2017年06月03日

元気がでないよ

早くももう6月。
ことしの春は気温が低いよね。

夏日になったりすると、ラジオでは大騒ぎしてるし、地元でも緑の少ない「街」のほうの人たちはやっぱり大騒ぎしてるけど、森と農地だらけのわたしの家の周辺は気温30度でも涼しさをかんじるぐらいに爽やか。
暑いなー、って唸った日は一日ぐらいだし、それも日中数時間程度で朝晩はさむいぐらいに冷えちゃう。
日中28度ぐらいの日は汗ばむのは日向ぐらいで、日陰はひんやり。
建物はどこもものすごい強く冷房いれてるから、この時期、長袖の上着はぜったい手放せない。

きのうは暑いはずの日だったけど、冷たい風が強くて、肌は冷え切った。
すごいきもちいい陽気で、家中の窓を開けてたら、とんでもない土埃でまた家中(ベッドも)ざらざら。
窓を閉め切ると蒸し暑さをかんじるから、こんな時期にこんな強風やめてー。
風は通すけど土埃は一粒も通さない、っていうイナカ仕様網戸、だれかつくって。

まいとし害虫を大量に発生させるお隣のおばさんちは、ことしはすでに、Gを大量発生させてくれた。
おばさんちの外壁にびっしり、オトナになりきれてないサイズのがはりついてて、「ぎゃーっ」って悲鳴あげたわたし。
どこからわくのか、はっきりは場所がわかんないけど、なんでかまいとし、おばさんちの玄関の横あたりの外で大量発生するんだよねー。
そこらへんにはナマモノなんてなさそうなガラクタが積み上げられてるだけなんだけど。

おばさんちの外壁から放浪してるGが、わたしんちのほうにもうろうろ歩いてくるから、ぜったい侵入されてるとおもう。
だって、その大量のGはおばさんちの「ちゃんとしまってる」網戸にどんどん吸い寄せられて、どこもやぶれてない網戸をするするとすり抜けてどんどん家の中に侵入する地獄の現場をわたし、目撃しちゃった。
ホンキで侵入をこころみる虫には網戸なんてなんの意味もないのがわかった。

でも、なんでそんなに網戸に群がっていったかっていうと、ことしのおばさんちは4月ぐらいから、近くを歩くだけで家中がものすごい臭いの。
中は一体どうなっちゃってるんだろー、ってこわくなるぐらいに、家の換気扇孔や窓の付近から、すさまじい悪臭が外に漂ってる。
おばさんもおじさんもフツーに元気に暮らしてて、外で会うとにこにこ挨拶してくれるから、余計にフシギ。
こんなに臭うじぶんちになんともおもわないのかなー、って。
虫だって大量に侵入してるのに、いつも夜はなんでか玄関のドアが少しだけ開けられたまま。

おばさんもおじさんもわたしにはいつもやさしいから、害虫や悪臭のこと聞けなくて、さいきんは暑くなる季節は憂鬱。

Gの侵入を防ぐのはムリ、っていうのがわかったから、入り込まれたヤツを居着かせない作戦しかない。
つまり、家の中はきれいにしてなさい、ってこと。
だらしないわたしのために、神さまがわざとわたしの隣人に「脅威」の役目を与えてくれたのかも。
神さま、ありがとうございます。(宗教的解釈)



この春は喪服を着すぎ。
お祖母ちゃんと大おばさまが亡くなって、お母さんの一周忌があって、そのあとでお母さんの四十九日に来てくださった親戚の人も亡くなって。

その親戚の人は、わたしが夏に家出して泊めてもらったイナカの人。
だから、わたしは「もうあぶないんだよね」って連絡もらうと、バイトのシフト代わってもらって車で、あの夏の数日を過ごした川べりの村に駆けつけた。

お母さんにつづいて、お祖母ちゃんも亡くなって、なんかもう暴れたいぐらいにさみしい。
葬儀とかいろいろゴタゴタが終わると、カラダから力が抜けてく。

これから、ものすごい「物」だらけのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんちの「片づけ」っていう、タイヘンな作業もあるんだけど。

お祖母ちゃんの交友関係ってものすごいいろいろ広いから、俳優さんとか作家さんとかわたしが名前を知ってる人がいろいろ来てくださってびっくりした。

お母さんの一周忌は、その朝、わたしは早めにお寺に行ったら、お墓がものすごい花だらけになってた。
お寺さんに聞いたら、とくに連絡はとってないお母さんのいろんな知り合いの人たちが(法要は身内だけでやったので)、数日まえから連日お墓参りに来てくれてたんだって。
ほんとにお墓が埋まるぐらいに、ものすごいきれいなお花だらけになってて、それ見て涙が出た。
お墓もきれいに洗ってもらってた。



車を買い換えた。
走行距離20万キロに到達しちゃって、いろいろ部品交換してまだ乗れるかなー、って車屋さんのおじさんに相談したら。
まだ乗れることは乗れるけど、程度のいい中古探してあげるから乗り換えたら?って言ってもらったので、いろいろ相談しながら乗り換えた。

中古だけど、印税のぶん貯めてたわたしの貯金がなくなった('_')
おじさんは保証人も所得証明もなんにもいらない、自社ローンの分割でいいよー、って言ってくれたんだけど。
期限もとくになくて、あるときにある分だけ払えばいい、っていう、ものすごいゆるゆるローン。
それだけ信頼してもらってる、ってことだとおもうから、こう言ってくれるのはすごいありがたいしうれしい。

でも、この先働けなくなったりしたら「ぜったいに払えない」ような借金をするのがこわかったから(好きなおじさんだと余計に、その信頼を裏切りたくないしねー)、貯金ゼロになったほうが気がラク、っておもって、通帳の残高をかなしい数字に落とした。

去年はたまたま印税がはいるような本を何冊か書いたけど、この先の仕事はそんなに稼げないから、ほんとはじぶんの医療費のためにとっとこうとおもってた。
だけど、なんとなくじぶんのカラダが着々と悪化していくかんじになってたから、「車の買い換えなんて人生最後だろうなー」っておもったの。
いつまで稼げるかわかんないし、いつまで健康的に運転できるかわかんない、ってかんがえたら、車を維持して好きなように運転できるうちに、ストレス解消のドライブを楽しんでいくことにものすごい価値がある、っておもったから、貯金はたいて買い換えちゃった。

いままで乗ってた車と同系統の車。
年式はもっとあたらしいから、いろいろ車の機能が進化してて「ひゃー、すごいー」ってたのしい。
(最新型はもっとすごいんだろうけど)

車を買い換えて、「イナカってこわい」っておもった。
いろんな人(知り合いと言えるほどの知り合い以下の人たちも)から、「あれー、車買い換えたのー?」って声かけられたからねー。
「え?あなた誰ですか?」ってわたしがぜんぜんおぼえてない人とか、たまに買い物に寄っただけのお店の人とか、バイト先のお客さんとか。

なんでー。
わたしがどんな車乗ってたかー、ってー。
わたしが知らない人まで知ってるのー。

イナカこわい('_')

わたしが事件に巻き込まれて死んだり犯人になったりしたら、「地元の人たちの証言」がものすっごいわらわら出てきそう。
近所付き合いを介してじゃなくても「だれがどんな暮らしをしてる」ってことがこんなにも地元の人たちに知られてるのか、ってぜんぜん意識してなかったから、なんかほんとにこわかった。



わたしが印税をもらった本は。
ブックオフでは108円じゃない棚で、じぶんならぜったい買わない高めのお値段がついて売られてた。
(あそこは発行日が古いか新しいかで値段つけてるらしいから、まだそんなに安くならないのはそのせいだとおもう)

アマゾンでも古本が1円とかじゃなくて、定価よりちょっと低いぐらいの価格で売られてたー。
これもただ、比較的新しい発行のものだから、ってことかもしれないけど。

じぶんの書いた本が古本として売られるのって、なんかうれしい。
それもアマゾンの古本は、程度がいちばんいいランクになってなかった。
倉庫で傷んだ在庫処分、ってことかもしれないけど、「だれかがちゃんと読んでくれた」ってことなのかなー、って想像すると、なんかたのしいよ。
いちばんうれしい古本の状態は「書き込みあり」かな。



このまえ、J-WAVEの(たぶん)目玉番組でびっくりするような発言を聞いた。
ゲストとかじゃなくて、その番組の人気ナビゲーターの発言。
わたしも好きな人だったから、余計にほんとびっくりした。

時事ネタをマジメに取り扱う番組なんだけど。
その中で電車の痴漢の摘発や冤罪の問題を取り上げてた。
その番組はその人気男性ナビゲーターと、女性のアシスタントのコンビでやってる。

ものすごいマジメに、冤罪の被害にあったら、とか、そういう話を専門家のゲストといろいろしたあとで。
その男性ナビゲーターが女性アシスタントに、痴漢の経験を尋ねたのね。
そしたら、その女性アシスタントは「経験はない」って答えたら、男性ナビゲーターが「魅力がない」ってことかっていうコトバで突っ込み返した。

その日はその痴漢の問題を取り上げてる時間中、ほかにも、女性が被害を防ぐためにどういう恰好をしたらいいか、みたいな発言もその男性ナビゲーターがしてて。

えー、こんな認識でこういうマジメな番組を取り仕切ってるのー、って、ほんと、ものすっごいびっくりした。
そして、ものすっごいがっかりした。

その人、ケッコンしててコドモもいて。
育児問題では、子育てをちゃんとやってるパパ、として、いいことも言ってたのに。
好感度が高い人だけに、痴漢関連の発言にはものすごいがっかり。

痴漢が一向になくならない要因をみた気もしたけど。
こんな意識の人がまだまだこんなふうに公に発言しちゃうぐらいに「フツーにいる」なら、痴漢はどこか社会的にゆるされてしまってるよねー。
「痴漢」を女性の魅力や恰好のせいにする考え方って、痴漢同様に「性犯罪に加害的」だとおもう。

痴漢にあったことがない女性を「魅力がない」って言ったその一言だけで、充分にわたし、幻滅しちゃった。
その後、その人は女性アシスタントに謝ってたけど、もうわたしの中で、それまでの好感度のレベルはずーんと下がってそのまま戻らず。



また好きだった人の夢を見た。
「街」で偶然会って、声かけられて、お茶飲んで。
このままもっといっしょにいたいなー、っていう甘ったるい感情がものすごい湧いてきて。
相手もまだいっしょにいてくれるかんじだったから、なんとなく腕に触れて、その服の感触がリアルに指に残ったまま目が覚めた。

会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい

って、あたまがおかしくなった人みたいな繰り返しの感情がぐわーっと襲ってきて、それから泣いて、すごい涙が出たからすごい泣いて、それでこころが疲れたみたいに死人になった。

それだけ。

夢は残酷。
なんでわざわざじぶんを傷めつけるような夢をみるの?

これも自傷行為なの?



posted by ぴの at 20:54| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

怖いものを怖く書く才能

「変わりゆく日々」なんてタイトルつけたきのうの日記。
読み返したら、ぜんぜんいつもとおなじようなことしか書いてなくて、ひとりで笑った。

ブログに書くことは、いつも似たような話ばかりになってる。
だけど、実際はいろんなことがちゃんと変化したり進化したりして、似たような日々の繰り返しの中でも、変わってしまうものはたくさんある。

ゆうべは由比ヶ浜で夜光虫が見れて、ツイッターではトレンドに出るほど話題になってた。
はじめて「夜光虫」っていうものを知ったけど(コトバだけは知ってたんだけど、ホタルみたいに陸上の光る虫かとおもってた)、そういえばお父さんから聞いたことあるのをおもいだした。

いろいろわすれてるだけで、親から教わっていたものはいろいろあるねー。

特になにも用事がなければ毎週のように走りに行ってた海が、あんなふうに光るなんてわくわくしちゃう。
いつかわたしも見れるといいな。



ラジオでよく流れるこれ、すごい好き。



泣きたくなっちゃうぐらいにきれい。
アリアナは「バラ」なんだね。



ことしいろいろ本を読んでるから、読書記録みたいなのを書きたくてブログ開いたんだけど。
飲みながらやってたら、なんかもうめんどくさくなっちゃったんで、ぱそこん消しちゃう。

小説を読むとき。
その世界にはいりこむのに時間がかかるものもある。

だから、さいしょの数ページはものすごい時間かけて読んで、もうやめてもいいかな、って迷ったりするけど、なんとなくカバンにいれたままにしてるから、出先で仕方なく続き読んだり。
でも、とつぜんその世界にすーっと入りこめると、かんぜんにその物語に浸りきる。

こんどはそれを読み終えるころ、終わらせたくなくて、わざと速度を落として読んだり。
それで、ついに読み終えちゃったときの虚脱感と喪失感。

もう浸りきった世界が消えちゃった喪失感ね。

ひとつ読むたびに、失恋みたいなきぶんになって、へとへとなかんじになる。

その話をスプリさんにしたら、なんでそんなに全身全霊で読むの?ってフシギがられた。

『裏庭』みたいだよねー。

裏庭 (新潮文庫) -
裏庭 (新潮文庫) -

「裏庭」に入り込むたびに、命を削ってく、みたいな。
入り込んだ裏庭で命削って、いつかわたし、「表」に戻ってこれなくなる日がくるかも。

この「裏庭」って小説は凄すぎて、こんな物語を書ける才能に憧れる。
ジブリがまだ手を出さないのがフシギ。
(わたしはジブリ嫌いだから、ジブリアニメにはなってほしくないけど、ジブリアニメになりそうな世界観だもんねー)

わたしは「裏庭」を消したくなくて、この小説、途中から読めないままでいるの。
読み終わっちゃうのがこわいから。

このまえブックオフに行ったら、ブックオフオリジナルの絵本っていうのがあった。
絵がステキなんで惹かれて立ち読みしちゃったけど、ものすごいステキな絵本でびっくりした。

https://www.bookoff.co.jp/event/ehon201410.html

これこれ。
「ぼく、にんげんになれるかな」っていうのと、ここには載ってないけど、ウサギの王さまの絵本がすごいステキだった。

なんで買ってこなかったんだろ。
たった500円なのに。
(ブックオフでいつも108円の本ばかり買うから、500円ってものすごい高額、っていう気になっちゃったんだよねー)
絵本だから、買うほどでも、っておもっちゃったんだけど、また見かけたらこんどはぜったい買う。

さいきん、絵本とか児童小説とかも読んでる。
オトナが読んでもおもしろいストーリーのものを選んで。
(コドモ向けって、いかにもオトナ目線の、教育勅語を推す政府的な感覚で「管理者が望むただしい世界観」を押し付けてくる物語があったりするからねー。ああいうのって、コドモを見下して、コドモの純真を腐敗させるだけだよ)

児童小説を読んでると、子どものころ、じぶんがそういうものを読んでたときの感覚が蘇る。
子どものころに「おもしろい」とおもった絵本や児童小説って、オトナになったじぶんが読んでもおもしろいんだよね。

コドモを見下してないオトナが書いたコドモ向けの物語はおもしろい。
オトナはコドモをただしく躾けなくちゃ、っておもう「教育理念」を創作にからめた児童向けストーリー、って、コドモに対する支配欲たっぷりなテキストにすぎないから。

オトナが官能小説を書くより、児童小説を書くほうがむずかしい気がする。
むずかしい、っていうか、これこそ天賦の才能みたいなものに左右されるかも。
「小説」を書けるからって、だれでも児童小説も書ける、ってわけじゃないんだとおもう。

このまえ読んだ児童ホラー小説はおもしろかったけど。

グースバンプス (1) 恐怖の館へようこそ (グースバンプス 世界がふるえた恐い話) -
グースバンプス (1) 恐怖の館へようこそ (グースバンプス 世界がふるえた恐い話) -

コドモがいる家族が巻き込まれたホラーな話なのね。
引っ越した家に、コドモは「なにか」がいるのを見る。
でも、親は「気のせい」って言って、ぜんぜん取り合ってくれない。

こういうストーリーのとき、オトナってだいたい「バカ」に書かれるのはなぜなんだろう。
コドモから見ると、オトナって意外にバカ、ってみえてしまうのもあるんだろうけど。

親が「なにか」の存在に気づけたんなら、それはオトナが主人公のオトナ向けのホラー小説になる、ってことなのかな。

この小説を、スティーヴン・キングが書き直したら『シャイニング』みたいになるのかもねー。
でも、『シャイニング』は、もう少し簡潔な文章でリライトしたら(キングの文章ってクセがありすぎて、読むのにコツがいるもん)、あのストーリーのまま、児童向けホラー小説にもなるとおもう。

「怖い」文章を書けるようになりたい。
だから、ホラー小説を書いてみたい。

きのうブクログに登録した『憎鬼』って小説は、文章で「怖さ」がものすごい伝わってきてすごかった。

憎鬼 (RHブックス・プラス) -
憎鬼 (RHブックス・プラス) -

とつぜん、街でだれかがだれかを惨殺する。
そういう惨殺がどんどん街中で増えてく。
ギリギリの生活費で子ども3人を妻と育ててる主人公が、その「惨殺」の被害に遭わないように家族でビクビクしながら暮らす一週間の話。

この作家の人、ネット小説で人気が出たっていう人らしいけど、筆力がすごいとおもった。
原書で読んだわけじゃないけど、翻訳の文章でも筆力のすごさは感じれる。

突如「惨殺」する「憎鬼」と対峙しないように怯えながら通勤する描写が、ひしひしと怖さをかんじさせるんだけど。
満足な暮らしを営めない低所得の家族のギリギリの生活、の描写も、リアルでものすごい重苦しい。

ストーリーそのものをたのしむ、というより、わたしは、この作家の筆力に圧倒されてた。
おなじネタを与えられたとして。
こんなふうに「怖く」書ける?
って、じぶんに問いながら読んでた。

文章のすごさをかんじる小説を読むと、ものすごい宝物発見したみたいな高揚感がある。
やっぱりねー。
文章を書く人は、その文章が命、だよねー。

古畑任三郎のドラマでも、そういう話がある。
まるっきりそっくりの双子(おなじ女優さんが二役やってる)のシナリオライターの話。
ふたりの共作、ってことで、ひとつのペンネームで双子姉妹が活動してる、っていう設定なんだけど。
ほんとは、執筆は片方だけで、もうひとりはどっちかっていうと営業活動専門。
でも、その執筆をしないほうがおもしろいストーリーを思いつく天才、なのね。

その人が、いいセリフが書ける脚本家と、プロットがうまい脚本家がいる、っていうことを話してた。
シナリオの場合、どんなにプロットがうまくても、セリフがダメだったら、ぜんぜんダメな作品になっちゃう。

小説も、どんなにプロットがおもしろくても、文章に魅力がなければ、読者を魅了できない、ってことなんだとおもう。

マンガの場合。
画力があってもストーリーが作れない人もいるけど。
そういう場合は原作者がつくよね。

わたしも、だれかと共作したいなー、っておもう。
共同ペンネームをつかって。

でも、人気作家になったら殺人事件になっちゃう?
(^_^)
(さっきの古畑ドラマのふたごの脚本家の話は、刑事コロンボの『構想の死角』が元ネタだよね。あれも片方だけ執筆して片方は書けない共同ペンネームコンビの解散殺人事件)


ぱそこん消すとか言って、なんかだらだらそのまま書いちゃったけど、脳みそがつかれたのでここまで。



posted by ぴの at 20:34| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

変わりゆく日々

ひさしぶりに覗いたら、いよいよブログがぜーんぶ強制的に新システムに移行するんだって。
でも、これはまだみたい。

わたしのぱそこんでつかえるのかなー、って、いま、あたらしいシステムのブログをひとつ作ってみた。
なにが変わってるのかよくわかんなかったけど、編集画面はぜんぜんおなじままみたい。
だいじょうぶなのかな。

でもこれ。
自動保存にならなくなってる。
なんで?

べつにじぶんがネットでブログを書きつづける必要なんて、この世のどこにもないのだけど。
まあ、いいや。
アカウントがつかえるうちは、ひまつぶしにつかって、つかえなくなれば、ネットから追い出されたきぶんで消えちゃえばいいんだし。

なんて言っても、つぶせる「ヒマ」なんてぜんぜんない。
ブログを書くなら、その時間をじぶんでつくらないとダメ。
それがめんどくさくて、さいきん放置してた。

ネットであそぶのがめんどくさいんじゃなくて、時間のやりくりするのがめんどくさい。
いろんなことを整理して合理的に処理する、っていうことが、わたしのあたまでは無茶すぎて、つかれる。



きょうはゴールデンウィークスペシャル、ってことで、J-WAVEはクリス智子さんと佐藤オオキさんコンビが朝から夕方までずーっとナビゲーターをやってた。

このふたりのからみはひさしぶり。
ふたりの番組が日曜の夜から消えて以来、日曜の夜はなんだかさみしい。

久々のおふたりの番組を車に乗り込むたびに聞いてたら、なんか「昔」を懐かしむような泣きたいきぶんになった。
年をとっていく、っていうのは、過去がそのぶん積み重なっていくから、感情がうしろ向きになることが増えていく。

ことしの春もたくさん泣くことがあって、泣くことにくたくたになった。
体調もよくなくて、ビョーキが少しだけ進行した。
あらたな症状に、ものすごいきぶんが落ち込む。



さいきんいろいろあったけど、なんかそれを書く気がしないから、ブログ開いてもべつに書くことないことに気づいた。



バイトをやっていて、急速にじぶんの価値観が変化していくのをかんじてる。
世界が変化してるのか、じぶんが世間知らずすぎただけなのかわかんないけど。

うちのお店にはとうとう外国人のバイトもきたー。
日常のカンタンな会話がどうにかカタコトで通じる程度の日本語力で、ひらがなは読めるけど、意味はぜんぶわかるわけじゃなくて、漢字はまったく読めない。
だーかーらー。
レジ接客は無言でレジ打つぐらいはできるけど、いろいろめんどくさいサービスでお客さんとやりとりが必要になる場面ではムリ。
じゃあ、納品やってー、っておもったけど、そもそもマニュアルも読めないし、いろんなポップやいろんな記載事項が理解できないし、商品の名称も読めないから、納品もハードル高い。

英語はわかんない人で、その人の母国語なんてだれも耳馴染んでないから、「カタコトの日本語」だけで仕事を教えるのがどれだけヘヴィか、っていう体験真っ最中。

「やります」と「やった」と「わからない」の3語で仕事を進めませう。
っていうゲーム感覚で仕事おしえてる。
「わからない」とは言ってくれるけど、なにがどうわからないのか説明できなくて、わたしの説明もだいたいは理解はできなくて、「わからない」ってことだけお互い理解をシェアするのが精一杯、っていうレベル。

ラジオの英会話教材のCMで、赤ちゃんは勉強しなくても自然にコトバを覚える、って言ってるから。
たぶん、いつかは自然に通じあうはずー。
ってことで、相手がわかんなくても、とりあえずは日本語でフツーに説明して、あとはわかってなさそうなとこを身振り手振りで教えたり、「雰囲気」でわかったふりしたり。

シニアスタッフの新人さん(日本人)なんて、じぶんがぜんぜん覚えれないサービスは、お客さんからなにか聞かれると「じぶんはそれ、わかんないんですよねー」で済ませちゃってるし。
わからないなら、わかるだれかに聞いてください。
わからないから、ってお客さんにこたえないで帰しちゃったりしないでー。
って言っても、そのときは「そうですよねー。はい」って言ってくれるのに、またそんな場面になると「それはじぶんにはわかんないんですよー」って言ってるからねー。

タバコを吸わない人はぜんぜんタバコの名称も場所も覚えようとしない。
あらたに覚える、ということは思いつかないみたいで、わからないことはわからないままにしとく。

商品の区別もつかなくて、似たようなパッケージのものは見分けれない。
ひとつひとつの認識に時間がかかるから、なにをやっても、ものすごい時間がかかる。

60歳すぎると、だいたいの人がどこかしらカラダの不具合をかかえてる。
高血圧とか腰痛とか視力の衰えとか。
だから、基本の作業をこなすのもムリ、っていう人ばかり。(その相方がほとんど負担させられる。おなじ時給で)

うちの業種は、さいきんは年齢問わず、「よそではまともに働けない(雇ってもらえない)」ような人たちばかりが流れてくるからねー。

もうねー。
最低限の仕事の質、っていうレベルも、現場ではかんぜんに崩壊してる。

そういう時代なんだなー、って、わたしは受け入れるようになってる。

日本語が理解しきれてなくても日本で働かなくちゃいけない外国人はいくらでもいるし、いろんな身体能力が衰えていく高齢になってもマルチタスクな職に就かないと食べていけない人もいくらでもいるし。

年金受給が70歳になるとか言ってるけど。
その年まで、「まともな仕事」ができる人、どれだけいるのー、っておもう。
でも、政府はカラダも脳も衰えていく年齢になっても「現役」でいろ、って言うんだから。

できないことだらけの人たちが働く社会、になるのは、仕方ないじゃん。

70歳まで現役でいろ、っていうなら、とうぜん、その年まで車も運転するよね。
高齢ドライバーが歩行者なぎ倒し、とかっていう事故も、とうぜん減らないよね。
年齢にあわせて、ムリのない能力で働ける職場、なんて、理想にすぎないんだから。

できないことが増えても、できる世代とおなじような日常を送らないと食べていけないなら、ムリヤリやってくしかない。

それでも、高齢者を雇わないとやっていけない業種なんかは、その年代にも仕事がこなせる(もっとわかりやすい)システムにかえていくしかないよー。
外国人もどんどん雇わないとダメなら、現場の言語も日本語オンリーじゃダメじゃん。

それが難しいなら、いろんな質の低下は社会で諦めて受け入れていくしかないよね。
コンビニの店員に一流ホテルのコンシェルジュのような高度のサービスを要求しない社会。

なんかねー。
職種それぞれの現場で働く人たちの問題、というより、社会全体がいろいろ価値観をかえていかないと、「いろんな人たちがいつまでも現役」なんていう社会でみんながしあわせに暮らせないとおもった。

シルバースタッフさんと組んだ日。
お客さんが途切れたとき、ものすごい陳列の状態になってる商品の棚を、なんとなく眺めて。
(フツーなら10分以内で済む陳列作業を相手が50分ぐらいかけてやってた箇所)
ちょっとー、これで商品売れるとおもってんのー。
って、まえならわたし、むかむかしたり、なんか言いたくなったけど。

これがいまのコンビニの現状だよねー。
って、そのままを受け入れる価値観がじぶんの中に生まれた。

これで仕方ないんだよ。
本部は理想的な陳列をいろいろ言ってくるけど。
それをやれる能力の人が集まらない末端の店舗では、パンはパンの棚に並んでるだけマシ。
ラベルが逆に置かれてても、アイスのとこでパンが凍ってないだけ、いいんだよ。
(ほんとにたまに、アイスケースの中になぜか納品されてきたばかりのパン落として凍ってたりするナゾ現象が起こってるから)

従業員の意識を高めたり、仕事の質を一律に守らせる指導そのものが通用しない時代になったんだとおもう。

パンがひっくり返って陳列してる棚を、わりと仕事ができる新人のバイト男子が見つけて、「これ、どうおもいますか?ぴのさん。だれがやったかわかってるんで、店長に報告しますか?いつもこうなんですよ」って言ってきたとき。
「あー、それはねー、こうしちゃえばいいのー」
って、わたしは、ひっくり返ってるパンをまたひっくり返した。
「ひっくり返ってるのみたら、またひっくり返しておけばいーの」
って、言っといた。

ひっくり返ったパンも、またひっくり返しておけばいいだけ、だからね。
陳列がめちゃくちゃだって、べつにものすごい問題じゃないんだよ。

なんかいろいろすごい問題にみえても、たぶん、いろいろたいしたことない、んだとおもう。
そうおもっておけば、世の中は平和になる気がした。

いろいろサービスが低下してるお店に遭遇しても、「あ、ここはサービスだめだねー」でいいんだよ。
よくない、って言う人は、サービスがいいお店に行けばいいんだよ。
サービスがよくないお店だらけになったら、それがいまどきのスタンダード、だとおもえばいいんだよ。

なんかそれじゃいろいろよくない気もするけど、それはじぶんのせいじゃないんなら、「まあ、そんなもんだよねー」って長いものにくるくる巻かれちゃう。

仕事ができない人に対して、じぶんがいろいろタイヘンなきぶんになってたわたしだけど。
だんだん、じぶんがタイヘンがる必要もない気がしてきた。
じぶんがえらい立場なわけでもないんだから、じぶんがタイヘンだとかんじてたのは、思いあがってただけ。

そういえば、仕事で出かけた先の街で、回送中のバスが、回送中ですみません、みたいな謝罪つきの表示を出してるの見かけた。
回送中だと、なんで謝るの?
って、ものすごいフシギだったけど、謝らなくちゃいけない社会になってるんだろうねー。

「あ、バスがきたー」
「あー、回送だったー」

で、「なーんだ」っておもわなくて、「ふざけんな」っておもう社会なんだろうねー。

回送中のバスをみて、「なーんだ。ざんねんー」っておもえるぐらい、ゆるゆるな社会になるといいよねー。
だから、お店の陳列棚でパンがひっくり返ってたら、「あー、パンの背中がみえてるー」ってゆるゆるやり過ごせる人になるのがいちばん。

なんか、いろんなことがもっとゆるゆるでいいんだとおもう。




posted by ぴの at 22:47| オーランド ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする