2020年04月02日

明ける気配のない夜に

検温の義務。
でも体温計売ってません。
壊れたら買えません。

マスク着用の義務。
でもマスク買えません。
職場で配ってくれません。

熱を出さないように。
感染しないように。
そんなの自衛だけではもう無理。

うちからコロナ出たら閉店になります。
そう言われながら働く。
感染した人は罪悪感を抱くことになる。
その人だってどこかでうつされた被害者なのに。

マスクしてないお客さんが何人も来る。
入店拒否なんてしない。

指舐めてお札を渡すおじさんは多い。
それを拒否できない。

素手で渡されるお金を素手で受けとります。

トイレを汚す人はたーくさん。
それを防護服もゴーグルもなく制服のまま掃除する従業員。
掃除をしたら手洗いだけしてレジ接客。
FFも売ります。

マスクはいつ入るのか。
従業員が買ってるんだろ。
って怒るお客さんは珍しくもない。

雑貨の納品時間をチェックしたお客さんたちが、その時間に集まる。
普段は見かけない人がたくさん来て、なんで買えないのか店員をつかまえて訊いてくる。
腕や肩を触ってくる人だっている。

みんな感染したくないからビクビク働く。
接客業の従業員は防疫マナーをお客さんの良識に委ねるしかなくて。

もう誰が感染してもおかしくないし、いつ感染しても不思議じゃない。

自粛要請とかいうから、それぞれの価値観にばらつきが出る。
感染した人の行動にいちいちどう非があるか非難の目を向ける風潮にもなる。
感染したのは自己責任、自業自得とか、個人の罪にしても、もう意味がないよ。

感染した場所がわからないケースがどんどん増えてるんだから。
いまそういう自分だって、無症状なだけで感染してるのかもしれない。

ウィルスが見えるのなら、自分の指の1ミリ先に転がってて、ギリギリで感染を免れてるだけかもしれない。
運次第に過ぎなくなってる。

感染したとき。
叩かれませんか。
生活はどうなりますか。
自主隔離中、治療中、治癒後、きちんと暮らしていけますか。

病気を治したら普通の日常を取り戻せますか。

毎日の検温でビクビクする。
喉が少しでも痛くなると、血の気がひいたかんじになる。
体調の変化に異常に怯える。

なぜって、自分が感染しちゃったことで、自分のカラダがどうなるかってことより、自分の周りにどれだけの迷惑をかけるか、それだけがひたすらこわいから。

それと自分の属する地域のちいさい社会から排除されないか、不安いっぱいで怯えてる。
実際につらい目にあってる人の話聞いたから。

こんなビクビクしてまで働きに出たくない。
でも働かないと暮らしていけない。

ほんとは自粛要請通りに一日中、家にひきこもってたい。
必要な買い物のためにちょっと外出するだけで、あとは一切誰とも会いたくない。

人を避けたい理由は、感染したくないというより、感染させたくない。
人に感染させないためには、自分が感染しないのがいちばん。
感染の可能性あるなら、人と接しないのがいちばん。

一年限定でいいからベーシックインカム導入して、働かなくてもいいようにしてほしい。
そしたら一年間、ちゃんとひきこもって、自分が感染連鎖を作らないようにするよー。

それまでにワクチンできますように。

そしてまた安心して働ける世の中になったら、せっせと働いて、せっせと納税するよー。

ちゃんとひきこもりたいけど、生活費が困るから出来ない。
そんな愚痴を書き並べて、今夜は寝る。


おやすみなさい。




posted by ぴの at 01:18| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月17日

雪降ってサクラ咲く

何年も更新をずっと追ってる大好きなブログの最新記事にかなしくなった。
去年から留学を決意して、きちんと準備を重ねて、いよいよ留学生活スタート、って矢先のこの感染症騒ぎ。
いろいろがんばっても最終的に今回は断念した結論に、わたしも勝手に「わーっ」、ってかなしくなって悔しくなって。

1月の頃はまだ、「かかってもだいたいは軽い風邪で済むってね」って他人事のような雑談の話題のひとつに過ぎなくて。
マスクが手に入りにくくなると、「新型肺炎なんかより花粉で困るんだけどー」なんて、やっぱりまだ他人事のような遠い話として軽口叩きあってて。

日本は大丈夫だとおもってた。
なんとなく。

そんな呑気なわたしだった。

でも、あれよあれよというまに、ぜんぜん他人事じゃなくなって、じぶんの世界が変わって、わたしはじぶん事として、世界の激変に怯えてる。

感染症の時の解熱剤の使用について、いろいろテキトーすぎたみたい。
頭痛持ちのわたしは、常にイブプロフェンを持ち歩いてて、週に一度は飲んでた。
ぜったいに切らさないように家にはストックもある。

いままでは軽い風邪や多少の発熱なら、イブプロフェンを飲んで働いてた。
風邪ぐらいで休めない仕事だから。
休めるのはインフルかノロだけ。

そんな日々、カラダを動かして生活をとめないようにするのに、イブプロフェンはわたしにとって生活必需品だった。

発熱は安易に薬で下げちゃいけない、って、なんとなく知ってたつもりだったけど。
そんなに深刻に考えてなくて、インフルだったら飲まないけど、仕事休めない風邪程度なら頭痛がイヤだからって、栄養剤的な気持ちで飲んでた。

そんな軽い気持ちでいい加減な飲み方しちゃダメだね。
新型のコロナは最初は風邪と区別つかないっていうし。
これからは、風邪っぽくなったら、こわい感染症かもしれないって慎重に、じぶんのカラダ、ケアしなくちゃ。

区別つかない頭痛のために、アセトアミノフェンの市販薬を買っといた。
高いよー。
アセトアミノフェンはわたしのカラダの痛みには、あまり効かないし。
買いやすい値段でよく効いてくれたイブプロフェンに感謝しちゃう。
いままでたくさんわたしを助けてくれて、ありがとう。
鎮痛剤とはこれから賢くつきあっていくしかない。
無知なままじゃ、じぶんでじぶんを壊す。

でも。
ただしく予防するのって、結構めんどくさい。

買い物したら買ったものをぜんぶ消毒する。
みんなやってるの?
わたしはムリ。

手を洗う。
うがいする。
それはやるけど、マスクの着脱、ぜんぜん正解のやり方じゃない。

外で何か触る。
公衆トイレを利用する。
携帯用アルコールがあれば安心だけど、そんなもん、売ってるのすら見たことない。

普段の家の掃除はだいたいキッチンアルコールを使ってた。
台所、洗面所、バスルーム、トイレ、寝室、仕事部屋、車の中。
それぞれにスプレーボトルを置いて、毎日シュッシュッ使ってた。
吹きかけておけばいいから、めんどくさがりなわたしにうってつけ。
でもいまはアルコールが買い足せないから、お手軽除菌生活断念中。

外にはウェットティッシュを持ち歩いてた。
手が荒れるし、いろんなことに使うから、ノンアルコールの普通の。
でもいまは、アルコール必須。
だけどアルコール除菌ウェットティッシュだって絶滅状態。

このまえ、たまたま幸運にもスーパーでひとつだけ、筒状ケース型のアルコールウェットティッシュが棚に残ってて、「わーい」ってカゴに入れた。
そしたら、すぐ横でカートを急いで転がしてくる音がして、幼稚園ぐらいの男の子を連れたお母さんが、「あ」ってかなしい小さな声あげた。
男の子と手をつないで、空っぽの棚を黙って見てた。
だから、わたし、それ譲った。
小さい子どもがいたら消毒に神経つかうよね。
アルコールがいちばん手軽だよね。

必要な人たちに必要なものが届かなくなった生活。
わたしはアルコールを使わない方法を、いまはまだ考える余地はある。
手をただしい方法で洗ったり顔をぜったい触らない、なんて子どもに徹底できるわけないじゃん。
オトナだって気づくとうっかり顔触っちゃうし。

早くアルコールが簡単に手に入るようになって、って祈る。

ぜんぜんていねいじゃなくて、雑に生きてても。
だらしなくて、家の掃除さぼっちゃう日々でも。
多少の体調不良でも、じぶんを養うために仕事して。
なんだかいろいろテキトーでも、いろいろなんとかなって、笑っていれる生活を繋いでた。

そんな日々への未練がたちきれない。
世界は変わったのだと、じぶんを進化させれない。

夜の首都高をそっと走った。
夜景は変わらずステキで、きらめく街の灯りは神さまがこぼした宝石のようで。

あのキラキラした景色に、おそろしいウィルスが蔓延してるなんて考えれない。

見えないウィルスを見ないようにして生きたいけど。
見えないウィルスの影響は、確実に暮らしのあちこちに見える。

ディズニーシーに行きたい。
ソアリンすごいんだよ!
世界中を飛んでまわって、最後に東京に戻ってくるあの感動。

また行こうね。
何度でもソアリン乗りたいね。

って言ってたのに。
その「また」は、いつ来るかな。
なんの不安もなく、おもいっきりたのしめる「いつか」の日。

このまえ雪が降って、おなじ日に桜が開花した。

いろんなものがミックスされた日々に、でも、いいこと、ステキなこと、そういうのだってちゃんとあるはず。

じぶんの世界のどこかに花が咲く。
その花を見つけて愛でる。
花の咲く音に、耳をすませて。
じぶんの泣き言でかき消さないようにして。



posted by ぴの at 23:24| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月07日

現実逃避的な

生まれてこなければよかったかどうか。
あとから考えるんなら、いまのわたしは、生まれてこなくてよかったなー、っておもう。

でも、わたしが生まれてくることはわたしが決めたんじゃなく、お母さんが決めた。
生まれてこなければよかった、っていうのは、お母さんの人生を否定する。
そんな考えは、わたしは持ちたくない。

年に何回か、お母さんが死んじゃったことに、わーわー泣く。
何年経っても。

だけど、今回のことは、お母さんが死んでてよかった、っておもった。
お母さんがタイヘンなおもいをしなくて済んだことに、ひとつ、救いを感じる。

お母さんをお墓にいれたときのこと、おもいだす。
あの穴はひとりぼっちじゃない。
わたしもはやく、あそこにはいりたい。

地球の上ではニンゲンたちが大騒ぎしてて。

そんな世界から抜けだしたい。

太陽と月と星。
風が吹いて、雲が流れて。
光があって、そこに闇もあって。
波の音。
川のせせらぎ。
山に囲まれた昼間でも薄暗い道。
山のてっぺんから見渡す地球の表面。

遠くに見える富士山。
あまりに近くて大きくて、突然見えて驚く富士山。

闇夜でオレンジ色に輝く東京タワー。
青白い灯りをクールに廻し続ける夜更けのスカイツリー。

生きてるってステキ。
そんなキラキラした生の執着をたくさん生み出す、いろんな光景。

だから、わたしは生きてた。
そういうものをたくさん見るために、あちこち車走らせて。

わたしの人生は、悪くなかったとおもう。
いくつものしあわせを、なんども感じた。

わたしを生んでくれて、お母さん、ありがとう。

抜けだしたい世界に沈みこんでく。
そんな溺死はくるしいかもしれない。

だけどキラキラした思い出が、魂の浮き輪になる。
わたしはいつかみっともない死に方をしても、その瞬間、キラキラした思い出を抱えた魂を放つ。

お母さん、それを拾ってね。



posted by ぴの at 01:35| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする