2017年08月21日

この夏はまいにち「ガツン、とみかん」食べてる

なんだかんだで、またブログ離れしてた。
8月になったらまいにちまいにちまいにちまいにち雨で、いつ洗車したらいいのー、っておもいながら、40年振りっていう記録に迫る勢いの長雨の日々をきぶん的にたのしんでる。

ちょっとまえはさむいぐらいで、長袖をひっぱりだした。
でも、今週はまた晴れときびしい残暑が戻るとか。
ここまで雨がつづくと、30度を越える晴れた夏日はひさしぶりにうれしくなる。

雨はわたしの精神が安定する。
それを証明したような夏だった。

こんなに穏やかな幸福感っていうのをかんじたのは、じぶんの人生でも少ない。
べつになにかはっぴーなことがあったわけでもないんだけど、単なる「いつもの日常」がおだやかなメンタルで過ごせてる。
いろいろ哀しい別れがまたあった年だけど、そういう哀しみはこころを蝕む毒性があるわけでもないし。
日常的なトラブルもいろいろあるんだけど。
バイトでも、ほーんとうんざりするようなことがあったけど、数時間でわたしの魂は雨で浄化されて、じぶんの中から「うんざり」感がきれいに洗い流されちゃう。

この先、いろいろじぶんにとってきつい展開になっていく未来に、安寧としたことしの夏をおもい返すことがあるはず。

もし、死後の世界に「天国」があるんだとしたら。
じぶんの欲望がすべてかなえられるような酒池肉林的な極楽じゃなくて、波のない凪いだ海の浅瀬に膝まで浸かって、空と海しかない視界にぼーっとひたってるだけの時間が静かにつづく世界、をおもい浮かべる。



夜中のドライブはこの夏もつづけてる。
このまえは、ちょうど引き潮の時間の夜中に海に行って。
波が穏やかだったから、ついまっくらな海岸で裸足になって、波打ち際にぽちゃぽちゃはいった。
そしたら、ほとんど白波もたたないほど静かな波が浜辺を舐めるようにたいらに押し寄せてきて、それがひいていくとき、裸足で立ってる砂がグーッと深くえぐられて、おもいっきりよろけた。
きゃー、って、あわてて体勢ととのえたらまた舐めるようなたいらな波が押し寄せて、それがひいていくときにまた足の裏の砂がえぐられて、こんどはおもいっきり波の中で尻もち。
もちろん服は着たままだから、デニムがずぶ濡れ。

尻もちついたままでまた押し寄せてきた波の「引き」で、お尻ごとずりずり海にひっぱられそうになった。
遠浅の海岸だから、波は遠くからぜんぜん高くならず、ずーっと浜辺を舐めるような低さでしかないのに、波打ち際のなにもかも海に持ち帰るような強引な引きの強さにびっくりした。

まえにも裸足でぽちゃぽちゃはいったことはあるけど、こんなふうに尻もちつくことなんてなかったのにー、っておもったけど、車に戻って調べたらちょうど干潮MAXに近い時間だった。
引き潮ってこわいー。

いっしょに行ったスプリさんも波にひっぱられて服がずぶ濡れ。
ふたりでぎゃーぎゃー言いながら砂浜になんとか逃げて、それから「これどうするのー」って濡れた服に途方に暮れて、車に積んでたタオルで拭けるだけ拭いて、シートにタオル敷いて座って、いちばん近くのコンビニに行って、着替えを買った。
わたしはじぶん着替えは一式、いつも車に積んでるから、スプリさんの着替えを購入。
海辺のコンビニには水着だけじゃなくて、ショーパンとかTシャツとか着替えも売ってるわけがわかったよねー。

コンビニのトイレは、砂を洗い流したり着替えは禁止、って書いてあるから、車の中で着替えた。
夜中だから、ほかにだれもいなかったし。
でも、店員さんが不自然なびしょ濡れのわたしたちに「海にはいったんですかー?」って聞いてきて、「はいるつもりじゃなかったんだけど波にひきずられて転んじゃって」って言ったら、駐車場の水道をつかわせてくれた。(ありがとうございます)

そこの店員のおにーさんに、「海水浴場」ってなってるとこはまだ安全だけど、そうじゃないとこの「浜辺」は波の「引き」がものすごい強かったり、浜辺からすぐのとこにつよい潮の流れがあったりするから、昼間でもはいったらヤバイですよ、って言われた。
(わたしたちが転んだのは、夜間遊泳禁止とはべつに書かれてなかった「海水浴場」の浜辺だったけど)

イナカのほうのコンビニは、夜、入り口の外側のとこにだいたい扇風機があるのね。
それはなぜか知ってるー?
理由はねー。
「虫除け」です。

真夏の夜はドアが開閉するたびに、いろーんな虫が店内にはいりこんでくる。
セミとかおおきい虫にはあんまり効果ないけど、羽虫みたいなちいさい虫(周りに緑がおおいイナカだと、こういうのが大量に侵入してくるのです)は扇風機の風でわりと防げる。
わたしの家も、網戸の目よりちいさい虫がいろいろ入り込んでくるのに閉口して、「風で吹き飛ばしてやるー」って、網戸に向けて扇風機をまわしたら、そういうちっちゃい虫の侵入がなくなった。

久し振りに夜中の房総半島ドライブもした。
そしたら、はじめて「キョン」を見たー。

キョン 房総で大繁殖14年で50倍5万頭 農業被害拡大


わたしが走りまわったのは、まさにこの記事にある「君津」「鴨川」「勝浦」「大多喜」。

以前はここらへんで奈良で見かけるようなおっきな鹿の飛び出しに遭ったけど。
このまえは、小型犬みたいなのがいきなり車の目の前を横切って、びっくりしてブレーキ。
(動物の飛び出しがこわいから、わたしはイナカの夜道はぜったい飛ばさない)

そしたら、それは右から左の山のほうに駆けてったんだけど、車の窓開けてたから、外の「音」がよく聞こえて。
左側の斜面がものすごい「ガサガサ」草の音がするから、一匹入り込んだぐらいの音じゃないよねー、ってなにげに左側を見たら、ちいさい「眼」の灯りが草むら中に光ってるの。
まるで蛍みたい。
でも、そのちいさい光の動きといっしょに、「なにか」が、そこらの繁みをうごきまわってる音が「そこら中」から聞こえた。
「なんか、たーくさん動き回ってる」っていうかんじの音にギョッとして、よく目をこらしたら。

道路の左側の山の斜面に何匹も、ものすごい数の「小型のシカ」がいて、悲鳴あげそうになった。
これが噂の「キョン」だとすぐにわかったけど、ほんと、こわくなるような数のキョンが、すぐに民家や畑がある場所の山林にいるの。
道を横切ったキョンが出てきたのは、「畑」がひろがってる斜面から。
こんなふうに、夜中は人里まで押し寄せてきてるんだー、って、通りかかっただけのわたしでもすごいこわくなった。

「数匹」っていう程度の数じゃなかった。
「車道」で見かける「野生の動物」としては、尋常じゃない数。

記事にはたくさん「捕獲」してる、って書いてるけど、捕獲したキョンは殺処分されるのかな。
動物園で飼われたり、つかまえて殺されたり。
「動物の命」の価値についてかんがえると、キリがなくウツになる、ね。



いろいろ本も読んでるから、そのことも書きたいのに、あんまりひさしぶりにブログを書くと、とりあえずの近況報告だけで長くなっちゃう。
その「近況」はいつだって代わり映えのないものだから、読む人には退屈なだけだとおもうけど。

ブログに割く時間がどんどん減ってく。
その理由は、ほんとにブログに飽きた、ってわけではないんだけど、やりたいことが多すぎて、そういうものを優先させてしまうから。



あんなにえっちが好きなわたしが、「だれかとえっちする」時間を惜しむようになった。
人とえっちする、って、「えっちしたいなー」っておもったとき、相手と約束して、会ったらすぐにえっちして、終わったらすぐに帰る、っていうわけにはいかないじゃん。
えっち、の前後に社交辞令的なつきあいの時間が必要になる。
お茶したりゴハンしたり。
だいたい、約束するときにメールとか連絡が必要になる。

そういう「えっちをするために必要なえっち以外の時間」を割くのが、なんかさいきんのわたしはものすごいめんどくさくなった。

それだけじゃなくて。
わたしの「他人ギライ」がいろいろと悪化してる。

「ひとりえっち」と「ふたりえっち」のカイカンはぜんぜん違うものだから、「ひとりえっち」でぜーんぶの「えっち欲」を満たせるわけじゃない。
だけど、「ふたりえっち」には、じぶん以外の「だれか」の存在が必須。

さいきんのわたしは、じぶんの「えっち欲」が、その相手の「だれか」とかかわるストレスに勝らなくなってきた。
いちおうは、えっちの相手はだれでもいいわけでもなくて、それなりに「えっちしてもいいなー」っておもえる相手以外とする倒錯めいた性的嗜好はない。
だから、けして「イヤな他人」ではないはずなのに、友情でも性的な欲情でも「好感」を抱く相手とも、わたしはある一定以上の深さでかかわることが、ものすごいストレスになってきた。

ずっと仲よくしてる友だちでも、なんかぜんぜんだれともかかわりたくないきぶんになると、メールが来たり電話が来るだけで、わけわかんないストレスになる。
「ウツ」のせいかもしれないけど、わたしのニンゲン性がどんどん歪んでる気もする。

そんな変化の中で、「ラク」な存在の人もいる。
友だちだったら、アニちゃん、とか。
えっちの相手だったら、スプリさん、とか。

ほかの友だちだって好きだし、アニちゃんにだけこころをひらける、っていうわけでもないんだけど。
なにがどうちがう、っていう理詰めのこたえなんてない。

スプリさんとはもうマンネリみたいなえっちで、すごい刺激、みたいなすごいカイカンをわかちあうわけでもないんだけど。
倦怠期の夫婦みたい、ってときどきおもうぐらいに、わたしとスプリさんはもう慣れ親しみすぎてる。
おたがいに相手を「理解尽くした」錯覚をいだいて、それでいい気がしてる。
ときどき、わたしはマジメな気持ちで、こういうのが恋愛で、こういう恋愛がほんとはしあわせなのかなー、ってかんがえる。
けど。
これは恋愛じゃない気もする。

でも。
わたしは恋愛をしたいわけではないし、恋をするじぶん、に凄まじい嫌悪をいだく体質になったので、なまぬるい関係で、「オトコ」とか「オンナ」とかっていう意識もなくて、なんとなくだらだら繋がってて、嫉妬とか駆け引きとかそういうめんどくさい「恋愛しぐさ」みたいなものも必要がない、っていうのは気楽。
おたがいにケッコン願望もまったくないから、なんとなくつきあうふたりの未来に「ケッコン」を想定されない関係は、わたしには合ってる。

じぶんの中に湧く「恋心」っていうのは、経験で知ってる。
そういう状態のじぶん、っていうのは、あとになってほんとに凄まじい嫌悪でしかない。
だから、わたしは二度とそういう感情を一切、じぶんにいだきたくない。

わたしが恋した人、は、すべて「過去」のものになって、その過去から必死で逃げる方向が「わたしの未来」になってる。

もうじき誕生日が来て、わたしの年齢はひとつあがる。
じぶんが生きてきた年月は、じぶんをコドモからオトナに変化させてきたけど、「オトナ」になることは人生の諸々のナゾが解けていくものでもないんだなー、っておもう。

家族とか友だちとか恋人とか。
人が生きてく人生にはとてもだいじなもの、とされてるそれらの「だいじ」性が、わたしはどんどんわからなくなってく。

社会のシステム上、じぶん以外の「じぶんに親身な他人」の存在は必要なのは理解する。
保証人とか、じぶんの死後の始末をつけてくれる人とか、社会的に迷惑をかけないで生きるには「天涯孤独」では社会的には「エラー」となるシステムに組み込まれて生きてて、そこからそうそう逃げれない。

でも、それはこの社会が必要としてるものであって、じぶん自身はどうなんだろう。
家族も友だちも恋人もいない。
そういう人生に、どうしてわたしは「解放感」をイメージするんだろう。

「孤独」を想像するとき。
たとえば、駐車場に棲みついてるネコたちを見てて。
まいにち、姿を見るたびに、わたしは癒されてるけど。
わたしが見てない時間のネコのことまではわかんない。

ここのところずーっと雨ばっかりで、地面はどこもずっと濡れてて。
乾いたアスファルトをベッドにして、オナカみせて大の字で爆睡してたネコたちは、この雨のあいだ、どこで寝てるんだろう、ってかんがえた。

雨の雫を少しでも避けるために鬱蒼とした草むらの下で丸まってるのかな。
それとも、うまく車の下に乾いた地面を見つけてるのかな。

じぶんをあれだけ和ませてくれたネコのこと、わたしはほとんどなにも知らない。
わたしが一日で見かける僅か数分間しか、ネコのこと、知らない。
ネコは、わたしが「にゃーっ」って言うと「にゃあ」ってこたえてくるし、わたしの車見るとずっとこっち見てるし、わたしが車から降りると「こっちに来るんだろ」ってわかってるかんじでわたしを待ってる。
こんなにも「わたしとネコ」の関係はできてるのに、でも、一日のだいたいの時間、わたしはネコを見かけないし、ネコは人知れずどこかに身を潜めてる。

「孤独」とは、野生の生き物のデフォルトの状態なのかなー、っておもう。
おたがいに存在を気にしない、気配を見せない。
たくさんのさまざまな命が棲みついてる森の中に立っているわたしは、そのどの命ともおたがいに気をつかうこともなく、どこにどんな命がいるのかさっぱりわからないけど、森には確かにわたし以外にたーくさんの「生きてるもの」はいて。
でも、わたしはその生きてるじぶん以外のたーくさんの生き物とどこにどんな繋がりがあるかわからないまま、森に佇む。

べつにそれは不幸でもしあわせでもなく、ただ「そういうものだから」ってことにすぎない。

深くかかわろうとした欲を裏切られるものをいちいち「孤独」と嘆く必要もない、あたりまえの「孤独」をわたしはわかるようになった。
そういう孤独は、自然に馴染める。

他人と距離の近すぎるニンゲン社会のシステムに、どうしてもわたしは合わないんだとおもう。
ケータイに着信のない日がない。
友だちとかプライベートなつながりばかりじゃない。
働いていれば、なにかと仕事で連絡が来る。
仕事だと応答しないわけにはいかない連絡ばかり。
こういう日常を「あたりまえ」とおもえる感覚がわたしの中に欠如してる。

オフをきめこんだ一日。
ベッドでだらだら本を読んでた日中、2件電話が来た。
どちらも仕事上の話。

仕事中なら、仕事の話は真剣に聞く。
でも、じぶんはオフの時間にだらけてるときなら、どんな仕事の話も「そんなのどーだってわたしには関係ない」きぶんになる。
でも、オフが終わってまた仕事をするときにじぶんに必要な話だから、わたしはホンキでは逃げれない。

この時間のじぶんにとってはどうでもいい話をマジメに聞くふりをしながら、なんでこの人は無神経にわたしのオフの時間に侵入してくるんだろう、と腹立たしくもなってくる。

もちろん、相手にはなんにも非はない。
わたしが、じぶんの時間を浸食する他人からもらうお金で生きてる、っていう状態のじぶんにうんざりしてしまうだけ。

ニンゲンはなんで高い知能で、こんなギューギューと窮屈な社会を構築してしまうの?
「愛」よりも「無関心」が平和的につよく生きれる気がする。

ネコよりニンゲンは生物的によわいから、「愛」なんていう絆を必要とするのかもしれないけど。

このところ、ラジオで某詩人の人の話を聞くことがつづいて。
古今東西の「愛の詩」の話題とか出てて。

「愛」にはいろんな詩的表現があるけど。
でもさー。
愛されたい、なんていうのは、「欲望」ってコトバで片づくし。
愛してる、なんていうのは「執着」ってコトバで言い切れるし。

欲と執着に徹して生きてますー、なんていう詩だったら、ぜーんぜん美しくないねー。

晴れてるときはオナカだしてひっくり返って寝るほどに「ヒト」を信頼しながら、でも冷たい雨のときにすり寄ってくるほどの親密さのない、ノラ猫みたいなかんじでニンゲンも生きたらダメなの?








あれ?
これ貼ってなかったっけ?
貼ったつもりでいたのに、過去記事ざっと見たら貼ってなかったみたいけど、見落としですでに貼ってるかもー。
でもいいの。(再確認がめんどくさい)


posted by ぴの at 22:57| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

いつだって海と気候とバイトの話しかしないわたし

諸々のお盆進行終了。
これでわたしの魂は夏休み。
(肉体はまだバイトとかほかにもいろいろやるべきことあるけど、魂が抜けたままできることばかりなので、魂だけ旅にでます)

このまえ、DJ TAROさんのラジオ番組で夏曲特集みたいなのやってて、そのときおしゃべりしてるあいだはずっと「海」の波音が流れてた。
その音は、ザザザーッ、って波音だけじゃなくて、ちゃぷちゃぷした水音も混じってて。

これは「砂浜」の音ではないよねー、っておもったぐらいに、「海の音」がわかるようになった。
ちゃぷん、って水がはじける音がたつのは「磯」。

夜の海ドライブでは、そのどっちも行く。
砂浜と磯、どちらも車停めてしばらく暗い海を眺めてられる場所を見つけた。
とくに磯のほうは、真夏でも夜中だとぜーんぜんだれもいなくて(砂浜は真夏の夜中はカップルだらけ)、穴場的ひっそり感があって、宝物みつけたきぶん。

その磯は真夜中で街灯も届かないとこにあるけど、月の光だけで波打ち際の海水が透明なのが見える。
ごろごろした石や岩だらけの「底」が見えるから、水深もわかるので、ひざ下ぐらいまでは海にはいっちゃう。
貝殻とか痛そうだから裸足にはなれないけど、そのために車にビーサン積んでく。



ことしはすごい猛暑らしいけど、それをかんじるのは緑が少ない街だけで、森だらけのわたしんちのほうはいまでもけっこうすずしさ。
ぜんぜん「猛暑」じゃないぐらいのすずしさ。

ことしはわたしのとこもエアコン完備住宅になったのに(!)、せっかくのエアコンも7月になって数日しかつける必要がないぐらい。
電気代をケチって少し暑いぐらいはガマン、っていうわけでもなくて、ほんとに扇風機だけで家の中が充分にすずしいの。

ここ数日、また梅雨みたいなお天気がつづいてるけど、晴れてる日だってことしの夏は太陽の力が弱いかんじがする。
「日差し」に殺人的な灼熱感がぜんぜんない。
とくに真夏だというのに夕日が「熱く」ない。

緑がない街に出かけると、地獄的な蒸し暑さをかんじるけど、これはかんぜんに自然のせいじゃなくて人工的な熱、だよね。
ドライブしてて、車の温度計ではおなじ「28度」でも、山の中と繁華街の28度は肌にかんじる「熱」がぜんぜんちがう。
街中の「暑さ」は肉体的にただただ不快で、すぐにきぶんがわるくなる。

緑の中でかんじる熱気は、夏をたのしむ余裕が湧くほどに「心地好い季節感」がある。

ブログをはじめた年の猛暑はわたしんちの付近でも、ぜんぜんグリーン効果なんてかんじれないぐらいに真夜中もひたすら暑かったけど、ああいう猛暑はあの年きり、そのあとの夏の暑さはぜんぜんちがう。

家の中の快適さについては、わたしもじぶんちの特性がわかってきたんだとおもう。
外気温を取りこみやすい窓は、真冬と真夏には段ボールを立てかけておく。
インテリア的にはどうなの、ってかんじだけど、プチプチシートを貼るより大きめの段ボールを一枚畳んで窓に立てかけておくだけで断熱効果がすごいから。

外にすずしい風が吹いてるときは窓をおおきく開けて、外の風を取りこむ。
外が暑いときは窓を開けるのはほんの少しだけ。
そのほうが扇風機の風のひんやり感が保てる。

ことしの夏で困ってるのは、暑さより毒虫。
なんか年々、わたしんちの周りの外に毒の強い虫が増えた気がする。
ヒアリが問題になってて、その警告チラシがうちにも配られてたけど。
ヒアリほどは死に至るような悪質な毒性はなくても、スズメバチなんていろんな種類はふだんからぶんぶん飛んでるし、油断すると車や家の中にもはいってくるし、どこにでも巣を作られちゃうから、女王蜂らしいおおきいスズメバチが家の近くにいるの見たときは、毎日外に殺虫剤を撒いちゃう。(虫に向けたらキケンなのでダメ。巣を作られやすい軒下とかにまちぶせ効果があるゴキブリ用とか網戸用殺虫剤を吹きかけておくのです)

蜘蛛は毒のないものは殺さない。
いろんな虫ハンターだからねー。
巣はジャマじゃない限りはそのままに。

蜘蛛は友だち、っておもうようになったわたし。
もし家の中に蜘蛛の巣ができたときは、餌となる虫がいるってことだから、蜘蛛の巣はすぐに掃除しないで、餌となる虫のほうの駆除をしたほうがいい。(清潔にしろ、ってことです)

わたしんちの周りの森には、ヒアリじゃないけど、ヒアリとおんなじ形でもう少しちいさい黒いアリがいて、これの毒がすごい。
これ、木立ちの中の道を歩いてると、上から降ってくるのね。
だからふだん、木の上にいるみたい。

肌についたらさいご、そっとはらおうとしても、ちょっとだけも外から刺激があると瞬間に口で噛みついてお尻の針で刺してくる。

いちど、ガムテでそっと取って(取ったとき刺されたけど)、動きを見てたけど、口のとこのハサミみたいなのをシャキシャキ動かしながら針が尖ってるお尻でガムテをツンツン刺そうとしてるの。
これの刺した痛みはかなりの激痛。
すぐに引き剥がせば、細い針で刺された感じの激痛で済むけど、服の下にはいりこまれて(この虫はデニム素材が好きみたいでデニムの中に入り込んでくるからこわい)、なんかチクチクするって服の上からわかんないまま触ったりすると、ぎゅーっと死ぬ気で噛みつかれる。
その時の痛みは悲鳴あげるぐらいにすごいの。

これのやっかいなとこは、刺された時の痛みはすごいけど、虫をひきはがすと赤くもならなくて、痛みも痒みもなーんにも残らない。
だから、「なにこれー」ってぶーぶー言うだけでそのままなんの手当も必要性をかんじないのね。

腫れてくるのは24時間以上経ってから。
それもさいしょは蚊より弱い痒みがある1cm以下の赤い腫れ程度なので、これでも放置しても平気な気がするし、気になる人はフツーのステロイドの入ってない虫刺されのクスリを一度軽く塗る程度ぐらいだとおもう。

その「軽い痒みの軽い虫刺され」はしつこく数日続く。
でも掻きむしるほどの痒みはないから、気にしないで放置も可能。

この虫がやばいことに気づくのは、その数日後。
とつぜん、周囲の皮膚が広範囲でものすごい腫れあがる。
腕とか足の形状が変わるぐらい。
腫れたとこ全体的が真っ赤になって、耐えれないぐらいの強烈な痒みに襲われる。
この時点で虫刺されのクスリを塗っても、もうなんの痒み止めにもならない。
ガマンができなくて皮膚がやぶれるぐらいについ掻きむしっちゃう。
そこから膿が出て、ものすごい痛む。
これぐらいになると、腫れの凄まじさにこわくなって、病院に行かなくちゃ死んじゃうかも、なんて焦る。

でも、これが末期なのね。
この強烈な痒みはせいぜい二日ぐらい。
その痒みが抜けると、形が変わるぐらいに腫れ上がってたとこの腫れもかんぜんにひいて、弱い蚊に刺された程度の皮膚はたいらなただの赤味にかわる。
だらだら弱い痒みはあるけど、また気にならないぐらいになるから、掻きむしって膿んだとこの手当だけすれば痕も残らずにいずれ治る。
わたしのカラダでは完治まで10日〜2週間ぐらい。
あんなに凄まじい腫れ方したのに、皮膚にはほんと、なーんにも痕が残らなくてきれいに治っちゃう。

だけどこのアリ、ことしは外を歩くたびにしょっちゅうカラダに降ってくるから、気をつけてても数日おきにどこか刺される羽目になってる。

なんてアリなのか、わたしはいまだわかんないし、わたしの知り合いは森の近くにはだれも住んでないから、知ってる人にきいてもだれも刺されたこともない、って言う。
わたしもだいぶこのアリの被害がわかってきたから、刺されたとわかったら「即座」にステロイドの入ってるムヒを塗るようになった。

これを塗っても症状をかんぜんに抑えることはできないんだけど、刺された直後にステロイドを数回塗るだけで「凄まじい腫れと強烈な痒み」だけは防げて、蚊に刺された程度の被害で済ませれるの。
でも、このアリはやっぱり病院に行ったほうがいいのかも、っておもった経験もことしはした。

この毒、かなりやっかいみたい。
手足を刺されたときはわかんなかったけど、一度だけ目の横を刺されたのね。
顔に降ってきて、「ぎゃーっ」って焦って、そっと振り落したつもりだったけど、やっぱり皮膚から離れる瞬間にはしっかり噛みつかれて刺された。

目の周りは敏感だから、刺されたあと、皮膚の奥に針が埋まってるような痛みが残って。
だから、粘着テープで皮膚の針を取って、水でずーっと洗って、消毒剤塗って、それから口や目の周りにつかえる弱いステロイド剤をこわごわ塗った。
顔面は針の痕もなんにもないぐらいに「なんでもない」状態だったのに、皮膚の奥にはずーっと針の痛みが残った。

こんなとこが腫れあがったら外に出れないじゃんー、って焦って、腫れてないうちに眼帯とマスクを買いにいった。
でも、顔面には極力つかいたくないステロイドを一日なんどか塗ったおかげで腫れあがるのは防げたのね。

丸一日経っても、刺された皮膚にはなんの異常もちいさな痕すらなくて、ステロイドがうまく効いたのかなー、って「勝った」きぶんにもなったけど。

だけど、ぜんぜん勝ててなかった。
30時間ぐらい経ってから、弱い蚊に刺されたような赤味が刺してきて、痒みはなかったけど、人には「蚊に刺されたの?」って笑われるぐらいなかんじにはなった。
それ以上は赤くもならないしぜんぜん痒くならないまま「表面上」は治ったから、ほっとしたんだけど。
それから一週間ぐらい、目の周りの皮膚に気持ちわるい痺れが残った。
顔面麻痺するのかなー、って焦ったぐらい、経験したことのない不気味な痺れ。
それとそっち側の目玉にもものすごい違和感があって。
目玉が腫れてるかんじがして(腫れてはないんだけど)、目玉も痺れてるの。
視力とかはぜんぜん異常ないし、目がかすんだりしたわけでもないのに、目がなんか気持ち悪くて。
この毒がかんぜんに抜けたあとは、なんの症状も残らず治ったけど。
このアリの毒、いろいろとやばい気がする。
「体内」に毒の症状がでるのがこわい。

『ジュラシックパーク』の3作目で、サイトBで遭難した息子を助けに両親が行く話で、ジャングルの中を薄着の人たちがフツーに歩いてるシーンにいつも違和感いだく。
恐竜の脅威ばかり描かれてるけど、あれ、あんな鬱蒼した密林だと虫とかほかの毒性のある生物もこわいとおもうんだけど。
あんなに肌出して歩いててヘーキなの?
って、すごいおもうよねー。

街のラジオでは連日、猛暑地獄で騒いでるあいだ、わたしの住むとこはわりと快適に過ごせてる。
でもそれは気候のことだけで、やっぱり自然は、ニンゲンにやさしいとは限らない。
虫除けスプレーをカラダに塗るのに抵抗がつよかったわたしだけど、この夏はその主義を変えた。

自然の恩恵を受けてしあわせに暮らすには、野生では生きれなくなったニンゲンには人工的な防衛策も必要なんだっておもうようになった。

緑のおおい外では肌を極力出さないことと、ケミカルな虫除け対策。
それがわたしんちの周辺には必須。

ケミカル、って書いたのは、「自然の成分で安全」とかいう薬剤は家の中ではいろいろ人にやさしくてベンリだけど、「外」ではなーんも無力だから。
安全成分のハーブ系虫除けを窓の外に置いてるけど、そのビーズの入った容器の中が虫の雨よけ場になってる現実をわたしは知ったのさー。

あ、ことしの夏の記録、もうひとつ。
ことしはセミのデビューが早かった。
この夏はセミがいろいろヘン。
アブラゼミは6月上旬から鳴きだして、ヒグラシは7月3日のものすっごい暑い日に鳴きだした。

だけど、いまごろは例年だといろんなセミが鳴きだしてる時期なのに、ことしは昼間はアブラゼミとミンミンゼミしか鳴いてない。
アブラゼミは昼間より夜中のほうが鳴いてる。
熱帯夜じゃないすずしい夜でも。
ヒグラシも毎年、時計のように夜明けと夕刻に鳴きだすのに、毎日決まって鳴くわけじゃないし、数が少なすぎる。

いまの梅雨みたいなのが終わったら、本格的な盛夏が来るのかなー。
それとも秋が早まるのかな。

ただ、コンビニ的には、わたしのバイト先ではドリンクとつめたい麺類の売り上げが凄まじくすごい。
アイスの売り上げはクリスマスシーズンほどではないけど。
コンビニはアイコスとドリンクとつめたい麺だけ置いてれば、もう充分。



ひさしぶりに書いたブログは、いつもとなんにも代わり映えのない内容だけど。
いろいろ書けることがありそうで、なんかいろいろ書くのもめんどくさくなってる。

バイト的には、ことしはアイスケースに入る若者、にかわって、キレる高齢者、がすごい。
いまごろ、タバコの年齢確認にぶちギレてる高齢者続出なんだけど、このおぢさんたち、なんでいまさら?、ってほんとナゾ。

バカみたいにキレるのはほとんどが男性。
キレ方がヤンキーよりすごいからねー。

わたしは暴力行為に出た高齢男性客を、いちおうは鎮める努力した後、「致し方なく」警備会社と警察呼んだ、っていうの、ここんとこ数度ある。
店の備品壊されたのと、店員への暴力未遂行為。
未遂で済んだのはこっちがうまく逃げたから。

でも、わたしも段々わかってきたよー。
こういう「キレる高齢男性客」には、こっちも強い態度で返すのがいちばんてっとり早く黙らせる、ってこと。
やわらかい応対なんてぜんぜんダメ。
余計に相手が攻撃性を強めてくるだけ。

接客マニュアル的に「いい店員」になろうとして、下出に出たような言葉遣いでいろいろなだめてもムダ。
わたしの相方がからまれてるときは、駆けつけて「お客さま、やめてください!」って、ものすごい真顔できつい口調で言う。
わたしがからまれた時は、本意じゃなくても、笑顔をかんぜんにひっこめて相手をキッと睨んで、「それ以上は迷惑になりますからおやめください」的なコトバをきつい口調で吐く。

従業員の高齢化もねー。
この「キレやすい」トラブルや、年下先輩を認めれない威圧的な態度がいろいろ問題化してるんだけど。
(これで本が書けそうなぐらいネタがある!)

どうしようもない態度に出る高齢者には、年下世代は「毅然と強くでる」しかないのがわかってきた。
そうじゃないと、一方的な暴力に等しい言動が悪化しちゃうタイプの人を鎮静化させれないから。
常識を説いたり、和んだ調和性を維持しようとしたやわらかい態度は「まるでダメ」。

暴力には暴力でしか抵抗できない、っていう現実を見せつけられたみたいで、わたしは絶望的な気持ちにもなるけど。
暴力で返す、ということと、「毅然とした態度」を示す、ということはちがうはず、っておもって、わたしは「強さ」をいろいろ勉強する機会だともおもってる。

あ。
うちはねー。
近くに同系列の直営店が出来て、本部直営だと人件費がふんだんにかけれるみたいで、この地獄の人手不足時代、びっくりするような破格の待遇の募集を打ってきて、しかも同系列他店のバイトの引き抜きとか信じれない手もつかってきて、「やっと入ってきたうちの若いバイト」みんな、とられちゃったの。
(^_^)←わらってる

だっておなじ仕事内容なのに、こっちはただ働いた時間の時給をもらえるだけ。
でもあっちは、うちより時給が高い上に年3回も昇給があって、年2回のボーナス(バイトでも)、福利厚生充実、希望者には社保完備、いろいろイベント時期のいそがしい日のシフトは特別手当有り、だもんねー。
それで、本部社員じきじきに引き抜きの声もかかれば、同系列転職のハードルもないから。

その結果、うちは「使えない高圧的高齢スタッフ」たちの天国になった。
そういう人を辞めさせれない、注意もできない。
だから、「ここはラクに働けるよー」って、高齢スタッフがじぶんの知り合いの高齢者に声かけて、そういう人たちが「ラクにいい時給で働ける」って続々面接に来て、それをつぎつぎ雇っちゃううちのお店。

わたしももう限界だとおもって、辞める話をしたけど。
店長に拝み倒されて、辞めさせてもらえてない。

辞めないのはわたしの選択だから、それを「辞めさせれてもらえないー」って被害者ぶる気はぜんぜんない。
ここまでの高齢化を、わたしはくろい気持ちでどこか楽しんでるぶぶんもある。

人手不足の職場が高齢化するデメリット、が、こんなに顕著に見れる環境もないとおもったから。
高齢者雇用がうまくいく環境ももちろんあるとおもうけど、うちの店はデメリットばかりがすごくて、人手不足って社会の根底から壊れてくシロアリ現象のようにもおもってる。

複雑なシステムの業務を、いろんな身体的機能が弱ってく世代中心に賄うことなんてムリで、高齢者雇用を推進するなら現場のシステムをかえるか、現役世代の投入も維持しなくちゃ、っておもう。

つまりは、現役世代の暮らしが充分になりたつだけの人件費を惜しむな、ってこと。
基本業務を質を落とさずにこなせる世代に、この仕事に就いてちゃんと暮らせるだけの人件費をかけて雇用を維持しないと、いろんなハンデをかかえる人たちの雇用をまもれないとおもうの。

人件費を惜しみなくかけれる直営店に、うちの「まともに働ける能力を有するバイト」がぜんぶ引き抜かれちゃった。
引き抜かれてなくても、横暴で威圧的なのに業務は半分以上まともにこなせない高齢スタッフの面倒と被害に悲鳴をあげて辞めてった若い世代の従業員と。

残ったのは、生活をバイトにかけるしかない(ほかでは雇ってもらえそうもない)事情の人と、いろいろトラブルを起こす高齢者と、状況をたのしんでるくろいニンゲン性のわたし。

深夜はとうとう人手不足を店長だけでカバーができなくなって(だって昼間のピークタイムも人手不足なんだもん)、わたしが入る夜勤はワンオペになった。
(いつのまにうちの系列、ワンオペ解禁になったのねー。人手不足ってこわい)
夜勤業務をすべて熟知してないバイトのときは渋々店長が入ってるけど、わたしはオーナー限定業務以外はすべていちおうはこなせるから。
だからって、20代女性、を深夜勤ワンオペ、にするしかないぐらいまでに人手不足がひどい。

『ホームアローン』って映画で、旅行に出かけた家族に取り残された子どもの男の子が、家族がたくさん在宅してるように見せかけるシーンがあるじゃんー。
あれ、わたしもやってる。

スタッフの使わない自転車を従業員駐輪スペースに置いてもらって。
お客さんから「あれ?ひとり?」とか聞かれると、「裏にいますよー」ってこたえる。

ワンオペだとねー。
防犯上もいろいろこわいけど。
あのねー。
仕事がぜんぶこなせないんだよねー。
もちろんだけど、裏に入る仕事はできない。
だからって、昼間の高齢スタッフがやれるわけがないから、早朝シフトの人が出てきてから、残業でわたしが片づける。

休憩はまともに取れない。
トイレもお客さんがいないときに急いで行く。
おなか壊してトイレから出れなくなったらアウトだよねー、っておもうから、おなかの健康大事。

真夏だから連日アイスがたーくさん納品されるけど、アイスは納品業務の時間制限がきびしいから、倍速でうごく。

でも、ワンオペでも時給はひとりぶん。

それでも辞めないのは、めんどくさい高齢者スタッフとめんどくさい負担負いながらめんどくさく働くぐらいなら、ワンオペのほうがラクだからねー。
店長と組むより、まるっきりひとりのほうが気楽。

強盗経験もあるから、なんかもうどうでもいいかんじで夜中、ひとりもくもく働いてる。

だけど。
「ひとごと」として言えば。

コンビニの夜勤でワンオペあり、って言われたら、そんなお店、辞めたほうがいいです。
ワンオペしかない夜、だいたいは経営者サイドのニンゲンがはいるから。
バイトにワンオペさせるお店はとっとと逃げませう。



ものすっごいひさしぶりぶりにツイッターもログインしたら。
わたしのツイート、村山由佳さんが「いいね」してくれててびっくり。

好きな作家の名前を勝手につかってるファンのユーザーかな、っておもったら、ご本人だったー。
ツイッターアカウントあるの知らなかったから、フォローしちゃった。

ツイッターのすごいとこって、じぶんが好きな著名人と繋がれるとこ。
それはいままでもいろいろ経験してて、だからツイッターアカウントを消せないでいる理由のひとつかも。

あっちはただエゴサーチでじぶんの話題のツイートを保存してるだけなんだろうけど、ささやかな接点ですら、リアルの日常では起こり得ない奇蹟、だもん。
底辺層に属してるわたしにとっては。



そのほかの近況はー。

体調のほうはじわじわ、確実に悪化してる。
そのことでいろいろ落ち込んで、ウツ症状もいろいろ出てる。

図書館通いがたのしくて、じぶんで本を買うことを減らした。

こんどはこんなにブログ離れはしないかなー。
っていうぐらいの魂的余裕がいまはあるから、また気が向いたらブログ書くよー。

じゃあの。



posted by ぴの at 21:31| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

じぶんのこころがどんどん狭くなる実感

雨なんて降ってない日に梅雨入り宣言が出て、しばらく雨は降りませんってラジオで言ってたから、ムリヤリ時間つくって洗車したら直後に雨が降ってきて。
天気予報のナゾに振り回されてるけど、梅雨だから許しちゃう。
6月の雨期は7月みたいに蒸し暑さがないから好き。

梅雨の晴れ間にストロベリームーン


赤い満月にこんな可愛い名前があったんだねー。
ことしは見えたよね。

ゆうべは満月が少し欠けたぐらいのまるい月で、海岸に打ち寄せられる波しぶきの白いぶぶんがキラキラ光ってた。
その「キラキラ」を見て、このまえの夜光虫発生の二日後に通ったときの「キラキラ」のちがいに気づいた。
夜光虫が発生してから翌々晩になるから、もういないよねー、っておもったけど、134号線は大渋滞。
まだこんな渋滞してるとおもわなかったから、そのルートを通ったことを後悔しながら、徒歩の人より進まない渋滞にはまってた。
だから、夜光虫目当てのドライブじゃなかったけど、車が停まったときにチラチラ海を見てたら、波打ち際がものすごいキラッキラッ輝いてたのね。
CGとかで光らせた演出みたいに、ものすごいキラッキラッ光ってた。

そのときも月があったから、月光だとおもって、渋滞のみんなはあれが夜光虫だとおもってスピード出さないんだろうなー、ってかんがえてた。
だけど、ゆうべの月光でキラキラ光ってた波打ち際を見たら、こんな程度の光り方じゃなかった、っておもった。
やっぱりあれは月光のせいだけじゃなくて、夜光虫の輝きもあったのかな。



先週のNHK-FMの「眠れない貴女へ」っていう深夜の女子会ラジオは、村山由佳さんともうひとりのナビの人といっしょに公開収録だった。

その会場に来たリスナーさんや、その後感想を送ってくれた人の中には、男性がかなりいた、ってゆうべ言ってた。
ラジオで「女子会」って言い切っちゃうことの是非はともかく、「女子会」っていう場にずかずか入り込んでくる男性、っていうのがわたしは苦手かも。
女性の味方、女性の理解者、っていう自負があるのかもしれないけど、だいたいはそれ、的外れだから。

この番組、ふたりの女性ナビゲーターは、同性のリスナーにはものすごい親身だけど、異性リスナーにはわりと辛辣。
それがわかっていて、わざわざ女性からなにか言われそうなメッセージを送ってくる男性の心理って、マゾなの?
それとも、じぶんは女性をちゃんと理解できてるっていう自負がつよいの?

わたしがこの番組、村山さんじゃない日は聞かない理由は、ナビゲーターの人は子どもがいる既婚者で、しょっちゅうじぶんの「夫」や「子ども」のエピソードを語るから。
リスナーからのメール読んで、その内容にコメントするんじゃなくて、「わかります」って共感だけすると、すぐにじぶんの家族語りになるのね。
その人の家族の話なんて、べつに聞きたくないのに、っておもう。
じぶん語りをするなら、「子どもにこう言われた」とか「夫がこんなことした」って話じゃなくて、じぶんがなにをしたかっていうじぶん主体の話をして、っておもう。

家族がいれば、家族から影響受けて生きるのはあたりまえだけど。
なんで仕事の場でも、家族の話を中心に持ち出すのかな、って、こういうタイプの既婚者にいつもうんざりする。
「あなた」には興味があっても「あなた」の身内に興味があるのとはちがう。
「あなた」がどんなケッコンをしたか、っていう話は「あなた自身」の話だから興味あるけど、「あなたの家族」の人生観にはいちいち興味ない。

そういう話をしたければ、ブログとかSNSとかじぶんの私的な語りの場をつくって、そこで好きなだけプライベートの話をすればいいとおもう。
なんで、プライベートな話を仕事の場に持ち込むのかな。

わたしもブログではいろいろ書いてるけど、仕事ではプライベートな話はじぶんで話題を制限してる。
仕事関係の場では、人の話を聞きながら、その人への興味を示すことよりもじぶん語りにすり替えるような話術をじぶんがクセにしないように気をつけたいとおもう。
(友だちとの雑談は、みんなそれぞれがじぶん語りで盛り上がっていいとおもうし、それがたのしいし)

ラジオ番組はナビゲーターの私的な話も魅力のひとつなんだとはおもうけど。
リスナーが語る話を、いちいちじぶんの家族語りに変換しないで、っていつもかんじちゃってたんだよね。
それにイライラするじぶんがバカらしくなって、村山さんの担当の日以外は聞かなくなってった。

でも、既婚者同士なら、そういう夫や子どもの話題はたのしいんだろうなー、っておもうから。
この番組、単身者と既婚者の交替ナビ、っていうのは、バランスが取れてるんだろうね。
じぶんと合わないほうは聞かなければいいだけ。



どこもバイトの質が低下してるなー、って可笑しくなったこと。

さいきん、シナリオ的な興味からレンタルDVDを借りるようになったけど。
パッケージと中のディスクがぜんぜんちがう、っていうことが頻繁。
いままでだって、たまにそういうことがある、っていう程度の頻度では経験してたけど、さいきんはほぼ毎週借りてきたどれかが間違ってるかんじ。

あんまり毎回いろいろちがうから、「さいきん中身がちがうことが多いんですけど」って、中が間違ってるDVDを見せながらカウンターの人に言ったら(いつもはセルフレジ利用)、「中の確認はお客さんの自己責任ですけど」って冷淡に言われただけだった。

それはそうなんだよね。
確認しないじぶんがわるいんだけど。

だから、ちがうから返金して、とか、そういう苦情のつもりはなかったの。
ただ、まいかいどれかがかならず「中がちがう」ぐらいの頻度になってるから、その問題をお店として改善しないのかなー、っておもって、「しょっちゅう中がちがってます」っていう事実を伝えたかっただけだった。

だけど、接客マニュアル的な謝罪のコトバが出るわけでもなくて、自己責任だから、って言い返されただけだから、たぶんこれからも変わらないとおもう。
このお店は、パッケージと中のディスクを取り違えることを防止する意識、っていう必要性はないんだとおもう。

わたしはこれ、なんだか可笑しかった。
ちゃんとやって、っていう腹だたしさなんてぜんぜんなくて。
「あーあ、どこもサービスの質は低下してくねー」っておもって、これからはこのお店で借りるときは中をちゃんと確認しなくちゃだねー、ってじぶんの意識をかえた。

お客側がサービス低下を受け入れる、っていうことについては、じぶんがこのまえ書いたばかりだけど、実際じぶんがそういう体験をしてみると、そんなに不快なことじゃない。
っていうか、「ここで借りるときは中を確認しなくちゃダメだよ!」ってネタになるからおもしろい、っておもった。

わたし、連続アニメを一巻ずつ借りてるんだけど、嫌いな話があるのね。
その嫌いな話のディスクがしょっちゅう「今週借りたパッケージ」に入ってるから、「またこれだー」って呪われてるみたいでわらった。
ぜったいこれ、呪いだとおもう。

なんど見ても、その話だけ嫌い。
わたしが見ながらこころの中で悪態つきまくるほど嫌うから、なんどもなんどもわたしは呪われて借りちゃうんだとおもう。



「呪い」つながりの話。

ビッグコミックスペリオール 2017年13号(2017年6月9日発売) [雑誌] -
ビッグコミックスペリオール 2017年13号(2017年6月9日発売) [雑誌] -

スペリオールがこの号からうちのお店に納品されるようになった。
(本はお店から発注するんじゃなくて、勝手に配本の内容が決められて納品されてくる)

「響」が表紙になってなかったら、ここで連載されてるのは気づかなかったとおもう。
このコミックじたいは、うちのお店はぜんぜん納品されないんだけど。

このとき、わたしがたまたま検品したから、検品しながらこの号の話だけ読んじゃった。
そしたら、話がなぜかオカルトになってた。
そっちの路線のエピソードはやめてー。
折角の「文学的カリスマ性」が胡散臭くなるから。

それだけ。
でもこのコミック誌、ほかのもおもしろそう。
毎号購読しようかな。



眠れぬ家 (講談社文庫) -
眠れぬ家 (講談社文庫) -

これ読んだ。
アマゾンにレビューがぜんぜんないぐらいだから、ぜんぜん知られてない小説なのかなー。

だれも読んでないような小説の感想をブログに書いても、なんの意味もないかも。
だれも知らないような話についていろいろ書いても、なんのことかわかんないだけだもんねー。

懐妊し幸福の絶頂にあったアンナ。夫が突然、謎の自殺をする。ショックを受けた彼女は、生まれ来る子供のため自然の中にある夫の実家に移り住む。だが誰もいないはずの屋敷には夫の兄弟が出入りし、また夜中には足音や物音が…。恐怖に立ち向かうアンナ。そして驚くべき真相とは!?傑作サイコ・サスペンス。

『眠れぬ家』///タム・ホスキンス
:裏表紙あらすじより


これを読んでみようとこころ惹かれたぶぶんは、「夫の屋敷に住む」っていうとこ。
フツーの家、じゃなくて、お屋敷、だからねー。

びんぼー育ちだから、「お屋敷」にはなんかものすごいわくわくしちゃう体質のわたし。

読みだしたら一気に読み終えちゃったんだけど。
読みやすいか、っていうと、前半ぶぶんはとくにそんなことはない。

女優から作家に転身した、って作者のプロフィールにあったから、そこに偏見が生じたせいか、それとも英語の小説ではよくある文体なのかはわかんないけど。

なんかいろいろ文のつながりがヘンすぎて、意味がわかんないよー、っていうかんじが前半にはつよかった。
後半はそうでもなくなったから、書きなれてきたせいなのかな。

主人公が妊娠して、写真家の夫もそれを喜んでて、でもそんな妻の妊娠中に夫はとつぜん首吊り自殺をしてしまった。
妻は夫が自殺した理由がまったく思い当たらなくて、他殺も疑って、真相を知るために夫が相続した実家にひとりで移り住むことにした。
その実家は夫の死後は夫の兄弟ではなく妻のじぶんが相続したから。

それで、車に必要な荷物だけ詰め込んで、ケッコン生活を送ってたマンションは売り払って屋敷に来るんだけど、そこには何年も行方不明になってた夫の上の弟が密かに住んでいて、近所には末の弟が妻と住んでて、この夫婦は勝手に屋敷に出入りして。
真夜中には、家に不審な音が聞こえてくる。
この音については、屋敷に住みついてる上の弟も原因不明でわかってない。

そのうち、末の弟夫婦の異常性がだんだんわかってきて、命の危険をかんじるようになったけど、だれもそれを信じてくれなくて、じぶんが末の弟夫婦によって精神病院に入れられちゃう。

主人公大ピンチーーーーーーーーーーーー。

ってかんじのストーリーなんだけど。

ぜんぜんピンチがピンチ感なくて、サイコ・サスペンスっていうけど、だれがー、サイコパスだったのー、って、読み終えてもぜんぜんわかんなかった。
強いて言えば、夫兄弟たちのお父さん?
でも、お父さんの異常性はサイコパスというほどでもない気がするし、お父さんは「サスペンス」の主犯じゃないよねー。

ってことを、いろいろと語りたいのに、これを読んでる人がぜんぜんいないなら、だれとも語れないじゃんー。
じぶんの解釈のこたえあわせとして、アマゾンのレビューを参照することもできないじゃんー。

だってー。
夫が死んだ理由、と、この小説のサスペンス的展開の関連性がよくわかんない。

ぜんぶ読み終えてからプロローグを読むと、夫が死んだ理由がうっすらわかる気がするけど。
わたしの解釈だと、妻が夫を死なせたようなもんじゃんー。
っていうか、夫はこれから子どもが産まれるのに、夫自身の「過去」のほうが重たいなら、夫には子どもを持つ資格なんてなかったことになる。
っていうか、ケッコンもするなー、ってことになる。

なんでこの夫、ケッコンして、妻を妊娠させたの?

妻も、お腹に子どもがいるっていうのに、夫の屋敷の状態を確認しないでいきなりマンションを売り払って戻れる家をなくした状態で引っ越すのは無謀すぎて、リアリティに欠けすぎる。
ライフラインが生きてるのかも確かめないし、どれぐらい「無人」で放置されてたか家の状態も知らないぐらいなのに、その夜からいきなり(電気のない)寝室のベッドで寝るとか非現実的。
だってー。
寝具はどうしたの?
放置したままだったら、カビとかダニとかすごそう。
ぜったい寝れる状態じゃないよね。
ほかの部屋はどこも埃の層がものすごい、って書かれてるんだから、じぶんが寝室に決めた部屋だけ清潔なのは設定としてヘン。

魔女の宅急便のキキだって、貸してもらった埃だらけの放置部屋のベッドや床を掃除してからつかってたじゃんー。

キッチンも使えるかどうかも確かめないで引っ越して、栄養が大事なカラダの食生活はどうする気だったの?
お風呂とかトイレとか使えなかったらどうしたの?
病院も近くにないのに、妊娠してる女性がそんな環境にみずから引っ越す、なんて、ほんと、あり得なさすぎる。

でもこの作家、女性なんだよね。
女性的な感覚で「女性主人公の私生活」が書かれてないから、なんかこの主人公に感情移入もしにくい。

出産した病院も、退院するときに「じぶんを殺すかもしれない弟夫婦」がむかえにきて、主人公の拒絶を病院はぜんぜんまともにとりあわないし、主人公も渋々連れ帰られて。
えー、なんで主人公の両親をそこで呼ばないのー?
って、ものすごいナゾだった。
新居に越したばかりの両親の連絡先を持ってきてなかった、って理由はあったけど、両親の引き取りじゃないと退院しない、って言い張ったら、フツーなら病院は、妻には他人の「弟夫婦」より、妻の両親に引き渡そうとするもんじゃないの?

いろいろピンチになるんだけど、ぜんぶ逃げられるじゃん、っていう状況を、ぜんぜん逃げないでピンチをかんじてる主人公に、「あなたバカなの?」としかおもえなくて、なにがサイコサスペンスなのかわかんなかった。
アマゾンにレビューもないぐらいに知られてない小説、っていうのがわかる気がした。

でも。
サスペンスとしてはぜんぜんおもしろくないんだけど。
書かれてる内容は、ものすごい重たくて、これはこれで書き方次第ではすごいおもしろい作品になったとおもう。

夫の両親、妻の両親。
それぞれが闇をもってて(妻の両親も善人のようでそうでもなかったし)、これはサイコパス、っていう異常な人格の話にしなくても、フツーのニンゲンが持つ闇の類だとおもう。

異常行動をとる弟夫婦も、人物描写がすごいわかりにくい。
夫婦ともに「人物像」がよくはっきりしない。

この話。
いちばんの悪人は夫兄弟のお父さんなんだけど。
子どもたちにとって、いちばんの「鬼」はお母さんかも。

そんな両親のもとで生まれて育った夫兄弟は3人とも深い傷を負ったままオトナになって。

主人公である妻さんも、実の親に捨てられて養父母に育てられたんだけど、養父母からは愛されて育った。
それでも実の親に見捨てられた事実には傷ついたまま。

みんな、それぞれ傷を負ってる。

でもでも。
この主人公、実はみんなを傷つける側になってるよねー、って読んでおもう。
あきらかにこの主人公が、養父母や夫を傷つけてるよね。

この人、相続した夫の実家は兄弟に返してあげればいいじゃん、ってすごいおもったし。
兄弟にしてみれば、じぶんの実家が、長男の妻(兄弟には赤の他人)、に相続されちゃうの、って、やっぱりイヤだとおもう。

末の弟が屋敷をもらえるとおもったから、うまく逃げ出した兄ふたりとちがって実家に残って、つらさを耐えて両親に尽くした事実を知ってからも、その弟に屋敷を譲ろうとしない主人公の心理がまったく理解できなかった。
その屋敷になんの思い入れも愛もない他人が、なんで夫の兄弟が生きてるのに夫の実家である屋敷をじぶんのもののようにふるまえるのかわかんない。
法律では所有権はじぶんにあるのだとしても、夫側の家族にしてみればものすごい理不尽な相続だよね。

じぶんの加害性にはなにひとつ無自覚だから、この主人公がいちばんニンゲン的にやっかいでこわい。

「愛」ってなんなの?

そんなこと読んでてかんがえる。

だいじな人の傷を「ぜんぶ知りたい」欲も愛かもしれないけど。
そこに触れずに知らないふりをすることも、愛だとおもう。
主人公の死んだ夫は、妻にはじぶんの過去に触れないでほしいと言ってた。
だけど、主人公にはその後者はさいごまで理解できなかったのかも。

愛する夫を知ることで、夫を傷ごと包んであげるのが愛だとおもってたんだとおもう。

夫の死を、この妻は永久に理解できないのかもしれない。
理解したようなラストになってるけど、わたしの解釈だとねー、夫の死をぜんぜん理解できてないじゃんー、っておもったの。
だから夫が死んだんだよー、っておもったの。

この妻はなぜ、夫を死に追いやった罪悪感には駆られないの?

そのじぶんの解釈のこたえあわせを、だれかとしたい。


posted by ぴの at 21:43| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする