2018年09月01日

夏おしまい

やっと酷暑の夏が終わる。
気温が30℃以下になった夜は毛布がいるくらい極端で、生活の乱れはカラダにちょうどいい気候が安定しないせいにしとく。

でも、ことしの夏はめいっぱい楽しんだ。
いろいろ遊んだ、って意味じゃなくて、暑さを敵にしない術を少しは身につけたかんじ。

暑すぎるせいか雑草があまり生えなくなってた駐車場は、猛暑が落ち着いて夕立が繰り返されるようになった途端、見えてる土をおおい尽くす勢いでいきなり草原化した。

まいにち雷はどこかに落ちて、そのたびに一瞬の停電がめんどうで、空が怪しいネズミ色になると執筆道具をトートバッグに詰めてファミレスに避難する。

わたしがよく行くファミレスは、いろんな人たちが作業場としてつかってる。
服のデザインをタブレットとスケッチブック広げていろいろ描いてる人。
マンガを描いてる人。
小説らしきものをノーパソで書いてる人。
絵本の下絵を描いてる人。
色鉛筆で草花の絵を描いてる人。

どう見ても全員日本人に見えるおじいさんたちが全員英語でしゃべってるナゾのグループもよく一緒になる。

そこのファミレスはひとり、ものすごいかんじの悪いおばさんの店員がいる。
接客に向いてなさすぎるひどい態度なんだけど、お店で注意されないのか、ぜんぜん改善される気配がない。

そのおばさんにあたるたびに、「あ、ハズレだー」って、今日の悪運はこれで使い果たして得したきぶんになる。


さいきん急にわたしはまた恋した。
米津玄師に。
BOOTLEGってアルバム買って、車でヘビロテ。
LOSERいいよねー。
セルフカバーの打ち上げ花火、わたし、こっちのほうが好き。


ネットにいちいち読書記録を残そうと意識しなくなってから、読書が気軽なものになった。
図書館で何冊も借りてきて、きぶんでテキトーに読み漁ってく。
さいごまで読まないものもあるけど、気にしない。

でも読書記録を残さないと、読んだものって呆れるぐらい忘れてく。
思春期に読んだ本って鮮烈な記憶をとどめてたりするのに、オトナになってからの読書って感動が一過性。
十代にしかできない体験っていうものを、二十代後半になっていろいろ思い知る。


ことしは、スプリさんにプロポーズされて。
でもわたしはやっぱりケッコンっていうものをしたくないし、だれかと暮らすこともイヤだから断ったみたいになって。

ただ、スプリさんと恋人みたいな関係でいるのは自然体になってたから、こんなかんじで続いてくんだとおもう。
わたしがちがう人とケッコンするわけじゃないならわたしの非婚主義を受け入れてくれる、って言うし。

限りある「生きてる時間」を、だれかと共有する。
じぶんの時間すべてではなくて、一部だけだとしても。
それぐらいの他人との重なりがわたしにはちょうどよくて、依存しなくても人を愛することはできるよねー、っておもう。

なくしてしまってもいいものしか持たない。
そんなふうにかんがえてるわたしだけど。
なくしたときの哀しみを抱える覚悟を持っていれば、なにかを愛することをおそれる必要もない。

わたしはもう二度と弱いこころで人を愛さない。
じぶんの弱いぶぶんは、だれにも共有させない。

ネコみたいに、じぶんが弱った姿は草むらに隠して、好きな人に見せる姿はいつも凛としてたい。
そんなふうに人を愛したい。




posted by ぴの at 19:25| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする