2017年03月17日

ベールの月から氷の月まで

このところネットであそぶ時間、というか、気力がぜんぜんないかんじだった。

ひゃー。
花粉がものすごいらしく、わたしはクシャミがものすごい。
一回でるとかならず連発になるから、レジしてるときはタイヘンだし、運転中だとクシャミしてるときって自然に目を瞑ってるからちゃんと前みれないし。
あと、目と耳とほっぺたが痒い。
鼻づまりとかはそんなにひどくないから、花粉のせいなのか、乾燥しすぎのせいなのかわかんないけど。

桜の枝はつぶつぶがだいぶぷっくりしてきたから、下旬には咲きそう。
森のところのソメイヨシノが一本だけ咲いてた。
ケヤキの枝も葉っぱがでるまえ、っていうかんじになってるし。
カナブンとか蛾がもう出てきてるし。
でも、ここ数日、夜明けは車が凍ってる。
このまえは夜中に雪降ったし。

もう冬タイヤはずしたいけど、こんどの雨の予報の日は気温がひくいから、まだちょっと交換しないほうがいいのかなー、って悩む日々。
あいまいな日がだらだらつづいても、季節は確実に春に向かってく。
春とか夏が好きじゃないわたしは、まいとし、あたたかくなっていくにつれてウツなきぶんになってたけど。

このまえ、夏がおわったころのことを思い返した。
「暑い日」が消えて、「あたたかい日」が少しずつ減っていく冬に向かう時期。
そのころのわたしは、少しずつ冷えていく世界にわくわくする。

ことしも確実に、その「わくわくするとき」が来る。
春に桜が咲くのを待ち焦がれて冬をじっと耐える人たちのように、木々が紅葉して霜が降りはじめるのを夏中待ち焦がれる人もぜったいいるはず。
わたしはそっち派。

夜中にみるオリオン座の位置が少しずつかわっていく。
とおくの街の灯りがきらめかなくなってく。
そんな変化に、冬のおわり、をかんじる。

ことしはどんな夏になるのかな。
ものすごい暑いのかな。
でも、そのあとでまた秋がくるね。
そのときをたのしみにして冬じゃない季節を乗り切ろう。



月光が地表に降りてこないフシギな暗い夜を体験した話を書いたけど。
このまえの日曜は満月で、びっくりするぐらいの明るさを体験した。

薄曇りだったから、空全体にうっすいベールがかかってる状態。
でも、一等星ぐらいは透けてみえてた。
それぐらいの半透明な夜空に満月がでると、空全体が明るくなるのね。

震災のあとの計画停電で、懐中電灯のうまい使い方をおしえてくれた人がいた。
透明じゃないコンビニの白い袋に懐中電灯を入れて、高い位置にぶらさげておくと、周りぜんたいを照らすように灯りが拡散される、っていうの。

それとおなじ効果なのかなー、って、薄曇りの満月におもった。
満月はそれだけでものすごい明るいけど、クリアな夜空より薄い雲が広がってるほうが、もっともっと明るい。
どれぐらい明るいかっていうと、地表ぜんたいが「暮れきってない夕暮れ」ぐらい。
三浦半島で、そんなものすごい明るさを体験した。
真夜中なのに、海はぜーんぶ、水平線まではっきり見渡せるの。
とおくの海に浮かんでる漁船も細部までみえるし、とおくの家も輪郭がみえる、っていうんじゃなくて、窓とか屋根の模様までフツーにみえるし。

景色ぜんたいをちゃんとみてみたくていちど昼間走ってみたいなー、っておもってたけど、その「景色ぜんたい」がちゃんとみえてびっくりした。
意外な場所から海がみえてたのも発見した。

雲は流れてたから、そのうちだんだんと薄い雲のベールが消えてって、クリアな夜空になっていったのね。
そしたらおもしろいことに、夕暮れから夜になったみたいに、ぜーんぶみえてた景色が暗闇に溶けてって、満月の煌々とした灯りでいろんなものの輪郭がみえるていどになった。

その夜の野村訓一さんの旅のラジオで、電動自転車を勧めてた。
行動範囲が倍にひろがるから、って。

フツーに暮らしてると、行動範囲なんて徒歩と公共の乗り物に頼ることになる。
電車やバスはとおくまで行けるけど、「その路線」の付近しか行動範囲は広がらないことになる。
徒歩や路線が決められてる乗り物が行きわたらない世界、を知らずに生きるのって、ものすごいもったいない。

電動自転車やバイクや車は、これも「道路」がある場所に限られるけど、でもずっと自由性が増して行動範囲が広がる。
車があると、とおくに旅行しなくてもいいきぶんになるのは、日常の世界にいくらでも「あたらしい発見」が転がってるからだとおもった。
砂漠で非日常的な月夜を体験する旅もステキだけど、車でふらっと出かける場所で、毎週ぜんぜんちがう「夜」の景色をみれる、って、ものすごい贅沢なきぶんになる。

電車やバスもおわってる真夜中に、こんな半島でステキな夜を体験できるのは、わたしには「車」があるから。
びんぼーでも車を持つ理由、は、みたことのない世界、を旅できるから、なんだとおもった。



駐車場でだれかがエサをやってるせいで、ここらへんの野良猫がたーくさん集まって駐車場内に住みついてる。
それをだれも文句言わないから、かんぜんにネコ天国になってる。

車から降りるとボスネコがこっち向いてて目が合う。
それで、わたしが「にゃあ」って言うと、かならず「にゃあ」ってこたえてくる。
それをくりかえしてたら、ちがうネコがふらっとあらわれて、いっしょに「にゃあ」ってこたえてきて、そしたらまたちがうネコが出てきて、何匹ものネコが集まってきてびっくりした。
わたしが「にゃあ」っていうと、みんな「にゃあ」って言うの。

すごいー。
なごむー。

わたし、ネコ語が話せるようになったよ!
意味はぜんぜんわかんないけど、たぶん、なんか、会話が成立してるっぽい。
敵対してるかんじはないから、たぶん、友好的な会話。



いつもおなじような話ばかりしか書いてないけど(でも、わたしにはまいかい、あたらしい発見、みたいなのを書いてるつもり)、またラジオの話。

草なぎさんと香取さんのラジオは相変わらず聞ける日曜は聞いてる。
SMAPが解散したあとのことしになってから、香取さんがものすごいあかるくなった。
あの「やる気のない」去年のラジオのかんじは、ああいうキャラだったわけじゃないんだねー。
なんかいい意味でいろいろふっきれたのかなー、っておもうぐらい、ものすっごいあかるい番組になって、ちゃんとスタジオで収録されてるから「音」もちゃんときれいな番組になった。

わたしはますます村山由佳さんのラジオに夢中。
番組中に流れる曲はわりと古い(&知らない)のがおおくて、わたしの感覚にはぜんぜん合わない昭和の曲がけっこうある。
演歌でもないし、POPSともちがうし、ああいうジャンルってよくわかんない、っていうかんじの曲。

でも、そのわりにリスナーは中学生とかけっこういるんだよねー。
ハガキを読まれる中学生がおおいもん。
いまの中学生って村山由佳さんの小説はどんなのを読むんだろ。

このまえの深夜勤のときに配達されてきたスポーツ新聞の一面で「かまやつひろし」さんの訃報記事をみた。
店長が「うおー。むっしゅがー」って騒いでたけど、わたし、どんな人かぜんぜんわかんなくて、騒いでた店長をムシしてた。

そしたらこのまえの村山由佳さんのラジオで、追悼の意味でかまやつさんの歌がかかった。
それで、こういう歌を歌ってた人なのかー、ってわかった。

ゲタをならしてヤツがくるー、っていう歌。
これは昭和のPOPS?

村山由佳さんのラジオが心地いい理由は、聞いててなんとなくわかった。
30代独身の女性リスナーが、休日はひとりでたのしく過ごしてるのに、それを会社の男の上司とか女の部下からバカにされる、ってメールしてきて。
村山さんがこんなステキな休日の過ごし方が理解できないその上司と部下に怒って、この番組のリスナーの女性みんなに共感を呼びかけてた。
その番組は「深夜の女子会」って番組だからねー。

あ、この番組の女性リスナーって、こういう「一体感」でつながってるのかも、っておもった。
女は群れる、っていうやつ。

わたし、そういう「女子グループ」みたいなのはぜんぜん好きじゃないし、そこにうまく属せないんだけど。
でも、好きな人(この場合、好きな作家の村山さん)から「みんな」って呼びかけられる中に、じぶんもはいってたら、うれしいかんじになるかも。

そうかー、これが「群れる」よろこびかー、って、なんとなくちょっとわかった気がした。
深夜にひとりきりで聞いてても、ぜんぜん「ひとりじゃない」きぶんになれる。

ピストンさんの夕方の番組でも、リスナーの一体感、が熱いけど。
あの番組は「うちを聞いてるリスナーはJ-WAVEのほかのオシャレ番組を聞いてるリスナーとはぜんぜんちがうろくでもない人たち」みたいな自虐の一体感で結ばれてるからねー。
それがおもしろいし、じぶんもそのろくでもないリスナーの一員にはいってるのがたのしい雰囲気だし。

村山さんの番組は男性も聞いてて、メールがときどき読まれる。
シニア世代の男性が、妻をだいじにしなくてリコンされちゃって。
リコンしてひとり暮らしするようになってから、妻のタイヘンさがわかって、元妻にそれを伝えたい、みたいなメールしてきたことがあった。
村山さんは、別れた妻はあたらしい人生を進んでるのだから、もうそっとしてあげて、っていうコメントを返してた。

リコンした妻のことを思いやってるようで、けっきょくは、じぶんの感情が優先の元夫の人。
人を愛する、っていうのは、じぶんの愛を成就させることばかりがだいじじゃない。
相手のしあわせにじぶんはなにもできない、相手の人生にはじぶんは必要ではない、っていう現実を受け入れることも、「愛する」ことのひとつ、だとおもう。
あの男性のメールは、たぶん、妻とやり直す後押しをしてもらいたいのかなー、っていう甘えがかんじれたから(これはわたしの主観)、その甘えをピシャリと断った村山さんはさすが、っておもった。

ただ、この番組。
男性のホンネ、っていうコーナーがあって、いろんな著名な男性ゲストにいろいろ話を聞くのね。
その男性ゲストにかならず、どんな女性が好みか、って聞くんだけど。
ものすごいステキな人生を送ってきてる男性でも、「オトコをたてる控えめな人」とか、「オトコがつらいとき支えてくれる人」とか、「自立しててもオトコより弱いとこをみせる人」とか、もうねー、「はあああああああ?」っていう、進化しないオトコ、のがっかり女性観がわりと語られちゃうから、びっくりする。

いちどでいいから、「好きな女性には好きなように生きてほしい。僕はそれをそばでささえたい」とか言うオトコ、いないのー、っておもっちゃう。
(そういう人、いたかもしれないけど、わたしが聞いたときにはそんな理想は語られてないー)

女はつよくていいし、男はよわくていいし、女らしさっていうのは男に都合のいい女という意味ではないし、男らしさっていうのも女が依存できる男という意味ではないし。
相手にいろいろ望んでるうちは、恋してないよねー。
恋しちゃったら、もう相手はそのまままるごと、なにもかも「好きだからいーのいーの」で片づく。
そういうのが「恋」っていう気がする。

わたしは、すごい好きだった人のこと、その人のいろんな欠点も好きだった。
そういう欠点がいろいろある不完全性が好きだった。
でも、その人はわたしの欠点をいろいろ並べて、それがゆるせなくて、わたしから離れてった。
相手はわたしのこと好きだってなんども言ってくれてたけど、ほんとはわたしにぜんぜん恋してなかったの。
うふふ。

話がラジオから逸れたー。

っていうわけで、村山さんのラジオはすごい好きなんだけど、かかる曲とか、でてくる男性とかが、ちょっといろいろ感覚が古いかんじがして、そういうぶぶんだけわたしには合わない。
そういうの含めて、じぶんの世界観が広がるような村山さんのラジオに、わたしは夢中なのです。

村山さんの小説の創作上のいろんなエピソードもちょくちょく語られるから、そういうのもすごいおもしろい。



わたしのバイト先の「超絶人手不足問題」は、次のステージに移行した、ってかんじ。

急募の求人をいろんな媒体にだしてるらしいけど、うちみたいな業種でいちばんほしいタイプの人(協調性があり体力溢れるマルチタスク脳常識人)なんていうのはぜんぜんひとりも応募してこなくて。
シニア求人の媒体にも広告だしたから、ちらほらときた応募の人たちは、ひとりをのぞいてぜんいん還暦以上。
あと、ひとりは中年世代の男性だけど、病弱すぎてどこの面接も落ちてうちに流れついてきた人。

どう病弱かっていうと、特定の疾患をかかえてるわけではないみたいで(本人申告)、いろいろとカラダがよわいのでフツーにはたらくのがムリ(本人申告)、っていうらしい。
でも、うちは雇った。

還暦以上の人たちも、トランプさんみたいに大統領やっちゃうぐらいに精力的な高齢者タイプじゃなくて、うちの作業は体力的にいろいろとムリじゃないかなー、っていうかんじの人たちばかり。
でも、うちはみんな雇った。

これで少しは埋まらないシフトは埋まることになった。
(まだまだ人手不足はぜんぜん解消されないけど)

全面接落ちしてきた病弱な人は、「そういうわけで、体力つかう作業はさせないように。辞められちゃうから疲れさせないように。レジに立っててもらうだけでいいんだから」っていう店長指示つきで、いっしょに組む人たちに紹介された。
超還暦な人々は、「そういうわけで、難しいことは覚えれないし、体力つかう作業はムリなので、カンタンなことだけさせて。ムリなことさせて辞められないように」っていう店長指示つきで、一緒に組む人たちに紹介された。

でも、みんな、時給おなじ。

ここがポイント。

「いろいろと免除される新人」には「ラクな作業でちゃんと時給もらえる」ホワイトな話だけど、その新人たちとおなじ時給ではたらく「新人のやれない分の負担増になる先輩」は超絶ブラック化。

それがバカらしくて、仕事できる人たちが辞めてこんな超絶人手不足に陥った、っていうのに、学習能力ないよねー、うちの経営者。
能力給で少しは時給差をつければいいのに。

これからは高齢化はあたりまえになってくるから、高齢スタッフの作業免除はあたりまえ、って店長から説明された。
それはいいんだよね、べつに。
でも、免除される人と、そのぶんの負担増になる人と、だーかーらー、時給の差をつけなさいー。

工場ではたらいてる友だちのとこも、ものすごい高齢者がはいってくるようになって、でもだいたいは作業がぜんぜんムリでタイヘンなんだって。
でも、高齢者を雇用すると会社にお金がはいるから、だれひとりクビにはならないんだって。
うちのホログラムおぢさんみたいな、いろいろニンゲンとしてアレ、みたいな人はいないらしいけど、ほんとに呆けちゃってるんじゃ……、っていうぐらいに心配な人とかいるんだって。
でも、クビにはできないから、その人のいろいろ記憶のないかんじのはたらきかたをまわりの人たちがフォローしなくちゃいけないんだって。

さいわい、こんどうちにはいってきた超還暦な新人さんたちは、ホログラムおぢさん系の人はいまのところいなくて、みんなにこにこしてる人なので(そのかわり、ホログラムおぢさん以上になんかいろいろぼーっと立ってるだけ)、一緒に組んでもこっちのこころはすさまない。

ゴミ捨てぐらいはします、って言ってくれたから、ゴミ袋交換するだけのことをおねがいしたら、1時間ぐらい戻ってこなかった。
わたしも長蛇の列になったレジ離れられなくて、様子みにいけなかったけど、どうやったら1時間もかけてゴミ袋の交換するのか、ちょっと知りたい。

納品のとき、お蕎麦ひとつ棚にいれるのに、20分ぐらい迷ってて、そのあいだにわたしがぜんぶ終わらせて、そのひとつのお蕎麦のいれ場所がまだ決まってなかったから、「ここですよ」ってポップがある空いてる場所をおしえてあげた。
「あ、(商品の)名前がちゃんと書いてあるんですね」
って言ったから、「どれもちゃんと札がついてるから、そこにいれてくださいねー」って説明したけど、つぎの納品(25分後にきた)のときにはそのこと覚えてなかった。

じぶんがいろいろ買い物してきて、こういうお店の商品の陳列ってじぶんでみてきてるはずなんだけどなー、って、いろいろフシギになるぐらい、シニアスタッフの人たちは、商品をちゃんと棚に並べることができる人が「皆無」。
女性も男性も。

ちゃんと、っていうのは、ものすごい素晴らしい陳列、っていうレベルのことではなくて。
買いやすいように並べる、ってことができないの。
棚にいろんな向きで、つっこんじゃう。
ちがう商品どうしをヘーキで重ねちゃう。
パンとか潰れるぐらいにギューギューに棚につめこんじゃう。
ポテチは袋の中で粉々になるぐらい押しこむ。

それをじぶんがお金出して買いたいですか?
って、ほんとにフシギになる。

じぶんがお客さんになったら買いやすいように商品並べてくださいねー、っていうおしえかたをしたけど。
でも、ダメなの。みんな。なぜか。

年をとると、脳で「モノの向き」とかの認知がかわるのかなー、っておもったけど、どうなんだろう。

あと、やっぱりいろいろ覚えることがタイヘンみたいで(とくにいまのうちの業種って、バイトが覚えるべきこと膨大すぎて若い脳でもすぐにはムリ)、レジでさいしょに責任者番号いれるのをぜんぜん覚えれなくて(番号を記憶できないんじゃなくて、そのステップが覚えれないみたい)、離れてたレジに立つたびに「レジがつかえませんー」って呼ばれる。
レジ精算のさいごに年齢層のキーを押すとレシートが出てくるんだけど、そのキーを押すのを記憶できなくて、「あのー、レシートがでてこないんですけどー」ってまいかい呼ばれる。
だから、ひとりでレジ任せれないから、ふたりいても、ひとつのレジしか開けれない。

並んでるお客さんから「もう一台開けろ。急いでるんだ」って怒られて隣のレジ開けると、そっちで宅配便、もうひとつでネット決済とか重なると、もう新人にはお手上げ。
でも、わたしはひとりしかいないから、ふたつのレジを同時に受け持つ。
お客さんはとうぜん、怒る。
レジを途中で離れちゃうわたしに怒るから、わたし名指しの苦情が増える。

レジに立っててくれればいいから、って店長は言うけど、レジ番すら任せれない状態の人ばかりだから(そのうち慣れたらもっとマシになるとおもうけどねー)、時間かけてもっと研修やってから現場にあげてー、っておもう。
研修やる人員もいないから、さっさと現場投入されちゃって、シフト穴埋め地獄から免れたい店長はどんどんシフトから抜けてる。

さいきんの新人さんの特徴は、年齢性別問わず、みーんなトイレ掃除がキライ。
好きな人いないとおもうけど、ゴミ袋の交換に1時間かかる人も、トイレ掃除させると3分でおわらせて出てくる。
うちのトイレ、汚れてなくてもひととおりの掃除すると10分はかかるのに。
あとでみにいくと、ぜんぜん便器の汚れがそのままだったり。

このまえは男性の小用トイレにウンコしてった人がいて(洋式が使用中だったんだとおもうけど)、掃除当番だった新人がすぐに「掃除できません」って戻ってきた。
みにいったら、「こんなことしたやつ、お尻もげちゃえー」って呪いたくなるような状態だったけど、掃除しなくちゃいけない状態、でもあるからね。
掃除しないと、ってわたしが言ったら、「あんなの、掃除ムリですよ。業者さん呼ばないと」って言って、そのまま掃除拒否されちゃったから、仕方なくわたしがやった。
わたしはどんな状態の汚トイレも、もうヘーキで掃除できる体質になっちゃったからねー。

その新人さんが、「きぶんがわるくなるから汚れたトイレの掃除はムリです」って訴えたので、新人さん一律、トイレ掃除の作業は免除された。
ムリにやらせると辞められちゃうから。
でも、男子もトイレ掃除をイヤがったから、「わるいけど、トイレはこれからぴのさんがやってくれない?ぴのさんがいない日はじぶんか店長がやるから」って店長代理に言われて、わたしと店長代理と店長の仕事になった。

トイレ手当つけてくれるならいーですよ、って言ってみたけど、そんなのつけれるわけないでしょ、って怒られた。

ぜんぜん仕事できないからクビになりそう、って、ひとりのシニアスタッフの人が泣きそうになってわたしにこっそり言ってきたけど。
ほんとにその人もぜんぜんいろいろできない状態なんだけど、「うちはぜんぜんクビにならないから、心配しないでヘーキですよー。いまのコンビニってどんな新人もいっぺんにおぼえれるわけないかんじになってるから、のんびりやってってくださいー」ってわたしはこたえた。

職場の高齢化、ってこういうことなんだ、って、少しずついろいろ体験で知ってく。
わたしはいい体験させてもらってるかも、っておもう。

「フツーにできてあたりまえ」の基準が、年齢によって変化する。
その変化を受けいれないと、高齢者の雇用ってムリがでてくるんだとおもう。

いまのバイトの公式マニュアルは、現役世代向け。
これからシニア世代のバイトをどんどん雇用しなくちゃなりたたない業種なんだから、バイトに求められる「最低限の基本作業」のレベルをさげるしかないとおもう。
それを標準時給にして、あとは、基本以上のいくつかの作業をこなせる人には、そのぶんの能力給をプラスする形にするべきー。
基本作業しかしないでいい人と、フル作業できる人と、時給に差をつけるべきー。べきべきー。

それで、いちおうの公平感、って保てるとおもうんだけどー。
負担の不公平感で、仕事できる人が辞めちゃったら、それは負担免除されてる新人のせいじゃなくて、おバカな経営者のせい。

ホログラムおぢさんは、あいかわらずぜんぜん仕事をおぼえる気もなくて、だいたいの作業を組んだ相手にやらせて、じぶんは気分で暴言吐いたりさぼったりしてるだけだけど。
じぶん世代の新人がはいってきて、うれしいみたい。
同世代新人たちみんなに「ぴのって人には気をつけなさいよ。人をコキつかうからね」って忠告しまわったらしい。

新人さんたちはなぜかそれをみんな、わたしにおしえてくれたので、わたしはそれを知ったの。
(あなた、こんな悪口を言われてますよ、って本人におしえるのは年齢関係なくいるねー)

わたし、いつホログラムおぢさんを「コキつかった」っけ?
(?_?)
って、目が「?」になっちゃったけど。

もしかして、このまえ、雨で床が濡れてて、ホログラムおぢさんが滑りそうになって濡れた床にものすごい口汚く罵ってたから。
「床が濡れてたらあぶないから、裏にあるモップで拭いちゃってください。モップはあとでわたしが洗うから、そのままにしてていーです」
って言ったことぐらいしか、なにか作業を頼んだことはほかにはぜんぜんない。

あれも、わたしが拭くべきだったわけかー。

って、あのおぢさんの思考が理解できた気がして、「あー、あのときのことかなー」って、うふふ、ってわらった。
あとで新人にそんなこたえかたしたじぶんを思い返したけど、それじゃ、わたしがコキつかったの認めてるみたいじゃんー。

ぴのはコキつかう鬼オンナ、って、新人さんに広まりそう('_')←広めたのはおれ



書くお仕事は、いろいろエゴサーチしたら、いろいろ電子書籍化されてるの発見した。
著者本人にぜんぜん連絡ないじゃんー、っておもったけど、なんかものすごい過去に「電子出版するけど、儲けがでたらその分払うね」っていうかんじの雑な契約書にサインしたことある。
それの契約のぶんらしいけど、いつのまにレーベル変わってない?って、よくわかんない状態でぜんぜんわかんない場所からじぶんの書いたものが売られてた。

「儲けがでたらその分払うね」の契約は、ちゃんと実行されてたらしくて。
このまえのギャラの振込みのとき、わたしが計算したのより小銭な半端な額がおおかったから、これはなんだろー、原稿料がアップしたにしてはものすごい少額でハンパ、ってナゾがってたけど、その数百円の半端な金額が「儲けがでた分」らしかった。
まえにも振り込まれたことあったけど、そのときも数百円の世界。
あいかわらずの「微額」。

こんなの、幼稚園児のお小遣いじゃんー、っていうかんじの金額を、おれ、稼いだ。

さいきん、二次使用のものがいろいろ増えたし、じぶんが書いたものがどんなかんじでじぶんの稼ぎになってるのか、ぜんぶちゃんと把握しきれてない気がする。
なんて言っても、放っておいたら口座に数億たまってた、なんていうたのしい話じゃなくて、なんかいろんなとこから小銭があつまってる、みたいな募金箱的。

アクセ作りのお仕事のほうは、この季節柄、卒園式や入園式でつけるオリジナル名札の依頼を幼稚園からいただいたり、パーティのゲスト用のコサージュのまとまった依頼があったりして、こっちも納期までいろいろいそがしかった。



春樹おぢさんの短篇の話も書きたかったけど、またこんど。
って、いつもいろいろ先延ばしにしてる話題がたまってて、そういうのをいろいろわすれてって、いろいろなかったことになってる。

春樹おぢさんの小説は、いちど読んだだけじゃ、わたしのあたまは「上澄み」しかわかんない。
でも、時間が経ってから、じわじわと、その上澄みの底に沈んでるもの、に気づいたりする。

『イエスタデイ』って短篇で、わたしがものすごい惹かれた箇所があった。
さいしょは、そこに書かれたままのものに惹かれたんだけど。
なんかそこの箇所を、いま、このブログを書くのに読み返してみて。

あ、これ、比喩なんだ、って「いま」気づいた。
そういうのに気づくの、わたしのあたまは遅すぎ。

比喩だと気づいて読み返すと、春樹おぢさんはちゃんとそれが「比喩だよ」ってわからせるようなことを書いてる。

いちど読んで、そのあとずーっと、あたまの中で読んだもののいろんなナゾ解きがはじまる。
それが春樹おぢさんの小説のたのしさだし、それがいろいろわたしのあたまには疲れてしまうから、読みたいのにすぐ手を出さない「ためらい」にもなってるんだとおもう。

『イエスタデイ』のー、氷の月はー、詩的なステキイメージとかじゃなくてー、氷の月イコール木樽のおにーさん自身、なんだねー。
20センチの厚さの氷の月、は、二十歳の木樽おにーさん、ってことじゃないのー?

っておもったんだけど、ちがう?(自信がない)

だれかー、こたえあわせしてー。


女のいない男たち (文春文庫 む 5-14) -
女のいない男たち (文春文庫 む 5-14) -




じゃあの。


posted by ぴの at 17:17| オーランド 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

たっぷりの海の週末記

冬眠から覚めるのにうってつけの日(バナナフィッシュ的な)な啓蟄のあったかい昨日とうってかわって、また冬がもりもりがんばった今日。
外に出たときの寒さが、快感。



保土ヶ谷PAで流れてるIinstrumentalのBGMがFar East Movementだらけだった。


お蕎麦食べながらこれ聞けるなんて、サイコー。
わーい。

このPAの売店は、横浜とか神奈川のいろんなお土産が売ってて、これもサイコー。
赤い靴のチョコとかすごいかわいいし。

神奈川名物の柄のてぬぐい製品とかもいろいろあって、ものすごいステキなの。
シュウマイの柄(赤地にグリーンピースが乗っかった白いシュウマイが描かれてる)のてぬぐいハンカチがかわいすぎて、わたし、人にあげるのに買っちゃった。
だれにあげるかぜんぜんかんがえてないけど、だれかになにかちょっとあげたくなるようなときに、これあげようとおもう。

書くお仕事の人たちといろいろ飲んだりして会うと、みんな、いろいろちょっとした手土産交換とかするのね。
だれかがシュミでつくったビーズのアクセとか、旅のお土産とか、ほんとにちょっとしたもの。

人と会うときに、相手のこころの負担にならないような「ちょっとしたもの」をプレゼントする、って、いいなー、っていう感覚をわたしはこれで学んだ。
だから、いろいろ「ちょっとしたステキなもの」を見つけると、あげるアテがすぐにおもいあたらなくても買うクセがついた。
人にちょっと贈る、っていう箱にそれをしまっておく。



ゆうべの漁港は道路のとこまで海面が押し寄せてて。
「海がたっぷり」
っておもった。

潮がひいて波打ち際がずーっと向こうにあるときの漁港は、
「海がちょっぴり」。




これ、ラジオで一日一回以上は聞く、ってかんじだけど。

これ流れるたびに「あ、ミッ●ーマ●ア♪」って、わたし、おもっちゃう。
ミッ●ーの声(らしきもの)もはいってるし。

でも、ネットでいろいろみても、おなじ感覚になってる人、みあたらないんだよねー。

でも、わたしの脳内にミッ●ーマ●アが重なって再生されちゃうのです。



読んだマンガのことでいろいろ書きたかったけど(「書く」ことが好きな人には、いろいろ興味深いマンガだったとおもうから)、ちょっとつかれちゃったから、それはあとで。

あとで、あとで、と、あとまわしにしてることばかりで、ほんとに、ブログになにも書かないまま過ぎてるものがいろいろありすぎるけど。

どうやったら、「書きたいときにブログを書く」みたいな自由時間を自在にもてるようになるのか、まいにち時間にただ追われてるだけの無能なじぶんに腐る。

ウソブログをつくって、じぶんでたのしんで書いてるけど。

客観的に、ああいうウソをテキトーに書いてるだけのブログ、って、人が読むとなにがおもしろいか、ぜんぜんわかんない。
それこそ、公開する必要性とかかんがえると、自己満足にもほどがある、とおもっちゃうけど。
でも、べつにどこからもお金をとってるわけじゃないから、好きなように書いてる。

それを読んでくれる人がおもったよりはいて、あんな内容で他人には内容が理解されてるのかなー、ってギモンが湧くけど、書くのはたのしいから、まだ少しはつづけようとおもう。

本の話をもっといろいろ書きたい。
けっきょく、じぶんの興味、って、そこに強くあるんだとおもう。

じぶんが「そのお仕事をしてるひとり」として、プロである立場から、差しさわりのない話を発信したいわけじゃない。
プロの書き手の人のオフィシャル的なアカウントで発信されるものって、つまんないものがわりと目につく、ってわたしはかんじてて。

もちろん、ホンネをフツーに書けちゃう人もいるけど。
ホンネを書く人には、執拗なアンチとかがいろいろついて、いろいろめんどくさいことになってたりする。
だけど、じぶんの発言って、もっと自由であっていいとおもうからねー。
その「自由」を、表現者はいちばん守りたいものだともおもうし。

きれいごとしか書いてないよねー、ってかんじる人とか、じぶんの仕事の宣伝ばかりになっちゃう人とか、わりといろいろみる。

ラジオである日、わたしは名前しか知らなかった「書き手」を知った。
その本人が出てて、その人のトークにそんなに惹かれるものはなかったんだけど、その番組でその人が書くものがあまりに絶賛されてたから、作品にものすごいキョーミ持った。
その人の名前でググッてみたら、本人のブログが出た。

飛びつくように読んだら、過去記事はいくつかこころ惹かれるような魅力的な記事があったけど、さいきんのものは、じぶんの仕事紹介とか、各方面に差しさわりのないきれいな話ばかりになってた。
そういうきれいごとを書くようになった時期っていうのは、その人が売れてきた時期、らしい。

売れるようになると、きれいな発言しかできなくなる。
それは商業的にそうするしかない事情もわからないわけではないけど、それってファンをどれだけ切り捨ててるのかなー、ともおもった。

あたらしいファンを獲得することもできるから、売れたい書き手はそういう路線に走るようになるんだとおもうけど。
商業ベースではないその人の素のコトバ、を好いてた人は、商業ベースに乗っかったコトバに裏切られたきぶんにはなるとおもう。

あのさー。
「書く人」はさー。
商業ベースに媚びるなー。

って、言いたくなるよね。
わたしは、なる。

売れないとプロとして生活がなりたたなくなる、のはわかる。
仕事だから、利益を追求するのはあたりまえ、っていうのも、わかる。

でも。

それで、いいの?

とも、おもう。

編集者サイドは。
作家が書いたものを、作家に売らせるなー。
とも、おもう。

あのさー。

自由な感覚で表現する人に、その表現したものの販売責任まで追わせちゃうのって、ものすごい冒涜にもおもうんだよね。

たとえば。
死にたくなるような人の心境を、その作家の切り口で表現して、読み手の深層までえぐりとっていく。

ぐらいの「コトバの力」を魅せた人に、「どうです。これ読むと元気でますよ。ぜひ読んでください。損はさせません」みたいな商売気まで持たせるのって、ものすごい陳腐、じゃん。

自著をせっせとツイートしてる作家。
自著への絶賛レビューをせっせと拡散してる作家。

これ、かっこいい?

好きな書き手もそういうことしてたりするから、わたしは好意的な受け止め方をして、できるだけそこに共感したいとはおもう。

でも。

ホンネは。

みっともない。

っていうきぶんになるじぶんの反応を、打ち消せないでいる。

村上春樹おぢさんは、じぶんは依頼に応じて書くスタイルの書き手ではない、ってことを書いてた。
表現者として、自由が失われてしまうから、って。

書く仕事をしてる人は、依頼に応じて書くしかない立場の人が圧倒的に多くて、依頼を断れる立場やじぶんから好きなときに持ち込んで発表してもらえる力のある人ばかりではない、っていうのが現実なんだけど。

でも、「売れるために媚びる」ことは、表現者の自由が失われる、っていうのには、わたしも共感する。

書く人は、じぶんの書くスタイルに、もっとかっこつけようよ、っておもう。

2ちゃんねるやアマゾンのアンチレビューは見ない、っていうことじゃなくて。
じぶんの作品を、じぶんで売りつけない。

売るのは出版社の仕事じゃん。
そのために、出版社はあるんじゃん。

書いたものをじぶんで売るなら、出版社なんて要らない。

書き手がじぶんの作品を売るなら、そういうフリマみたいなとこで、じぶんの作品の小冊子をテーブルに並べて、そこにじぶんが座ってお客さんが来るのを待つ、ぐらいな呑気なかんじがいい。

どうです。
読んでみませんか。
みんな、絶賛してるんですよ。
ほら、損はありませんよ。

っていう狙いの売りこみの仕方に、どんな美学があるのかなー、って、わたしはおもう。

じぶんの言動に対する美学に鈍感な表現者、って、矛盾がある気がする。

出版社は、作家に販売中の自著の宣伝をさせちゃいけない、っておもう。
発売日にお報せ的に言うぐらいはいいとおもうけど、その絶賛感想を書いた本人がせっせと拡散するような、そういう美学もへったくれもない行動を、表現者がすることに、わたしはなんか抵抗がある。

表現者とセールスマンは、合致することになんの矛盾もないのか。

っていうとこに、いろいろかんがえちゃう。



ねむくなったから、これで寝るー。
るるるー。

睡眠時間がすくなすぎて、深刻な病気になったおれが忠告するよ!
まいにち最低でも5時間は寝ないと死ぬよ!

なーんて言っても、人類は、何時間寝ようが「ぜんいん」、かならず死んでるんだけど。

いつ死ぬか、じぶんに都合のいい死期に死ねる人など稀なのだから、好きに生きるのがいちばん。

このまえの検査で、いろいろと問題ある数値を並べられて。

とにかくいろいろと「やばい」みたいなので、いろいろと気をつけて生きなくちゃいけない話をされたけど。

「気をつけて生きた場合、気をつけないで生きるのとどれぐらい生存率がちがうんですか」
って聞いたら、主治医の人は、
「うーん。気をつけて生きたって、サイアクな結果になっちゃう人もいるからねー」
って。

だから、じぶんが納得いく選択をするしかない、って話をして、じぶんもそれに同意した。

わたしはいろんな科で検査しまくる必要がある状態のカラダだから。
ほかの科の先生ともそんな話をして。

「ストレスで悪化するから」
っていう状態にわたしはある。
でも、その話をされてから、
「ストレスがない人なんていないけどね」
って、その先生は言った。

医学的に、きれいに、ただしく、なんて、人は生きれない。
なにかを犠牲にして、なにかを得る。
そのさじ加減みたいなのが、人それぞれの人生観、なんだとおもう。

わたしは、いざ余命が限られたとき、一切の延命のための治療はしない、って主治医の人に話してる。
そういう治癒に向けた治療をしない場合、その先生は、その時点でもう「診れない」んだって。
医者は「治す」ためにいるのだから、治す気がない人は診れない、んだって。

だけど、治さない人のための医療ケアみたいなものはちゃんとあって、わたしはそこに紹介されるらしい。

わたしは、いまのじぶんを厳しくして少しでも長生きしようとはおもっていないので、生きてるあいだのじぶんを少しでもラクな状態に保ちつつ、少しでも穏やかな死を目指したい、って話した。

深刻な病気をかかえると、そこに否応なしにも「死生観」への自覚が生まれる。
これは、この週末、わたしが読んだ天才小説家のマンガにも通ずる話だけど。

ただ生きることばかりが、「生きる」ことじゃない。
わたしはそうおもう。
どう死ぬのか。
それ、だいじ。

何年先になるかわからないけど、人は「かならず」死ぬ。
生きることばかり、どう生きるかかんがえる、そういう思考に自覚をもとうとする風潮だけど。

だれだってかならず死ぬのだから、じぶんの死に対する心構えがどう持てるか、ってことで、じぶんの生きる姿勢ができるよね。

わたしはいろいろとめんどくさがりで、がんばることとかキライだから、がんばらないで死にたい。
つらい「がんばり」が必要な闘病はしたくない。

そこまでがんばって生きる理由は、わたしにはなにひとつない。

だから、生きてるあいだは、とてもラクに生きてたい。
そして「やれやれ」って、息吐いて、力抜いて、命を終了にしたい。

じぶんの病気に、いくつもの「タブー」がある。
そういういくつもの禁忌をかかえこむような病気。

でも、わたしはそれをぜんぶ守らない。
それで命が縮むとか言われても、縮む命に、なんの惜しむきもちがない。

ただしく生きて。
その生き方が、じぶんには合わないとして。

合わない人生を送って、生きて、その人生に、わたし自身、なんの意味をみいだすのだろう。

だらしなく生きて、自業自得で死ぬ。
それはとてもわたしらしくて、そういうじぶんに呆れながら死ぬぐらいがラク。

あんなにじぶんに厳しく生きたのに結局死ぬのかー、なんて悔しくおもうより、「ひゃー。やっぱりだらしなさすぎて、わたし、もう死んじゃうー」って、じぶんに悪態つきながらへらへら死んだほうがラクな気がするもん。

いくつかのクスリを経済的に断って。
主治医が「うーん」っていう数値に、その治療はしない選択をして。

それで、ずーっとこれ以上は悪化しない可能性だってあるからねー、って慰めのように言う先生のコトバに、「結局、運任せでどうにもならないってことですよねー」って、わかったようなクチをきく。



書いたもの、が、人に認められたり、売れたりすることばかりが、書く目的ではなくて。

生きること、は、ひたすら長く生きることばかりが、生きる意味でもなくて。

やっぱり、この週末読んだマンガ、そういう話をするのにいいネタがごろごろ詰まってる。



あのね。
飲みながら書いてたから、もうここで酔ったかんじに脳がとろけてて、じぶんがなに書いてるのかわかんなくなってきた。

じゃあのー。

posted by ぴの at 20:54| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

take a bow

まいにちまいにちまいにちまいにち乾いた風がつよすぎて、窓を1ミリも開けれない。
昼間の外は換気するのにきもちがいい気温だから、できれば小窓なんかは開けっぱなしにしておきたいのに。
窓をちゃんと閉めてても、畑のこまかい土がはいりこんできて、ざらざらする。

さいきんはにわか雪、がおおい。
気づくと雨じゃなくて雪が降ってるの。
フロントガラスが濡れたり、車の屋根に雪のつぶがつぶつぶ積もったり。
夜中なんかは1時間ぐらい降っただけで、畑が真っ白になる。

だけど、すぐに雪はやんで消えて、すぐに地表は乾いて、風が吹くたびに湿ってたはずの土がさらさら舞い上がりだす。
夜中でも道を走ると、対向車のライトが照らしてる範囲が茶色のスモーク状になってて、昼も夜も一日中空気がひどいことになってる。

真夏のゲリラ豪雨がいま、季節の神さまのうっかりミスで一回ぐらい襲ってくればいいのに。



プレミアムフライデーがなんなのか、やっとさっきわかった。
会社勤めの人は早く帰れるとしても、それでいろいろお金をつかってもらうとしても。
そのお金をつかってもらう側の仕事の人たちには、プレミアムな金曜日ってぜーんぜん関係ないじゃん。
経営者の利益はあがるのかもしれないけど、底辺時給ではたらいてるブラックサービス業の非正規労働者なんて、なんの得もないよね。

仕事から解放される時間を増やして、どんどん遊んでお金をつかってもらう。
っていう政策がとられるたびに、そういう人たちが遊ぶ場所ではたらく人たちにはなんの恩恵があるんだろう、ってフシギなきもちになる。

サービス業の非正規には、「週末」なんてぜんぜんうれしくないよ。
コンビニなんて日曜祝日割増時給制度すらないし。

原稿だってー。
会社勤めの編集者さんは、週末とか連休とかは、「休みまえ」に「休み明け」シメキリの仕事をくれる。
じぶんたちが休んでるあいだ、書く人は書くお仕事をする。
休日執筆割増原稿料制度、法律でつくってー。



いろいろと人がいなさすぎるようになったわたしのバイト先のお店。
シフトがものすごいことになってて、それは店長の自業自得だからあんまり同情もしないで、「おもしろいことになったなー」っていう黒いきもちで見てたけど。

もうこの業界、まともな日本語が通じてまともな常識をもってるまともな人(日本人じゃなくてもOK)でシフトをきちんと埋める、ってことは100%不可能なんだとおもう。
じゃあ、仕事できなかったり、常識がなかったり、日本語がカタコトすぎる外国人だとしても、とにかく出勤してきて退勤時間まで店内にいてくれればいい、っていう妥協をしても。
そういうのも、もう難しい時代なんだとおもう。

きちんとシフトが埋まらない。
リアルネコの手を借りるしかないぐらいに、「ニンゲン」だけではシフト埋めれない。

都内で見かけたある店舗(コンビニじゃない)は、人手不足なので週に何日かお休みします、って貼り紙がしてた。
コンビニは契約でお店を閉める時間をつくれないから、まえに書いたことあるけど、人手不足なのでレジを待たせる、って書いてあったとこもある。
ワンオペでまわしてる系列もみる。(その系列はいいのかな)

うちのお店はいろいろありすぎて、「かろうじて最低限の仕事ができる人」だけで営業がなりたたない状態になって、仕事がほとんどできない人(能力がひくいんじゃなくて、意識がひくい人ばかり)でシフトを埋めなくちゃいけなくなって、店内のいろいろがものすごいひどいことに陥ってる。
店長と店長代理と店長一族の(ぜんぜんつかえない)高齢の身内で「ぜんぜん埋まらないシフトのコマ」を埋めてたら、その人たちの健康被害がでるレベルになった。

仕方ないから、シフトを減らしたかったわたしもヘルプ側にまわるようになったけど、そんなことじゃなんにも改善されない。
しかも、「仕事の意識が最大限にひくい人」たちのシフトの日には納品を制限して、わたしのシフトの日に集中的に発注かけるようになったから、わたし、作業を最小限にしてもらってるほかの人たちとおなじ時給っていうのが死ぬほどバカらしくなってる。

こうなると、ほんとに、職場は崩壊してくね。
いままで、いろいろこのバイトのグチとか文句とか書いてきたけど、そういうレベルとぜんぜんちがう。
ステージがちがう、っていうかんじ。

ホログラムおぢさんは、こんな状況に陥ってる「お店の危機」がぜんぜん理解できなくて、あいかわらずのんびり意識ひくいままはたらいてるけど、店長と組む日が増えたから、そのストレスがたまってるみたいで、わたしへの暴言や態度がものすごいひどいことになった。

あんまりひどいから、わたし、ついに反撃にでた。
信じれないぐらいの暴言を吐きつづけてとまらないおぢさんに、ずっと黙って仕事してたけど、いきなりわたし、(店内にだれもお客さんいなかったから)、レジカウンターに金属のトレイを「バーン!!!!」と叩きつけて。
「いい加減わたしも言い返しますよ!わたしと喧嘩しますか!?わたし、口喧嘩はつよいですよ!」
って、吼えた。
ほんとに、吼えた。

そしたら、おぢさん。
一瞬で黙った。

わたし、じぶんの口調のきつさにびっくりした。
って、じぶんがすごいイヤになったけど、なんか威圧的な言い返しをしないと気が済まないぐらいの沸点に達してた。

その日はそれからふたりして、一言も口きかないで黙々はたらいた。
(はたらいたのはわたしだけ。おぢさんはふてくされて、レジで仁王立ちしてただけ)

その次にまた組んだとき。
こんどはおぢさんが反撃してきた。
なんかいきなり、「このまえのことだけど。こっちがなんかしたわけじゃないのに、アンタ育ちがわるいね。どんな親に育てられたんだか」って、ずーっとくどくどからんできた。

だからわたし、ちらっとおぢさん見て、「わたしの生い立ちが今夜の仕事にどんな関係がありますか」って、こんどは大声にならないように、ものすごい感情のない声で抑揚なくぼそっと言い返して、それきりじぶんの仕事を黙々した。
そしたら、ずーっとぶつぶつ、わたしの親の顔がみたいとか、いろいろからみ続けてきたから、わたし、うちの菩提寺をおしえた。
そこのお墓にお母さんがいるので、そこに会いにいってください、って。

そしたら、次のシフトのとき、「アンタは長生きできるよ。性格がきついオンナってのは長生きするんだよ。アンタのお母さんはやさしかったんだね。だから早死にしたんだね。そのぶん、アンタは長生きしなさいよ」って背中をパタパタ叩かれて励まされた。
('_')

このおぢさん、やさしいときと暴言のときと極端すぎて、ほんと、わかんない。

店長ともすごい喧嘩した。
シフトの穴埋め地獄がすごすぎて、ものすごい疲れ果ててきてるのはわかってたけどねー。
ある頃から、だんだん不機嫌になって。
わたしにだけじゃなかったけど、わたしと組んだある日、一気に八つ当たりみたいに不機嫌をぜんぶぶつけられた。

店長が疲れきって、通常なら40分ぐらいで終わる納品作業が、40分経っても「え?まだこれだけ?」ってぐらいしか進んでなかったから。
わたし、店長がやばいぐらいに疲れてる、っておもったから、じぶんの作業は後回しにしてそっち手伝って、店長に休憩はいってもらおうとしたら。
じぶんの仕事をなにさぼってんだ、って、ものすごい形相で怒鳴られてびっくりした。

じぶんのは後で充分間にあうから、って言ったら(ほんとに余裕で間にあうの)、そうやっていつもやってないじゃないか、って怒鳴られまくった。
「は?わたしが?わたしはいつもぜんぶやってますよ。やってないのはほかの人だとおもいます」って、わたしもやっと口をはさむように言い返した。
そしたら、「ほかの人は関係ない。じぶんの仕事をきちんとやれと言ってるんだ!」って、ものすごい喚き散らしてきて、ものすごいこわくなった。
(このときもお客さんはぜんぜんいなかったけど)

わたし、じぶんの作業残して帰ったこといちどもないです、って言ったけど。
やってないのをこっちは確認してるんだ、口応えするな、ちゃんと仕事しろ、って怒鳴られまくったから。

ほんとにわたしがやってないって確認したんですか?
って、わたし、ものすごい醒めた口調で返してから、「そんな言いがかりで怒られるなら、わたしもここ、辞めます。こんなにシフトの穴埋めの協力してるのに、バカバカしい」って言い返した。
「今度のシフト、出しません」って、次のシフトを出す時期だったから、そう言ったら。
そんなすぐに辞めれるわけないだろ、って怒られたから、「じゃあ、次のシフトからぜんぶの日を出れない、って出します」って言い返した。

そしたら「そういう話じゃないだろ」って言って、それから、「ぴのさんじゃないのはわかってるんだけど、みんな、いい加減な仕事するから、ぴのさんについ当たっちゃったよ」って謝ってきた。

「店長、疲れすぎてるんですよ。あとはわたしがぜんぶやれるから、休憩しててください」って言って、そんな休んでられない、って言い返してたけど、ムリヤリ店長を休憩に入れた。
それで一時間ぐらいで出てきたから、もっと休んでてください、って言って、そんなわけにいかない、っていうから、疲れて八つ当たりされるのイヤだからわたしのシフトの日は休憩たくさんとってください、って、わたしもきつい口調で言い返した。
だって店長、何時間はたらくのー、っていうぐらい、シフトはいりっぱなしだからねー。

それで、店長にできるだけ休憩とらせて、わたしはフツーにはたらいて、それから、ほかの日の店長の地獄のシフトをいくつかかわってあげた。
「疲れてるのわかるけど、八つ当たりされるの、すごいイヤです。こっちもどっと疲れます」
って文句を言ったら、「ちょっと寝不足すぎてイライラしてた。ごめん」って謝ってくれたから、それで店長とはフツーに戻った。
店長代理から、そのあとで、「まさか、ぴのさん、辞めないよね。こんなときに辞めないよね」ってものすごいきつく言われた。
店長代理とも関係がこじれてたから、ふたりの対話ってさいきん、いろいろ喧嘩っぽいんだけど。

「こんなに人がいないときには辞めないつもりですよ。いちおう、雇ってもらってお世話になったから。でも、あんまり不機嫌ぶつけられると、わたしもバカバカしくなります。そしたら辞めるかも」ってぐらいは言い返した。

そしたら「そうだよねー。さいきん、わたしもぴのさんに当たりすぎてるって反省することおおいんだよねー。でも、ぴのさん、言い返すようになったから良かったとおもって。これからも喧嘩していいから、言いたいことは言い返して、それでなんとかお店支えていこうよ」って店長代理に言われた。

職場がものすごいブラック状態になると、ふわふわした性格で穏やかににこにこはたらきつづける、なんてできないねー。
イライラしてくる人と、こっちも負けずに戦うようになって、こんなじぶんイヤ、っておもいながら、でも、ほんとに雇ってもらったこととか、いろいろお世話になったことはあるから、職場の危機をじぶんの感情だけで切り捨てれない。
そうやってブラックに取りこまれていくのかもしれないけど、わたし、じぶんがどんどんふてぶてしくなっていくのが可笑しい気もある。

辞めればいいのにね、こんなバイト。
でも、文句言いながらも、ぜんぜん辞めない。
辞めても、次にまた同系列の他店舗ではたらいてる。
バカみたい。わたし。

なんで辞めないんだろ。

いろんな常連さんとおしゃべりするのがたのしいから?
お店をいろいろ変わってきて、常連さんも変わってきてるけど。
わたしがいまのとこで働いてるの知った、まえのお店の常連さんが、わざわざ来てくれたりもする。

わたし、いま辞めないのは。
いつでもこのバイト、辞めることはできるから、だとおもう。
経済的に、いちおう、このバイトしなくても、生活はなりたつようにはなったから。

いつでも辞めてやれる、っていう強気が維持できるから、なんとなくじぶんに余裕が生まれるのかな。

いろんな人と言いあいすると、こころがすさむ。
わたしは性格がよくなくても、人といつもあらそう状態にじぶんを置くのは苦手。
だから、対人関係でこころがすさむようなことがあると、もう辞めてやる、っておもう。

だけど。
わたしもこうやって、壊れていくんだろうね。
じぶんのこころのだいじなぶぶんを強酸で溶かしていくみたいに、どろどろした場所から逃げ出さない。

人って、わたしにとってものすごいキライなぶぶんがたーくさんあったとしても。
ちょっとだけ、その人のやさしさみたいなカケラを見ちゃったとき。
そのやさしさがじぶんに向けられたわけでもなくても、「あ、この人の中にこういうやさしさもあるんだ」って見えたとき。
それが、錯覚だとしても。

この人はわるい人ではない、っておもっちゃう。
その、ちらっと見えたやさしさみたいなものを、わたしはじぶんの中に僅かにある「善意」をかきあつめて、きれいなこころで向き合わなくちゃいけないきぶんになる。

そういうじぶんを、いちばんバカらしいとおもうけど。
わたし、すごいキライな人の「少しはいいぶぶん」を見つけると、じぶんがまともなきもちになれるのかもしれない。
じぶんの理性みたいなものに陶酔できるのかもしれない。

けっきょく、わたし、じぶんを少しでもまともなニンゲンのふりすることをやめれない。








出先で流れてるのを歩きながら聞いてて、これもうっとりするようなきれいな曲、っておもった。
この歌詞は聞いてるだけで、わたしにもわかる。
ものすごいわかりやすい(易しい)英語、ってことなのかなー。

わたしも華麗にお辞儀して職場を華麗に去りたい。
人生からも華麗にお辞儀して「さよなら」と言って、華麗に去りたい。



 
posted by ぴの at 19:47| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする