2017年12月31日

今年の終末期が今年も訪れた

なにもしてないのにことしが終わった。(なにもしてないのにぱそこんが壊れた的)

って一年前の年末にも書いてる進歩のないわたし。
だけど、着実に年齢だけは一年分ずつ進歩してる。
(^_^)



今日はあたたかい。
昼間は13度もあった。
でも、ことしの冬は寒いよね。

東京が6度とかラジオで言ってる夜中に、わたしんちはマイナス5度になってた。
おなじ市内の街のほうが3度ぐらいある明け方、わたしんちに帰ってきたらマイナス6度だった。

なんか、わたしんちの周辺だけ異様に気温がひくいの。
なんでー。

台風22号のときに池になった畑は、乾燥注意報が出まくってるいまだって水がひかなくて、鷺が棲みついて、いつのまに子持ちになってた。

ブログをぜんぜん書かなくなったわたしの近況は。
図書館通いに拍車がかかって、ひきこもってた頃みたいに読書がたのしくて仕方ない日々。

書くお仕事の仲間の超絶びんぼー(って自称してる)なモノカキ氏が、ものすごい偶然にもおなじ大家さんの物件を斡旋されて、わたしがいるからって引っ越してきて、超絶ご近所さんになった。
でも、わたし、その人のこと、キライなの。
っていうか、かかわりたくない、の。

でも、その人はわたしのこと、「トモダチ」だとおもってて、びんぼー仲間同士たのしくびんぼー暮らしするつもりで越してきて。
建物的にはぜんぜんちがうし、敷地が繋がってるっていうだけで、家賃もぜんぜんちがうし(あっちは単身か夫婦ふたり暮らし向きで、しかもかなり古い物件だからものすごい家賃やすいらしい)、車がないとまともに生活がなりたたない場所なのに運転免許もない人で、さいしょっからわたしをアテにしてるかんじが、ものすっごーーーーーーーーーーい迷惑。

書く仕事だけじゃ食べていけないからバイト探す、って言ってて、わたしのバイト先で働きたいって言いだしたから、「うちは人手がものすごい足りてるからムリだよー」ってウソついて拒絶した。
引っ越してきた日にすぐうちに来て、うちの中の間取りを見たがったけど、わたしはだれも家に入れない主義だから、って断った。
お米とか重いものは自転車で買いにいくのがタイヘン、ってグチられたから、「なんで車がないと買い物にも行けない場所で探したのー」って言ったけど、「なんとかなるとおもった」ってノンキなかんじで言うけど、でも、そのうち車をアテにされそう。

いろいろ仕事的事情があって、ムシとか出来ない関係だから、ほんと、迷惑。

ことしは、うちからいちばん近かった一戸建てのある区域が、なんでかぜーんぶ更地になって、そのまま空き地になってる。
だから、その住宅区画のためにあったバス停が撤去されて、ついでにいろいろバス路線のコストカットがあったみたいで、笑っちゃうけど(笑いごとではない)、わたしんとこの大家さん物件がちらほらある地域に「バス」がまったく来なくなって陸の孤島化した。
大家さんはなんかすごい怒ってたけど、行政的に見捨てられたみたい。
高齢者や、どうしても移動の足がない家には、福祉バスで対応するんだって。

それで、家賃を下げるしかなくなったらしくて、わたしんちの家賃もいっしょに一万以上下がった。
わたし的には万歳な話。
ついでに、こんな不便になったんだから、住民税も割り引いてくれればいいのに。

駐車場に棲みついてたネコたちは、人懐っこいのはぜーんぶいろいろ貰われてった。
わたしとお喋りができたネコも、いつのまに消えた。
残ったのは、人には懐かない、凛とした「野獣」っぽいネコたち。
でも、わたしは少しずつ相手にして貰えるようになって、真夜中のネコ会議に参加が許された。
知能指数的に「こいつはニンゲンではないドーブツレベル」って判断されたのかも。
(●^_^●)

お仕事的近況は。
来年はいよいよミステリを書くー。
(っていう依頼があって、いま、慌ててるとこ)

二次使用料が年金的安定収入になってて、まだ数年はそのまま契約がだいじょーぶそうなので、不労所得のありがたさを実感。
そのまま貯金してたほうがいいとおもったけど、わたしに40代という人生はほぼ無いのだから(30代はどれだけ元気かわかんないし)、いろいろ自由に動けるうちにいろいろ使ってもいいなー、っておもって、ときどき無駄遣いをしてる。

このまえは都内に仕事で出かけて、飲んで終電逃して、いつもならどこかで始発待ちしてたけど。
その晩はビジネスホテルに泊まった。(ひとりで)
ビジネスホテルだとそんなに高くないし、朝ゴハンは700円でバイキングが使えて、なんかちょっとたのしかった。
都内なら、ホテルの近くにはいくらでもやすい飲食店はあるしねー。
これからはこんなふうに、ビジネスホテルぐらいならときどき使ってもいいなー、っておもった。

葉山方面にしょっちゅうドライブに行く話をいろいろしてたら、そこらへんに「別荘」持ってる人が、ぜーんぜん使わないから好き勝手に使っていいし、棲みついてもいい、って言ってくれた。
温泉もあって、小さいプールもあるの。

ぎゃー、すっごいお金持ちー、ってぐらいの、ものすごい別荘だからびっくりした。
(さいしょは断ってたけど、なんども言われたから、いちどだけひとりでドキドキしながら中をのぞきに行ったの)

船もいろいろ持ってる人で、免許取って好きに乗っていいよー、って言ってくれて。
免許ないなら操縦はだれかテキトーにいつでも頼めるから、たまにはトモダチやカレシ(いません)と大島でも行ってきたらー、って太っ腹な人。

じぶんがものすごい底辺にいたから、経済的な上層にいる人たちと接点なんか持ちようがないとおもってたけど。
オトナになると、いろんな人との接点がおもったより開放的にあるもんなんだねー、って、このところのわたしはおもう。

まえにも書いたけど、底辺校で仲よしのトモダチはいわゆる「資産家」っていうとこの、いわゆる「御曹司」とケッコンしたし。
(そういう層を狙ってたわけじゃない)

わたしはねー。
さいきんねー。
地元の「資産家」のおぢさんたちに、やたらモテるの。
(これは自慢話のたぐいではない)

地主農家が多い地域だから、「ただのおぢさんやおばさん」に見える人たちがかなりの資産持ってて、自宅も大豪邸(都内の芸能人が自慢してる豪邸なんか比べものにならないぐらいのおっきな豪邸)、みたいな家庭がわりとある。
それでー。
わたしはバイト先ではだれにでも(仕事だから)ニコニコ愛想よくしてるから、年配の人たちにはウケがよくて。
それで、地元資産家のおぢさんたちから、いろいろ誘われる。
愛人的なお誘いとか、後妻の座のお誘いとか、息子の嫁のオファーとか。

世の中高齢化すると、ただ「20代」っていうだけでものすごい価値があるみたいに扱われるもんだねー、って、さいきんのわたし、いろいろびっくりしちゃう。
80に近いおぢさんから、生活費はぜーんぶ面倒みてあげるからバイトなんて辞めちゃったら?って言われたけど。
ひゃー、こんな年になっても(結構「おじーさん」な見た目な人だから)、まだえっちな相手が持てちゃうぐらいの体力あるんだねー、って、ほんと、びっくり。

早朝勤のとき、常連の高齢なおぢさんからいろいろ誘われてたら、一緒にシフトにはいってたおばさんが、「ムシ除けムシ除け」って、そのおぢさんを追い払ってくれた。
悪いムシはつけたらダメ、って言って、これからムシ除けしてくれるんだってー。

こういうのは、ほんとに「モテてる」っていうわけじゃないから、なんか金銭的な契約関係を申し込まれるたびに、20代の若さに価値をつけられながら、わたしという個人はやっすく見られてるよねー、ってがっかりする。
がっかりするのは、やすく見られちゃうようなじぶんに。

わたしはだんだんと「オトコギライ」になりつつある。
男の人はつまんない。
わたしが、「オトコ」とたのしい関係を築くのが上手じゃないせいなんだけど。

話がいろいろ逸れてる。

バイトのほうの近況は。
深夜勤以外もいろいろワンオペになった。
それだって、まだ「ヒトリ」入ればマシ。
かんぜんにだれもシフトに入れない日も出てきて、仕方なく店長がワンオペしてたけど。
ワンオペに疲れた店長が、勝手にシフト表にわたしの名前を書いてくるようになって。
さいしょのうちは、店長もタイヘンだよねー、って仕方なく入ってたけど、そのうち、そういうシフトの「後書き」が常態化がしてきたから、わたしもさすがにキレた。
店長代理はシフトに入りすぎて、カラダ壊して入院中。

バイトはうちのお店、さいきんは毎月時給がじわじわ上がってるし。
募集のポスターの時給が毎月、書き換えられてる。

ここら一帯、どこかの店舗が時給の最高値になると、すぐに近隣ぜんぶ横並びになる。
そうやってバイトの取りあい戦争勃発中。
だから、ぜんぜんだれも来ないと、またどこかが上げる。
それで、また近隣一斉にあがる、ってかんじで、この業界の時給の高騰が止まらない。

夜勤のワンオペの防犯的には、コナン見てたら世良さんの截拳道、わたしも習いたくなった。
截拳道って、どこで習えるのー。



体調はじわじわと悪化はしてる。
ほんとにじわじわと「悪く」なっていくので、病魔っていうのは誠実で勤勉なものなんだねー、って感心しちゃう。

でも、じぶんでいろいろ調べたりもするから、医学的な知識が増えるのはおもしろい。
病院って、出されたクスリの最低限の説明は薬剤師がするけど、こっちの質問すべてには意外に応えて貰えないんだよね。
っていうか、病院の薬局の薬剤師だって、ちゃんとクスリのことわかってないんじゃないのー、っていう知識が曖昧な人がおおくてびっくりする。

わたしの場合、飲みあわせや病気との兼ね合いで禁忌なクスリが多々ある。
クスリの成分って、名称がちがうふうに書かれてるものもあるから、ちゃんと調べないとなにがじぶんにキケンなクスリか把握しきれない。

Aっていうクスリがわたしには禁忌で。
でも、これを飲まないと持病のひとつのBが治せなくて。
でも、Aのクスリを飲むとBの病気は改善されるけど、ほかの症状は深刻に悪化する。

さて、わたしはどうすればいいでせう。

みたいな、日々、ナゾナゾなカラダの問題に悩んでる。

お医者さんによっても、これは飲んでヘーキ、って言う人と、ぜったいやめときなさい、って脅す人とそれぞれ。
わたしの病気は、いろんな科にかかる症状がいろいろ出るんだけど。
科の先生によって対処の方針がぜんぜんちがうから、わたしはどうすればいいのー状態に陥ってる。

だから、インターネットでクスリのメーカーの説明書(一般人向けじゃなくて専門的なの)を探して読み漁って、じぶんで治療プランをいろいろかんがえてみて。
それで、いちばんメインな科の主治医にそれを提示して、これだとどうか、って聞いて、それでダメな点、OKな点を教えてもらって、全体的な治療法を選んでってる。

いろんな科にかかるようになって、そこの担当看護師さんと仲よくなるのがいちばん、っていうのがわかってきた。
看護師さんは、医師になにか問題があると、やんわりそれを教えてくれる。
はっきり「先生の言う通りはよしたほうが……」なんてことは言わないけど、「ほかの先生にも聞いてみたら?」「ちがう病院でもいちどかかってみたら?」みたいに言ってくれるの。
反対に、なんかとっつきにくいお医者さんだと、看護師さんが「あの先生、ぶっきらぼうだけど面倒見はいいから、安心して相談して平気だから」って言ってくれたり。

クスリの種類が一気に増えた。
それも、毎食後、朝夕食後、起床後、就寝前、食間、週○回、バラバラ。
どれをー。
いつー。
飲めばいいのー。

って、もう毎日が混乱するから、いろいろ飲み忘れてる。
これを飲み忘れるとものすごいやばい、っていうクスリもあるけど、それすら忘れちゃうから、もうどうでもいいよねー、って開き直ってる。

どうせぜんぶただしく飲んだって、この病気、治るわけじゃないんだから。
飲まなかったせいで完治する病気が不治になった、とかっていうなら、後悔絶大だけど。
飲んでもどうせさいごはたのしくないゴールに行き着くのさー、ってことなら、なんかノンキになれる。

ぜんぜんマジメに病人やれないおれ。やれやれ。

このまえは、バイト中にものすっごい頭痛が起きて。
いきなり急速にものすごい頭痛になって、耐えれなくて、トイレでものすごい吐いた。
このまま死ぬ気がするー、って、ほんと、そのときはホンキで死ぬんだとおもった。

ものすごい吐きつづけて、シフトの相方がびっくりして救急車呼ぶって騒いで、でも救急車呼ぶ電話するヒマもないぐらいにレジが混んだから、わたしがトイレからずるずる事務所に行ってじぶんで呼ぼうとした。
でも、電話で話すことができないぐらいの強烈な頭痛で、事務所のゴミ箱にも吐いて、救急車も呼べないじゃんー、って、じぶんの持ってた市販の生理痛のクスリを口に放りこんだの。
ほんとは2錠飲まないといけないのに、1錠しか取りだす気力がなくて、それ飲みこんで頭痛で動けないままジッとしてたら。

5分も経たないうちに、あんなすごかった頭痛があっさり消えてびっくり。
一体なんだったのー、っていうぐらいに頭痛がぜーんぜんなくなったの。
生理痛にはもうそんなに効かないぐらいにカラダがそのクスリに慣れきってたのに。

だけど、水無しで飲んだから、一時間ぐらいしたらこんどは猛烈な胃痛に襲われて、救急車は呼ばなかったけど、わたしはバイトの帰り道に病院に駆けこんで、胃薬もらって帰った。
頭痛が死ぬほどすごかった、って話をしたら、胃腸科より脳みそ科に行きなさい、って怒られて、それでそっちによろよろ行って頭の中身の立体写真を撮ったら、べつになんにも死ぬような原因はなかった。

ストレスですねー、って言われて、それきり頭痛は起こらなくて、胃薬のおかげで胃痛もすぐ治って、わたしはぴんぴん生きてる。
あのとき、救急車呼んでたら「大騒ぎしちゃってー」って恥かいてたよねー。
呼べないぐらいのすっごい頭痛でよかった、っていうオチになんか納得いかない('_')



あのね。
さいきんのおれ、またラジオCMにモヤってる。

ボが付く外国産の車メーカーのCM。
ディーラーにお金持ちっぽいお得意様が来店して、セールストークをして車を買わせるっていうストーリー。
えぐぜくてぃぶなお客さまに最先端仕様のお車をオススメしますよー、みたいなセールストークに、そのおぢさん客はあっさりと「2台もらおう」って言うの。
そんなスマートなお買い上げをありがとー、っていうCMなのさー。

これって、ここのメーカーは、こんなんでいいのー。
って、いつも聞くたびに突っ込み返してるおれ。

だってさー。
こういうメーカーにとって、じぶんとこの車を気に入ってくれるお客こそが「お得意様」ぢゃないの?

このまえ見た刑事コロンボで「提督」って呼ばれてる造船所の経営者が殺されちゃう話で。
その「提督」が、昔はうちの船はほんとに海が好きな人が買ったけど、いまは金持ちがステータスのためにしか買わない、って不機嫌に言うシーンがある。
(正確なセリフは忘れちゃったけど)

この「ボ」のつく車のCMも。
最先端仕様があなたさまにはふさわしい、なんてステータスをセールスしてるだけ。
だから、黙ってすぐに買ってくれる客を「スマート」だって持ち上げてるけど。

車好きな人なら、もっといろいろ車の仕様に突っ込んで聞くよね。
じぶんの求める機能性をあれこれ並べ立てて、「ここはどうなの?」っていちいち細かいことも確かめて、実際に触ったり乗ったりして、それで「体感」にフィットする車を買う。

うるさいぐらいに質問する客ほど、じぶんとこの車を納得して買って、長く愛してくれるもんだとおもうけど。
たくさん質問して、充分に悩んで、ゆっくり納得いくものを決めてください、っていうメーカーの構えをわたしは理想だとおもうから、ステータスを売りにしたセールストークに、「2台もらおう」なんて大根2本買うみたいにスマートに買ってくれることが、メーカーのよろこび、なんて、あんまりに浅いよねー、ってかんじちゃう。

このCMはセールスマンの視点で、モノヅクリの視点じゃない。
スマートに2台売れるより、1台を時間かけて納得して買ってくれるお客を歓迎するメーカーの姿勢を出したCMのほうが、「誠実」に映るのに、ってわたしはおもった。

技術を売る、ってそういうことじゃないの?
大根だって、どんなバイオテクノロジーで最高級の味を出した、なんて説明するより「これ食べてみて、奥さん」って試食させたほうが、ほんとに「味で売る」自信を感じれる。

あれはあんまりいいCMじゃないよね、っておもうのは、わたしだけなのかなー。
(けっして高級外車を買えない僻みではないでござる)


ではではよいお年をー。




posted by ぴの at 00:06| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

現実を捨て書に隠ろう

久しぶりにじぶんのブログにログインして、いろんなこと書きたいけど、そんな時間もなくて、ただ殴り書きみたいに、キーボードを殴り打ち、する。

さいきんのわたしは、ネットあそびをぜんぜんやらなくなった代わりに、図書館通いにはまってる。

いままではブックオフで税抜き100円の文庫棚から好きなだけ買いこんで、それをぜんぜん読みきれずに紺色の袋に入れたまま部屋に積ん読の山を築いてくばかりだったけど。

あるときとつぜん、断捨離の呪いにかかって、たーくさん買った古本を、ぜんぜん読まないまま、たーくさん捨てはじめた。
(ごめんなさい。すごいバチアタリみたいなことしてる)

そうでもしないと、家の中が少しも片づかなくて、でもいろいろ片づけたいきもちは募ってて、「捨てる」っていう方法がいろいろ一番だったから、捨てれるものは捨てる、っていう不用品粛清の家庭内恐怖政治を目指したの。

それで、「図書館にある本は所有してはならない」っていうMy法律をつくって、じぶん的合法読書に励みだした。

そんなわけで、地元の図書館は、いまは「わたしんちの別館書庫」ってことになった。
家に置き切れない本を「別館」に置いてるのです。(わたし的に)

貸し出し本の返却期限は2週間だけど、わたしはヒマがあると図書館に行ってる。
いままで、ヒマがあるとブックオフに寄ってた感覚で。

ふらっと寄って、まずは新着コーナーや返却ワゴンを見る。

じぶんが探したい本は、館内検索機でカンタンに探せるけど。
それって、アマゾンで欲しい本を買うみたいなものね。

でも、欲しい本が特にあるわけでもなく、ふらっと街の本屋に立ち寄って、目についた本との出会いをたのしむ、みたいに、じぶんのアンテナが向いてない方向性の本との出会いを図書館でもたのしんでる。
それは、「人の選択」に依存した新着本や返却本がうってつけ。

じぶんがぜんぜん知らなかった「こんな本があるんだー」っていう出会いの感動は、「人の選択肢の中」にあるんだよねー。

インターネットでいろんな人が書くものをザッピングしてた感覚で、図書館でいろんな書物をザッピングする。

わたしのブログ時間が減ったのは、そのぶん、「本」へのアクセスに移行したから。

人生って、「本」があれば、充分に足りる、っておもう。
100人の人と出会うことより、1冊の本が人生に深みをもたせることもある、よね。

インドア派のわたしは、100人のニンゲンに会う体力も気力もぜんぜん持ち合わせてないけど、100冊の本を読もうとする欲望はやすやすと持てる。



返却ワゴンで見つけた「ぜんぜん知らなかった作家」の小説が、あまりに美しい文章すぎて(なんでせう、この日本語)、ほんとに涙が出てきちゃう感動に落ちた。(恋に落ちた的表現)


天使のゲーム〈上〉 (集英社文庫) -
天使のゲーム〈上〉 (集英社文庫) -

上下巻の、まだ上巻の、それもまだ途中までしか読んでない、の。

それなのに。
それでも。

この小説は、あまりに隠喩が美しくて、なんかね、その美しさにほんとにね、読んでて涙が出てきて、じぶんでもヘンだとおもったけど、でも、泣けるような感動、っていうのを味わってる。
じぶんにもそれだけの文才があれば、いま、もっとマシな表現で麗しい感想を書けるのに。

でも、わたし。
こんなにも美しい文章を読める幸運に陶酔する。

こんな美しい詩的な表現で小説を書けたら、どんなにしあわせだろ。
どんな美人より、どんなお金持ちより、美しい隠喩を生みだせる知性に、涙が出るぐらいにわたしは魅せられる。

これは訳者の文才もすごい作品だとおもう。
こんな美しい日本語に訳せる才能があったからこそ。


さいきんのわたし。

萩尾望都さんの繊細な絵に魅せられて。
カルロス・ルイス・サフォンの美しい比喩表現に酔い痴れて。

それから。
万年少佐のドイツ人に、恋をして。

三次元に生きなくてもいい気が、してる。




posted by ぴの at 20:16| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

じぶんのしあわせをじぶんで手にいれるしあわせ

夏がもりもりな盛夏のいきおいを取り戻せないうちに、梅雨から秋雨に一気飛びしたような雨だらけの日々のまま9月になって、それももう終わろうとして。
雨と雨のあいまの晴れの日に、いつのまに進んでた季節のうつろいを青空にかんじる。
青空の雲が変わってくんだよね。

このまえの台風のあとの晴れの日は、春は桜色の絨毯になっちゃう古い桜の木に囲まれた芝地に、金色の桜の枯れ葉が一面散りばめられてた。
いっしゅん、晩秋の森にまよいこんだ錯覚がした。

まだ9月に、こんなに枯れ葉が地面を被ったりしたこと、あったっけ?

ことしは9月になってから、いつもなら夏の終わりの主役になるツクツクボウシがよく鳴いて、肌寒い雨の日でも雨が途切れた薄暗い昼間にヒグラシが弱々しく鳴いて、下旬になっても晴れた日だけ雨の日は沈黙してたアブラゼミが復活する。
弱々しい夏には夏の虫たちも弱々しくひっそりと生き延びてるかんじ。



8月は、買ったばかりの中古車の調整にいろいろ追われてた。
新車価格があまりにたかすぎる車種を、わたしごときが一括で買える程度の値段の中古車だったから、もちろん最新モデルなんかじゃなくて、何世代かまえのモノだし。
わたしに親切にしてくれる車屋のおじさんがちゃんと選んでくれた程度のいいものだったけど、買ったときにはまだわからない経年劣化のトラブルが、いろいろ走ってるうちにわかってきて。

おじさんが選んでくれた中古車には、正式な保証期間なんてなかったけど、買ってから出てきたトラブルの修理はぜーんぶ無料でやってくれてる。
数万する部品の交換もあったから少しは払うって言ったけど、買ったばかりの車でこんな高額の修理が必要になるのはわるいから、って、ぜーんぶタダで直してくれてる。

おじさんは、売った時点ではまだわかんなかったトラブルだったけど、こんなにトラブルが頻発してごめんね、って謝ってくれた。
でも、わたしはおじさん以外のとこでこの中古車を買ったら、こんな価格では手に入らなかったのは、この車種の中古価格相場を調べたからわかってる。
だから、その後の中古車ならではのトラブルの修理代ぐらいは覚悟して、その予算も見積もってたから、無料で直してくれたのは、ただ感謝しかなくて。

中古車は安いほど、その後のメンテにそのぶんお金がかかるもの、っていうのはお父さんから教わってたし。
わたしは古い車はたのしい、って車屋のおじさんに言った。
修理のお金は新車よりかかるけど、新車はそのぶん、高額なローンを組んで、それが払い終わった頃にはいろいろトラブルが出てくる頃で、けっきょく乗り換えるか修理かでまたお金がかかる。

中古車は、なんとかじぶんで払える価格でいちおうは車が手にはいるし。
それも、いまはもう新車では売られてないけど乗りたい、っておもう車種が選べるし。

それに、いろいろ必要になる修理をしていくと、車の仕組みがいろいろわかってくるのがおもしろいんだよね。
新車を乗り換えていたら、わたしはオルタネーターの仕組みも知らずにいたとおもうし(その名称すら知らない車乗りの知り合いおおいよ)、長く乗るとこんなとこが経年劣化するんだー、って、いろんなとこの車のくたびれ方を知れる。

車屋のおじさんは修理をしてくれるたびに、どんな修理をしたか、どのぶぶんがこれからダメになっていくか、車を長く乗るためにはどんなメンテが必要か、いろんなことをわたしにもわかるように詳しく丁寧にいちいちおしえてくれる。
このおじさんがいるから、わたしは中古車をたのしく乗り続けられる。

だって、女のドライバーなら経験してるとおもうけど、ガソリンスタンドでもディーラーでも街の整備工場でも、女、っていうだけで、必要のない部品の交換を、さもいま命にかかわる事故を起こす寸前だったみたいに脅して、要らないオプションもぜんぶつけた高い価格で売りつけてくるから。

ちょっと話がズレるけど、事故なんかのとき、警察だって「女」のほうに一方的に過失があるように決めつけて、女の運転をぜーんぜん信じてない。
車のメンテも、女は車のことに無知、ってナメてくるとこばかりで、ひとりに一台必要なイナカなんて80代のおばーちゃんだっておっきなセダンを運転してるぐらい女性の運転率高いのに、まだまだ社会的に「運転免許をもった女」を一人前に認めてくれてない空気があるなー、ってかんじる。

わたしはじぶんのお金で買ったこの中古車を、すぐに愛して、これから動くかぎりはずーっと乗りつづけたい、っておもってる。
だから、この先、どれぐらいの部品交換の費用がかかるか、だいたいはわかってきたから、そういうお金もちゃんと貯めていくつもり。

わたしが買うまえは、この車を新車で買ったオーナー以外は所有してなくて。
その人も、せっかくのこの車、あんまり乗ってない状態で。
ろくに乗らないまま所有してる年月がある程度経って、それでわたしのとこにやってきた。

わたしはちょくちょく200km〜400kmぐらいのドライブに出かける人だから、いきなり長距離を走りまわされるようになって、それまではなんにも目立たなかった劣化ぶぶんがいろいろ悲鳴をあげるようにトラブル起こしだしたかんじ。
わたしは、それを溜まってた膿を出す治療みたいに、ひとつひとつ治療して、車を健康体にしていこうとおもってる。

まえのオーナーがなんにもヘンなクセをつけてなかった車は(それだけ大して乗ってなかった証拠)、すぐにわたしの運転に馴染んで、さいしょっから車とわたし、ものすごい相性がいい。

買ったばかりのとき、まえのオーナーがいちども換えてなかったっていうタイヤは、まだミゾがしっかりあってきれいなままだったから、おじさんがまだまだこれ乗れるね、って言ってた。
だけど、わたしがいきなり長距離を高速つかって乗りまわしたせいか、いきなりきれいだったゴムにものすごいヒビがはいってびっくりした。
ゴムの経年劣化って、こんなふうになるんだー、ってそれで知った。
こんなおそろしいヒビがはいるまでタイヤをつかったことなんてなかったから。

なんどかのロングドライブのあと、コンビニでコーヒー買って乗り込もうとしたとき、なんとなくタイヤに目がいって。
あれれー?
こんなすごいヒビ割れ、いつからできたのー、ってびっくりしたの。
このまま走ったらおもいっきりバーストしそうだよねー、って、とりあえずヒビがすごいタイヤだけコンビニの駐車場でじぶんでスペアに交換しちゃって(見てたスポーツ車のおじさんが手伝ってくれたけど)、ほかのタイヤもヒビが少し出てたから、その帰りは高速乗るのやめて一般道で慎重に帰った。

「すごいなー。じぶんでやれちゃうのー?」って笑いながらタイヤ交換を手伝ってくれたそのおじさんは、ほかのタイヤも見てくれて、これぐらいなら高速でバカみたいに100キロ以上飛ばさないかぎりはまだ大丈夫だよ、って言ってくれた。
わたしは高速でも法定速度をちゃんと守るけど、万が一のとき、高速で故障停車するのがこわくて一般道で帰ったの。

それで、次の日にすぐ車屋のおじさんにタイヤの交換をおねがいして。
国産メーカーでできるだけ安く手にいれたものを、これも無料で交換してくれる、って言ってくれたから、タイヤだけはじぶんで払うから、って、某メーカーの純正のよりいいタイプのを頼んだ。
一度つかってみたいなー、っておもいながら、でもわたしには高いから、いつもそれより下のランクのつかってたんだよね。
そしたら、おじさんはその差額だけの負担でいいから、って、わたしの希望のタイヤをつけてくれた。

タイヤがいいと、ぜんぜん運転しててちがう、っていうのを、これで体験した。
ひゃー、すごいよー、どんな冠水道路でも(この夏はバカみたいな豪雨で走行中の道路がいっしゅんで冠水するの、しょっちゅう)、どんなゲリラ豪雨でも、晴れて乾いた路面と変わりなくちゃんと停まる。
なんどかそれを確認すると、ブレーキングに過剰な不安がなくなって、どんな劣悪な路面になっても落ち着いて運転できる。

フツーに運転してても、カーブとかも走行感がすごいちがう。
F1とかモータースポーツでタイヤの性能の影響がどうの、とか言ってて、わたしはよくわかんないまま「そーいうもんなんだー」ってぼんやりおもってただけだけど。
そういうもんなんだねー、っていうのを体感として知れたのがたのしい。

お金があると、車はもっとたのしめるんだね。
車に全財産つぎこむような車好きの人のきもち、なんかわかった。

わたしはそこまでお金稼げないし、稼いだお金をぜんぶ車に注ぐのはムリだけど。
お金をかけただけ車がたのしくなる、っていう感覚を少しでも知るのはうれしい。
そのお金は、じぶんが稼いだものだと、このうれしさは「自力」なんだ、って、もっとたのしいきぶんになる。

ここのところ、わたしは一生懸命働いて、辞めようとおもってたバイトだって、お金を稼げるときに稼いでおこうってかんがえて、まだつづけるつもりでいるし。
稼いだ分、独身だと税金がただすごいことになる。
だから、今年稼いだらまた来年も稼ぎつづけないと税金が払えなくなる、っていう悪循環みたいなことになるけど。

税金が高くなるからあんまり稼ぎたくないなー、っておもった時期もあった。
でも、わたしはじぶんの健康寿命がそんなに長くないはずだから、働けるうちは一生懸命たくさん働いて、高い税金にほかの納税者といっしょになって堂々とぶーぶー文句垂れて、それで少しでも自由なお金をじぶんのたのしいことにつかって、カラダが自由に動かせる時間を満喫したい。

あと1年か2年ぐらいで、わたしは値段の高い投薬がはじまるはず。
これにはなんの医療助成制度もないから、お金のない人はここで治療を断念せざる得ないハードルのひとつめになる。
わたしはこのひとつめのハードルは、なんとか越えてみよう、っておもうから、いま、働けるうちはたのしく働くの。

なまけものなわたしが働く理由。
そんな歌を宇多田ヒカルさんが歌ってたけど。

このまえ読んだ、ある作家さんのエッセイみたいな本に。
小説を書く理由があった。
じぶんが生きた証を、じぶんの死後も残したいから、って。

わたしは、そういうかんがえがまるでなくて。
じぶんの生きた痕跡を、じぶんの死後にはできればなんにも残さずにいたい。
それはまえから書いてきてるけど。
わたしは、じぶんの存在は、生きてるあいだのこの瞬間ごとに在るだけ、でいい。

いま、じぶんのたのしみのために書く。
それだけが、わたしの書く理由。
お仕事も、ブログも。

じぶんが死んだら自動的にネット上のすべてのアカウントが消失するシステムができればいいのにね。

お仕事は、好きなものばかり書いてるわけじゃないけど。
仕事をしてお金をもらう、そのことを、「生きてるいまこの一瞬」のたのしみに繋げれるから、わたしはたのしく働くことにした。
なまけもののわたしは、出来れば働きたくもないし、っておもってたけど。
働かないと食べていけない身分なんだから、義務をまっとうしてるだけ、っておもってたけど。

働いてお金を得れば、とりあえずは自立できる。
自立して生きれる、っていうのはなんて幸福だろう、っておもう。

わたしにはもう親もいらなくて、じぶんを養ってくれるだれかも必要なくて。
お父さんからもらった車をじぶんでお金かけてだいじに乗ってきたけど。
こんどの車は、さいしょからじぶんで買ったの。
それがうれしい。
この幸福はすべてわたしのもの、だから。

この幸福は、じぶんが働いていないと得れない。
働けることに、感謝する。
だれに感謝するのかわかんないけど、神さまとかそういうものかもしれないし、そういうもんじゃなくて、感謝する対象なんて特定する必要もないかもしれないし、だけど、仕事をしようとおもうきもちが維持されて、それが実行できる肉体がじぶんにはまだある、っていうことが、なんか無性にしあわせにおもう。


posted by ぴの at 19:10| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする