別会計するつもりで、わたしの先にいた人なんてものすごいモタモタお金だしてたから、どれだけ時間かかるんだろー、ってわたし、うんざりした。

店員さんは「個別会計でしたら、こちらのお客さまが先になりますので、それぞれ後ろに順番にお並びください」って、また言ってくれた。
「え?そうなの?」
「おかしいんじゃない?レシートはもう出してるんだから」
「わたしたち、その人(さいしょにお会計してた人)と一緒なのよ」
「まとめてやって頂戴よ」
って、みんなでガヤガヤ騒いで、レジの前からどかないから。
店員さんがものすごい困った顔して、「では、残りのお会計は……」って、ぜんぶまとめた金額を口にした。

そしたら、「ひとりずつにして頂戴よ」って個別会計を言いだして。
「そうよ、そうよ。じぶんが食べた分じゃないと、わかんなくなるわ」って、みんなまた騒いで。
「まとめてやって」って言ったばかりじゃんー、ずるいー、って、わたし、うんざりしてた。

「おひとりさまずつでしたら、やはり、そちらのお客さまがみなさんより先にお並びだったので」って、店員さんはまた言ってくれた。
「あら。そうなの。先にやりたいの。じゃあ、いいわ」
「急いでるんでしょ?じゃあ、譲るわよ」
「若い子はこういうレジ、待てないもんねー」
って、なんかものすごいイヤミを浴びせられて、わたしの後ろに並び直した。

わたし、ここでお礼を言うべき?
って、すごい迷いながら、わたしも困った顔してお財布取りだしたら。
「譲ってあげたんだから、あなた、お礼ぐらいは言わないと。それがマナーよ」って、上品そうなおばあさんに優しく腕を叩かれて、諭された。

え、わたしが譲ってもらったのー?
って、ものすごいモヤモヤして、「わたしが先に並んでたんです」って言い返しちゃった。
店員さんも、おばあさんたちにうんざりしてたみたいで、「こちらのお客さまが順番先なんですよー」って言ってくれた。
「そう。じゃあいいわ。若い人は仕方ないものね」って、上品そうなおばあさんはひきさがった。

お会計をしてもらって出ていくとき、そこにいたおばあさんたちが、「うちの嫁も……」って、いろいろ悪口言ってて、それとわたしを重ねてた。

出てから。
ものすごいモヤモヤが残って。

わたしは、「折れて」、お礼を言って先にお会計するのがよかったのか。
それとも、あの人たちに先にやらせてあげればよかったのか。

「ステキなオトナ」としては、どれが正解だったのー、って、「オトナ検定」の試験問題に悩むきぶん。

わたしは、「若い子はこういうレジ、待てないもんねー」っていうイヤミにカチンときちゃったんだよね。
待てないのはそっちなのに、わたしがここで譲れば、「順番を待てないおバカな若者が年配の人に怒られてそれに渋々従った」みたいな図式になるのが、くやしかったんだとおもう。

でも、わたしが「わたしのほうが順番先なのです」っていうただしさを示したとしても(店員さんもいっしょに)、どうやってもあの人たちには「そうか」って気づいてもらえない。
絶対的にあっちには、わたしが順番を抜こうとしてる、ってしか解釈できてないんだから、わたしがどんなにじぶんのただしさを主張しても、なんの意味もない。

わたしの理想は、「ちがいますよ。わたしが先です。でも、あなたたちに譲りますよ」ってことを上手に伝えれるオトナ。

海外の小説読むと、「自己主張」と「利他主義」を同時に扱えるオトナのキャラクターがたーくさん出てくる。
それに、わたしはすごい憧れる。
でも、そうなるには、わたしにはものすごい難しい。

いろいろ似たようなモヤモヤ事件があるたびに、どういうオトナであるべきだったか、って、じぶんの態度にものすごい悩みながらも、いまだ正解が見つけれてない。
このパスタ屋さんの一件では、相手のイヤミにカチンときてくやしくなった、ってとこが、じぶんの小児的な過ち。
っていうのは、わかるんだけどねー。

やれやれ。(春樹おぢさん風)

たった一時間弱のランチタイムで、「口先接客の空耳事件」と「性別不明トイレ事件」と「順番の正義事件」とたて続けに経験して、なんか人生の深淵をいろいろ覗きこんだきぶんになった。
そういうのは、おもしろいとおもうけど。

きのうの草なぎさんと香取さんのラジオで、草なぎさんが丁度そんな話してた。
どこに行くにも耳栓必須、なんだって。
人が多いとことかだと、人の雑談が耳に入るのがイヤなんだって。
耳に入れば、それでじぶんの思考が生じてきちゃうからって。
人のいろんな話に、じぶんがいろいろかんがえだすのがめんどくさくて、それを防ぐために人の雑談をシャットアウトする耳栓がぜったい必要なんだって。
見ザル聞かザル、がいちばんいい、って。

人の雑談からいろいろかんがえるのがいろんなアイデアのヒントになる、って、創作系の人なんかは言うけど。
かんがえてしまうことに疲れる人、もいて、当然だよねー、っておもった。
なんにもかんがえないでパスタ食べて、トイレでおしっこして、それでお金払って、店を出て歩きだして「あー、おいしかった」って数分だけ余韻があって、それでおしまい、っていう人生のほうが、ほかにかんがえなくちゃいけない大切なことをかんがえる脳の体力が残るよねー、ともおもった。



家族と暮らしてたとき、シャンプーとかトイレットペーパーとか、さいごまで使い切った人が「あたらしいのを補充」しないことに、いつもぷんぷんしてた。

ひとり暮らしするようになったら、そういうぷんぷんから解放される、っておもったけど。

トイレはいったとき、ペーパーのカバーあげたら空のペーパーの芯がついてるだけ、とかわりとしょっちゅう。
使い切ったら、あたらしいペーパーつけとけー、って、このまえトイレはいったじぶんにぷんぷん。

お風呂でも、時間なくて急いでシャワーあびたいのに、シャンプーが空になってたとき。
使い切ったら、その場で詰め替え用補充しとけー、って、このまえシャンプーしたじぶんに激怒する。

ぷんぷんストレスには、家族は関係なかった。
やれやれ。(春樹おぢさん風)

(いまもトイレ行ったら、ペーパーホルダーに芯だけついてた。ぷんぷん)



またラジオの話。
ラジオで聞いた話にいろいろモヤモヤした話。

ゆうべは村山由佳さんの番だったんだけど。
女性リスナーからのメールに、わたし、ちょっときぶんが荒れた。

再婚した人で、それまでは子どもの学校行事には別れた夫も来てたけど、これからは「あたらしいお父さん」との暮らしをだいじにするために、もう別れた夫には来てもらわないほうがいいのかも、っていう悩み。
これの村山さんの応えは、さすが、だった。

そのリスナーの人の気持ちもたてながら、最終的には、子どもの気持ちをいちばん大切に、って言って。
子どもはどういう望みをもってるか、それを聞いてみて、って。

親の離婚と再婚、って、「家族の問題」であるようだけど、結局はその当事者の夫と妻の関係にすぎないよね。
子どもには決定権が与えられてないんだから。

子どもにとっては、「お父さん」「お母さん」は、生まれてからずっと「お父さん」「お母さん」っておもってた人だけ。
「あたらしいお父さん」なんて、再婚する母親が勝手につけた肩書き。

「あたらしいお父さん」も「古いお父さん」もいないんだよ、子どもには。
「お父さん」は、物心ついたときから「お父さん」っておもってた人だけ。

オトナな子どもは、父親や母親が取り替えた「あたらしいお母さん」や「あたらしいお父さん」を、「あたらしい親」と思い込もうとする。
でも、それを親側から押しつける感覚に、わたしはいつもモヤモヤをかんじてた。

子どもの学校行事に、離婚して別居するようになった「お父さん」が来てくれてたなら。
そこで、子どもとお父さんの関係は、親の離婚に関係なく、良好につづいてた、ってことだよね。
なんで、子どもの行事に、子どもにとって赤の他人のオトコが「お父さん」の代わりに来なくちゃいけないの?

そのメールには、別れた夫といまの夫といっしょにお昼を食べるのもどうかとおもう、みたいなことが書かれてたけど。
ふたりの「夫」が同席することにモヤモヤするのは、そのリスナー本人の感情にすぎないじゃん。
じぶんの「まえのオトコ」と「いまのオトコ」が揃った場に「オトコを取り替えたオンナ」のじぶんが居づらいだけ。

子どもに「あたらしいお父さん」になじんでもらいたい気持ちもわかるけど、ほんとのお父さんと逢える機会を奪ってしまっていいとはぜんぜんおもわない。

書くお仕事で知り合った、わたしと同世代の男子から、いろいろそんな話も聞いてた。
小学生のころにお父さんと離婚して、母子家庭で育って。
お母さんはものすごい苦労して働いてくれたのを、その男子もわかってて。
その彼が大学受験期に、お母さんは再婚したんだって。
相手の男性はお金に余裕がある人で、狭い母子家庭のアパート暮らしから、広い一軒家に引っ越すことになって。
その彼とお姉さんの父親代わりになろうとしてくれる優しい人で、大学も私立でもどこでもちゃんと行かせてくれる、って話だったんだって。
18歳になったら、免許取らせてくれて、車も買ってくれたんだって。

でも、彼は「あたらしいお父さん」のお金でじぶんのめんどうみてもらうのがイヤで、大学受験をやめて、高卒で寮があるとこに就職して、ひとり暮らしをはじめたの。
それで、作家になりたくて、わたしと同業者のあつまりに顔だすようになって、わたしとも知り合ったんだけど。

お姉さんは、個室もちゃんともらえた家で「他人のおぢさん」と暮らすのがイヤで、やっぱり寮があるとこに転職してすぐに家を出ちゃったんだって。

「いい人」なんだけど、けっしてじぶんたちの「父親」ではない、親代わりにもなってほしくない、って、その彼は言ってた。
苦労した母親にはしあわせになってほしいから、再婚は反対しないんだって。
でも、そのオトコとじぶんたち子どもは「親子」にも「家族」にもならないって。
お姉さんやじぶんには、お母さんの再婚した相手は赤の他人にすぎないオトコ、だって。

彼はその再婚相手の人のことを「ヒト(他人、の意)」って言うの。
買ってもらった車は結局家に置いて出てきたらしいけど、そのときの車の話をしたときとか。
「ヒトの車」って言い方するのね。
免許取ってすぐ、ヒトの車でちょっとドライブしたけど。みたいに。

オトコとオンナ、が、愛し合って夫婦になるのは自由。
だけど、子どもは、血の繋がらない他人を、「親」とおもえるほうが稀じゃないのかなー、っておもう。

夫婦はもともと他人だから、いくらでも相手を交換できる。
でも、親子は、交換きかない関係だからねー。
こんな親、とおもっても、ずっと死ぬまで親子。
愛してる親、は、別々に暮らしてたって、死別したって、いつまでも「代替できない親」。

親は再婚したなら、その相手は「あたらしいお母さん」「あたらしいお父さん」じゃなくて、「あたらしい家族」として、「子どもの家族」に加えていくしかないじゃん。

子どもの行事には、子どものほんとの親が来ていいとおもうし、「あたらしい配偶者」のほうが遠慮するとか、別れた元配偶者の人と「オトナのつきあい」をするのが、「オトナ」じゃないの、っておもう。

じぶんの親が離婚するだけで、子どもは傷つく。
再婚も、すごい傷つくとおもう。
わたしは、お父さんに「お母さん以外のオンナ」がいるのを知るたびに、お父さんがとられちゃったきぶんになってかなしかった。
お父さんはそっちを選んだんだ、って、傷ついた。

お父さんが他所の女性とのあいだに子どもをつくっても(わたしは異父兄弟・姉妹がものすごいいる!)、じぶんと半分血が繋がってる「きょうだい」なんておもわない。
赤の他人、でしかない。
「おまえのきょうだいだよ」なんて、関係性を押し付けられたくない。

親が勝手に築く「あたらしい家族の関係性」に、子どもも巻き込まないでほしいよねー、っておもう。

お母さんはお父さんと別居してから、ぜんぜんほかの人と恋愛しなかったとはおもえないけど。
その気配すら、わたしや弟には感じさせなかった。
恋愛してもいい、とおもうけど、お母さんがもし「カレシ」をわたしたちに紹介したら、わたしは傷つくか、不快だったとおもう。
それをしなかったお母さんに、ものすごい感謝してる。

もしお父さんとずっと前に離婚して、お母さんが再婚したとしたら、それもわたしはイヤだったとおもう。
やっぱり、じぶんにとって「他人のおぢさん」が家にはいりこんでくるのは、生理的にものすごいイヤだよ。
優しく父親面されても困るし、なんかいろいろイヤな態度を出されたら、もっとイヤになるし。
でも、親が引き入れた他人、を、子どもは排除できない。

親の再婚、って、子どもにとっては、ものすごい重たいものだとおもう。
子どもが自立する力を持つまでは、子どもの気持ちを優先させて、って、親権をとった親にはおもう。

親にもしあわせになる権利はもちろんあるけど、子どもをじぶんの意思でもった時点で、子どもをしあわせにする責任、もあるんだから。
親が離婚したからって、子どもは「片親」になるわけじゃない。
子どもにとって、「両親」は、家族の形態がどんなふうに代わっても、「存在」はするんだから。
親が好きになった他人を、子どもも好きになれるとは限らない。
それを意識して。
ともおもっちゃう。






ロードの新曲、カッコイイ。

わたしも「Green Light」が必要な行先がある。




posted by ぴの at 14:09| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする