2017年06月12日

じぶんのこころがどんどん狭くなる実感

雨なんて降ってない日に梅雨入り宣言が出て、しばらく雨は降りませんってラジオで言ってたから、ムリヤリ時間つくって洗車したら直後に雨が降ってきて。
天気予報のナゾに振り回されてるけど、梅雨だから許しちゃう。
6月の雨期は7月みたいに蒸し暑さがないから好き。

梅雨の晴れ間にストロベリームーン


赤い満月にこんな可愛い名前があったんだねー。
ことしは見えたよね。

ゆうべは満月が少し欠けたぐらいのまるい月で、海岸に打ち寄せられる波しぶきの白いぶぶんがキラキラ光ってた。
その「キラキラ」を見て、このまえの夜光虫発生の二日後に通ったときの「キラキラ」のちがいに気づいた。
夜光虫が発生してから翌々晩になるから、もういないよねー、っておもったけど、134号線は大渋滞。
まだこんな渋滞してるとおもわなかったから、そのルートを通ったことを後悔しながら、徒歩の人より進まない渋滞にはまってた。
だから、夜光虫目当てのドライブじゃなかったけど、車が停まったときにチラチラ海を見てたら、波打ち際がものすごいキラッキラッ輝いてたのね。
CGとかで光らせた演出みたいに、ものすごいキラッキラッ光ってた。

そのときも月があったから、月光だとおもって、渋滞のみんなはあれが夜光虫だとおもってスピード出さないんだろうなー、ってかんがえてた。
だけど、ゆうべの月光でキラキラ光ってた波打ち際を見たら、こんな程度の光り方じゃなかった、っておもった。
やっぱりあれは月光のせいだけじゃなくて、夜光虫の輝きもあったのかな。



先週のNHK-FMの「眠れない貴女へ」っていう深夜の女子会ラジオは、村山由佳さんともうひとりのナビの人といっしょに公開収録だった。

その会場に来たリスナーさんや、その後感想を送ってくれた人の中には、男性がかなりいた、ってゆうべ言ってた。
ラジオで「女子会」って言い切っちゃうことの是非はともかく、「女子会」っていう場にずかずか入り込んでくる男性、っていうのがわたしは苦手かも。
女性の味方、女性の理解者、っていう自負があるのかもしれないけど、だいたいはそれ、的外れだから。

この番組、ふたりの女性ナビゲーターは、同性のリスナーにはものすごい親身だけど、異性リスナーにはわりと辛辣。
それがわかっていて、わざわざ女性からなにか言われそうなメッセージを送ってくる男性の心理って、マゾなの?
それとも、じぶんは女性をちゃんと理解できてるっていう自負がつよいの?

わたしがこの番組、村山さんじゃない日は聞かない理由は、ナビゲーターの人は子どもがいる既婚者で、しょっちゅうじぶんの「夫」や「子ども」のエピソードを語るから。
リスナーからのメール読んで、その内容にコメントするんじゃなくて、「わかります」って共感だけすると、すぐにじぶんの家族語りになるのね。
その人の家族の話なんて、べつに聞きたくないのに、っておもう。
じぶん語りをするなら、「子どもにこう言われた」とか「夫がこんなことした」って話じゃなくて、じぶんがなにをしたかっていうじぶん主体の話をして、っておもう。

家族がいれば、家族から影響受けて生きるのはあたりまえだけど。
なんで仕事の場でも、家族の話を中心に持ち出すのかな、って、こういうタイプの既婚者にいつもうんざりする。
「あなた」には興味があっても「あなた」の身内に興味があるのとはちがう。
「あなた」がどんなケッコンをしたか、っていう話は「あなた自身」の話だから興味あるけど、「あなたの家族」の人生観にはいちいち興味ない。

そういう話をしたければ、ブログとかSNSとかじぶんの私的な語りの場をつくって、そこで好きなだけプライベートの話をすればいいとおもう。
なんで、プライベートな話を仕事の場に持ち込むのかな。

わたしもブログではいろいろ書いてるけど、仕事ではプライベートな話はじぶんで話題を制限してる。
仕事関係の場では、人の話を聞きながら、その人への興味を示すことよりもじぶん語りにすり替えるような話術をじぶんがクセにしないように気をつけたいとおもう。
(友だちとの雑談は、みんなそれぞれがじぶん語りで盛り上がっていいとおもうし、それがたのしいし)

ラジオ番組はナビゲーターの私的な話も魅力のひとつなんだとはおもうけど。
リスナーが語る話を、いちいちじぶんの家族語りに変換しないで、っていつもかんじちゃってたんだよね。
それにイライラするじぶんがバカらしくなって、村山さんの担当の日以外は聞かなくなってった。

でも、既婚者同士なら、そういう夫や子どもの話題はたのしいんだろうなー、っておもうから。
この番組、単身者と既婚者の交替ナビ、っていうのは、バランスが取れてるんだろうね。
じぶんと合わないほうは聞かなければいいだけ。



どこもバイトの質が低下してるなー、って可笑しくなったこと。

さいきん、シナリオ的な興味からレンタルDVDを借りるようになったけど。
パッケージと中のディスクがぜんぜんちがう、っていうことが頻繁。
いままでだって、たまにそういうことがある、っていう程度の頻度では経験してたけど、さいきんはほぼ毎週借りてきたどれかが間違ってるかんじ。

あんまり毎回いろいろちがうから、「さいきん中身がちがうことが多いんですけど」って、中が間違ってるDVDを見せながらカウンターの人に言ったら(いつもはセルフレジ利用)、「中の確認はお客さんの自己責任ですけど」って冷淡に言われただけだった。

それはそうなんだよね。
確認しないじぶんがわるいんだけど。

だから、ちがうから返金して、とか、そういう苦情のつもりはなかったの。
ただ、まいかいどれかがかならず「中がちがう」ぐらいの頻度になってるから、その問題をお店として改善しないのかなー、っておもって、「しょっちゅう中がちがってます」っていう事実を伝えたかっただけだった。

だけど、接客マニュアル的な謝罪のコトバが出るわけでもなくて、自己責任だから、って言い返されただけだから、たぶんこれからも変わらないとおもう。
このお店は、パッケージと中のディスクを取り違えることを防止する意識、っていう必要性はないんだとおもう。

わたしはこれ、なんだか可笑しかった。
ちゃんとやって、っていう腹だたしさなんてぜんぜんなくて。
「あーあ、どこもサービスの質は低下してくねー」っておもって、これからはこのお店で借りるときは中をちゃんと確認しなくちゃだねー、ってじぶんの意識をかえた。

お客側がサービス低下を受け入れる、っていうことについては、じぶんがこのまえ書いたばかりだけど、実際じぶんがそういう体験をしてみると、そんなに不快なことじゃない。
っていうか、「ここで借りるときは中を確認しなくちゃダメだよ!」ってネタになるからおもしろい、っておもった。

わたし、連続アニメを一巻ずつ借りてるんだけど、嫌いな話があるのね。
その嫌いな話のディスクがしょっちゅう「今週借りたパッケージ」に入ってるから、「またこれだー」って呪われてるみたいでわらった。
ぜったいこれ、呪いだとおもう。

なんど見ても、その話だけ嫌い。
わたしが見ながらこころの中で悪態つきまくるほど嫌うから、なんどもなんどもわたしは呪われて借りちゃうんだとおもう。



「呪い」つながりの話。

ビッグコミックスペリオール 2017年13号(2017年6月9日発売) [雑誌] -
ビッグコミックスペリオール 2017年13号(2017年6月9日発売) [雑誌] -

スペリオールがこの号からうちのお店に納品されるようになった。
(本はお店から発注するんじゃなくて、勝手に配本の内容が決められて納品されてくる)

「響」が表紙になってなかったら、ここで連載されてるのは気づかなかったとおもう。
このコミックじたいは、うちのお店はぜんぜん納品されないんだけど。

このとき、わたしがたまたま検品したから、検品しながらこの号の話だけ読んじゃった。
そしたら、話がなぜかオカルトになってた。
そっちの路線のエピソードはやめてー。
折角の「文学的カリスマ性」が胡散臭くなるから。

それだけ。
でもこのコミック誌、ほかのもおもしろそう。
毎号購読しようかな。



眠れぬ家 (講談社文庫) -
眠れぬ家 (講談社文庫) -

これ読んだ。
アマゾンにレビューがぜんぜんないぐらいだから、ぜんぜん知られてない小説なのかなー。

だれも読んでないような小説の感想をブログに書いても、なんの意味もないかも。
だれも知らないような話についていろいろ書いても、なんのことかわかんないだけだもんねー。

懐妊し幸福の絶頂にあったアンナ。夫が突然、謎の自殺をする。ショックを受けた彼女は、生まれ来る子供のため自然の中にある夫の実家に移り住む。だが誰もいないはずの屋敷には夫の兄弟が出入りし、また夜中には足音や物音が…。恐怖に立ち向かうアンナ。そして驚くべき真相とは!?傑作サイコ・サスペンス。

『眠れぬ家』///タム・ホスキンス
:裏表紙あらすじより


これを読んでみようとこころ惹かれたぶぶんは、「夫の屋敷に住む」っていうとこ。
フツーの家、じゃなくて、お屋敷、だからねー。

びんぼー育ちだから、「お屋敷」にはなんかものすごいわくわくしちゃう体質のわたし。

読みだしたら一気に読み終えちゃったんだけど。
読みやすいか、っていうと、前半ぶぶんはとくにそんなことはない。

女優から作家に転身した、って作者のプロフィールにあったから、そこに偏見が生じたせいか、それとも英語の小説ではよくある文体なのかはわかんないけど。

なんかいろいろ文のつながりがヘンすぎて、意味がわかんないよー、っていうかんじが前半にはつよかった。
後半はそうでもなくなったから、書きなれてきたせいなのかな。

主人公が妊娠して、写真家の夫もそれを喜んでて、でもそんな妻の妊娠中に夫はとつぜん首吊り自殺をしてしまった。
妻は夫が自殺した理由がまったく思い当たらなくて、他殺も疑って、真相を知るために夫が相続した実家にひとりで移り住むことにした。
その実家は夫の死後は夫の兄弟ではなく妻のじぶんが相続したから。

それで、車に必要な荷物だけ詰め込んで、ケッコン生活を送ってたマンションは売り払って屋敷に来るんだけど、そこには何年も行方不明になってた夫の上の弟が密かに住んでいて、近所には末の弟が妻と住んでて、この夫婦は勝手に屋敷に出入りして。
真夜中には、家に不審な音が聞こえてくる。
この音については、屋敷に住みついてる上の弟も原因不明でわかってない。

そのうち、末の弟夫婦の異常性がだんだんわかってきて、命の危険をかんじるようになったけど、だれもそれを信じてくれなくて、じぶんが末の弟夫婦によって精神病院に入れられちゃう。

主人公大ピンチーーーーーーーーーーーー。

ってかんじのストーリーなんだけど。

ぜんぜんピンチがピンチ感なくて、サイコ・サスペンスっていうけど、だれがー、サイコパスだったのー、って、読み終えてもぜんぜんわかんなかった。
強いて言えば、夫兄弟たちのお父さん?
でも、お父さんの異常性はサイコパスというほどでもない気がするし、お父さんは「サスペンス」の主犯じゃないよねー。

ってことを、いろいろと語りたいのに、これを読んでる人がぜんぜんいないなら、だれとも語れないじゃんー。
じぶんの解釈のこたえあわせとして、アマゾンのレビューを参照することもできないじゃんー。

だってー。
夫が死んだ理由、と、この小説のサスペンス的展開の関連性がよくわかんない。

ぜんぶ読み終えてからプロローグを読むと、夫が死んだ理由がうっすらわかる気がするけど。
わたしの解釈だと、妻が夫を死なせたようなもんじゃんー。
っていうか、夫はこれから子どもが産まれるのに、夫自身の「過去」のほうが重たいなら、夫には子どもを持つ資格なんてなかったことになる。
っていうか、ケッコンもするなー、ってことになる。

なんでこの夫、ケッコンして、妻を妊娠させたの?

妻も、お腹に子どもがいるっていうのに、夫の屋敷の状態を確認しないでいきなりマンションを売り払って戻れる家をなくした状態で引っ越すのは無謀すぎて、リアリティに欠けすぎる。
ライフラインが生きてるのかも確かめないし、どれぐらい「無人」で放置されてたか家の状態も知らないぐらいなのに、その夜からいきなり(電気のない)寝室のベッドで寝るとか非現実的。
だってー。
寝具はどうしたの?
放置したままだったら、カビとかダニとかすごそう。
ぜったい寝れる状態じゃないよね。
ほかの部屋はどこも埃の層がものすごい、って書かれてるんだから、じぶんが寝室に決めた部屋だけ清潔なのは設定としてヘン。

魔女の宅急便のキキだって、貸してもらった埃だらけの放置部屋のベッドや床を掃除してからつかってたじゃんー。

キッチンも使えるかどうかも確かめないで引っ越して、栄養が大事なカラダの食生活はどうする気だったの?
お風呂とかトイレとか使えなかったらどうしたの?
病院も近くにないのに、妊娠してる女性がそんな環境にみずから引っ越す、なんて、ほんと、あり得なさすぎる。

でもこの作家、女性なんだよね。
女性的な感覚で「女性主人公の私生活」が書かれてないから、なんかこの主人公に感情移入もしにくい。

出産した病院も、退院するときに「じぶんを殺すかもしれない弟夫婦」がむかえにきて、主人公の拒絶を病院はぜんぜんまともにとりあわないし、主人公も渋々連れ帰られて。
えー、なんで主人公の両親をそこで呼ばないのー?
って、ものすごいナゾだった。
新居に越したばかりの両親の連絡先を持ってきてなかった、って理由はあったけど、両親の引き取りじゃないと退院しない、って言い張ったら、フツーなら病院は、妻には他人の「弟夫婦」より、妻の両親に引き渡そうとするもんじゃないの?

いろいろピンチになるんだけど、ぜんぶ逃げられるじゃん、っていう状況を、ぜんぜん逃げないでピンチをかんじてる主人公に、「あなたバカなの?」としかおもえなくて、なにがサイコサスペンスなのかわかんなかった。
アマゾンにレビューもないぐらいに知られてない小説、っていうのがわかる気がした。

でも。
サスペンスとしてはぜんぜんおもしろくないんだけど。
書かれてる内容は、ものすごい重たくて、これはこれで書き方次第ではすごいおもしろい作品になったとおもう。

夫の両親、妻の両親。
それぞれが闇をもってて(妻の両親も善人のようでそうでもなかったし)、これはサイコパス、っていう異常な人格の話にしなくても、フツーのニンゲンが持つ闇の類だとおもう。

異常行動をとる弟夫婦も、人物描写がすごいわかりにくい。
夫婦ともに「人物像」がよくはっきりしない。

この話。
いちばんの悪人は夫兄弟のお父さんなんだけど。
子どもたちにとって、いちばんの「鬼」はお母さんかも。

そんな両親のもとで生まれて育った夫兄弟は3人とも深い傷を負ったままオトナになって。

主人公である妻さんも、実の親に捨てられて養父母に育てられたんだけど、養父母からは愛されて育った。
それでも実の親に見捨てられた事実には傷ついたまま。

みんな、それぞれ傷を負ってる。

でもでも。
この主人公、実はみんなを傷つける側になってるよねー、って読んでおもう。
あきらかにこの主人公が、養父母や夫を傷つけてるよね。

この人、相続した夫の実家は兄弟に返してあげればいいじゃん、ってすごいおもったし。
兄弟にしてみれば、じぶんの実家が、長男の妻(兄弟には赤の他人)、に相続されちゃうの、って、やっぱりイヤだとおもう。

末の弟が屋敷をもらえるとおもったから、うまく逃げ出した兄ふたりとちがって実家に残って、つらさを耐えて両親に尽くした事実を知ってからも、その弟に屋敷を譲ろうとしない主人公の心理がまったく理解できなかった。
その屋敷になんの思い入れも愛もない他人が、なんで夫の兄弟が生きてるのに夫の実家である屋敷をじぶんのもののようにふるまえるのかわかんない。
法律では所有権はじぶんにあるのだとしても、夫側の家族にしてみればものすごい理不尽な相続だよね。

じぶんの加害性にはなにひとつ無自覚だから、この主人公がいちばんニンゲン的にやっかいでこわい。

「愛」ってなんなの?

そんなこと読んでてかんがえる。

だいじな人の傷を「ぜんぶ知りたい」欲も愛かもしれないけど。
そこに触れずに知らないふりをすることも、愛だとおもう。
主人公の死んだ夫は、妻にはじぶんの過去に触れないでほしいと言ってた。
だけど、主人公にはその後者はさいごまで理解できなかったのかも。

愛する夫を知ることで、夫を傷ごと包んであげるのが愛だとおもってたんだとおもう。

夫の死を、この妻は永久に理解できないのかもしれない。
理解したようなラストになってるけど、わたしの解釈だとねー、夫の死をぜんぜん理解できてないじゃんー、っておもったの。
だから夫が死んだんだよー、っておもったの。

この妻はなぜ、夫を死に追いやった罪悪感には駆られないの?

そのじぶんの解釈のこたえあわせを、だれかとしたい。


posted by ぴの at 21:43| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする