2017年05月05日

変わりゆく日々

ひさしぶりに覗いたら、いよいよブログがぜーんぶ強制的に新システムに移行するんだって。
でも、これはまだみたい。

わたしのぱそこんでつかえるのかなー、って、いま、あたらしいシステムのブログをひとつ作ってみた。
なにが変わってるのかよくわかんなかったけど、編集画面はぜんぜんおなじままみたい。
だいじょうぶなのかな。

でもこれ。
自動保存にならなくなってる。
なんで?

べつにじぶんがネットでブログを書きつづける必要なんて、この世のどこにもないのだけど。
まあ、いいや。
アカウントがつかえるうちは、ひまつぶしにつかって、つかえなくなれば、ネットから追い出されたきぶんで消えちゃえばいいんだし。

なんて言っても、つぶせる「ヒマ」なんてぜんぜんない。
ブログを書くなら、その時間をじぶんでつくらないとダメ。
それがめんどくさくて、さいきん放置してた。

ネットであそぶのがめんどくさいんじゃなくて、時間のやりくりするのがめんどくさい。
いろんなことを整理して合理的に処理する、っていうことが、わたしのあたまでは無茶すぎて、つかれる。



きょうはゴールデンウィークスペシャル、ってことで、J-WAVEはクリス智子さんと佐藤オオキさんコンビが朝から夕方までずーっとナビゲーターをやってた。

このふたりのからみはひさしぶり。
ふたりの番組が日曜の夜から消えて以来、日曜の夜はなんだかさみしい。

久々のおふたりの番組を車に乗り込むたびに聞いてたら、なんか「昔」を懐かしむような泣きたいきぶんになった。
年をとっていく、っていうのは、過去がそのぶん積み重なっていくから、感情がうしろ向きになることが増えていく。

ことしの春もたくさん泣くことがあって、泣くことにくたくたになった。
体調もよくなくて、ビョーキが少しだけ進行した。
あらたな症状に、ものすごいきぶんが落ち込む。



さいきんいろいろあったけど、なんかそれを書く気がしないから、ブログ開いてもべつに書くことないことに気づいた。



バイトをやっていて、急速にじぶんの価値観が変化していくのをかんじてる。
世界が変化してるのか、じぶんが世間知らずすぎただけなのかわかんないけど。

うちのお店にはとうとう外国人のバイトもきたー。
日常のカンタンな会話がどうにかカタコトで通じる程度の日本語力で、ひらがなは読めるけど、意味はぜんぶわかるわけじゃなくて、漢字はまったく読めない。
だーかーらー。
レジ接客は無言でレジ打つぐらいはできるけど、いろいろめんどくさいサービスでお客さんとやりとりが必要になる場面ではムリ。
じゃあ、納品やってー、っておもったけど、そもそもマニュアルも読めないし、いろんなポップやいろんな記載事項が理解できないし、商品の名称も読めないから、納品もハードル高い。

英語はわかんない人で、その人の母国語なんてだれも耳馴染んでないから、「カタコトの日本語」だけで仕事を教えるのがどれだけヘヴィか、っていう体験真っ最中。

「やります」と「やった」と「わからない」の3語で仕事を進めませう。
っていうゲーム感覚で仕事おしえてる。
「わからない」とは言ってくれるけど、なにがどうわからないのか説明できなくて、わたしの説明もだいたいは理解はできなくて、「わからない」ってことだけお互い理解をシェアするのが精一杯、っていうレベル。

ラジオの英会話教材のCMで、赤ちゃんは勉強しなくても自然にコトバを覚える、って言ってるから。
たぶん、いつかは自然に通じあうはずー。
ってことで、相手がわかんなくても、とりあえずは日本語でフツーに説明して、あとはわかってなさそうなとこを身振り手振りで教えたり、「雰囲気」でわかったふりしたり。

シニアスタッフの新人さん(日本人)なんて、じぶんがぜんぜん覚えれないサービスは、お客さんからなにか聞かれると「じぶんはそれ、わかんないんですよねー」で済ませちゃってるし。
わからないなら、わかるだれかに聞いてください。
わからないから、ってお客さんにこたえないで帰しちゃったりしないでー。
って言っても、そのときは「そうですよねー。はい」って言ってくれるのに、またそんな場面になると「それはじぶんにはわかんないんですよー」って言ってるからねー。

タバコを吸わない人はぜんぜんタバコの名称も場所も覚えようとしない。
あらたに覚える、ということは思いつかないみたいで、わからないことはわからないままにしとく。

商品の区別もつかなくて、似たようなパッケージのものは見分けれない。
ひとつひとつの認識に時間がかかるから、なにをやっても、ものすごい時間がかかる。

60歳すぎると、だいたいの人がどこかしらカラダの不具合をかかえてる。
高血圧とか腰痛とか視力の衰えとか。
だから、基本の作業をこなすのもムリ、っていう人ばかり。(その相方がほとんど負担させられる。おなじ時給で)

うちの業種は、さいきんは年齢問わず、「よそではまともに働けない(雇ってもらえない)」ような人たちばかりが流れてくるからねー。

もうねー。
最低限の仕事の質、っていうレベルも、現場ではかんぜんに崩壊してる。

そういう時代なんだなー、って、わたしは受け入れるようになってる。

日本語が理解しきれてなくても日本で働かなくちゃいけない外国人はいくらでもいるし、いろんな身体能力が衰えていく高齢になってもマルチタスクな職に就かないと食べていけない人もいくらでもいるし。

年金受給が70歳になるとか言ってるけど。
その年まで、「まともな仕事」ができる人、どれだけいるのー、っておもう。
でも、政府はカラダも脳も衰えていく年齢になっても「現役」でいろ、って言うんだから。

できないことだらけの人たちが働く社会、になるのは、仕方ないじゃん。

70歳まで現役でいろ、っていうなら、とうぜん、その年まで車も運転するよね。
高齢ドライバーが歩行者なぎ倒し、とかっていう事故も、とうぜん減らないよね。
年齢にあわせて、ムリのない能力で働ける職場、なんて、理想にすぎないんだから。

できないことが増えても、できる世代とおなじような日常を送らないと食べていけないなら、ムリヤリやってくしかない。

それでも、高齢者を雇わないとやっていけない業種なんかは、その年代にも仕事がこなせる(もっとわかりやすい)システムにかえていくしかないよー。
外国人もどんどん雇わないとダメなら、現場の言語も日本語オンリーじゃダメじゃん。

それが難しいなら、いろんな質の低下は社会で諦めて受け入れていくしかないよね。
コンビニの店員に一流ホテルのコンシェルジュのような高度のサービスを要求しない社会。

なんかねー。
職種それぞれの現場で働く人たちの問題、というより、社会全体がいろいろ価値観をかえていかないと、「いろんな人たちがいつまでも現役」なんていう社会でみんながしあわせに暮らせないとおもった。

シルバースタッフさんと組んだ日。
お客さんが途切れたとき、ものすごい陳列の状態になってる商品の棚を、なんとなく眺めて。
(フツーなら10分以内で済む陳列作業を相手が50分ぐらいかけてやってた箇所)
ちょっとー、これで商品売れるとおもってんのー。
って、まえならわたし、むかむかしたり、なんか言いたくなったけど。

これがいまのコンビニの現状だよねー。
って、そのままを受け入れる価値観がじぶんの中に生まれた。

これで仕方ないんだよ。
本部は理想的な陳列をいろいろ言ってくるけど。
それをやれる能力の人が集まらない末端の店舗では、パンはパンの棚に並んでるだけマシ。
ラベルが逆に置かれてても、アイスのとこでパンが凍ってないだけ、いいんだよ。
(ほんとにたまに、アイスケースの中になぜか納品されてきたばかりのパン落として凍ってたりするナゾ現象が起こってるから)

従業員の意識を高めたり、仕事の質を一律に守らせる指導そのものが通用しない時代になったんだとおもう。

パンがひっくり返って陳列してる棚を、わりと仕事ができる新人のバイト男子が見つけて、「これ、どうおもいますか?ぴのさん。だれがやったかわかってるんで、店長に報告しますか?いつもこうなんですよ」って言ってきたとき。
「あー、それはねー、こうしちゃえばいいのー」
って、わたしは、ひっくり返ってるパンをまたひっくり返した。
「ひっくり返ってるのみたら、またひっくり返しておけばいーの」
って、言っといた。

ひっくり返ったパンも、またひっくり返しておけばいいだけ、だからね。
陳列がめちゃくちゃだって、べつにものすごい問題じゃないんだよ。

なんかいろいろすごい問題にみえても、たぶん、いろいろたいしたことない、んだとおもう。
そうおもっておけば、世の中は平和になる気がした。

いろいろサービスが低下してるお店に遭遇しても、「あ、ここはサービスだめだねー」でいいんだよ。
よくない、って言う人は、サービスがいいお店に行けばいいんだよ。
サービスがよくないお店だらけになったら、それがいまどきのスタンダード、だとおもえばいいんだよ。

なんかそれじゃいろいろよくない気もするけど、それはじぶんのせいじゃないんなら、「まあ、そんなもんだよねー」って長いものにくるくる巻かれちゃう。

仕事ができない人に対して、じぶんがいろいろタイヘンなきぶんになってたわたしだけど。
だんだん、じぶんがタイヘンがる必要もない気がしてきた。
じぶんがえらい立場なわけでもないんだから、じぶんがタイヘンだとかんじてたのは、思いあがってただけ。

そういえば、仕事で出かけた先の街で、回送中のバスが、回送中ですみません、みたいな謝罪つきの表示を出してるの見かけた。
回送中だと、なんで謝るの?
って、ものすごいフシギだったけど、謝らなくちゃいけない社会になってるんだろうねー。

「あ、バスがきたー」
「あー、回送だったー」

で、「なーんだ」っておもわなくて、「ふざけんな」っておもう社会なんだろうねー。

回送中のバスをみて、「なーんだ。ざんねんー」っておもえるぐらい、ゆるゆるな社会になるといいよねー。
だから、お店の陳列棚でパンがひっくり返ってたら、「あー、パンの背中がみえてるー」ってゆるゆるやり過ごせる人になるのがいちばん。

なんか、いろんなことがもっとゆるゆるでいいんだとおもう。




posted by ぴの at 22:47| オーランド ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

桜ひらひら朧月ひたひた音なき春の音を聴く夜更け

桜がまだ持ってる。
ことしの桜は、おなじ地域でも咲き方がバラバラで、早いのはもうかんぜんに葉っぱだけの新緑の木に変身してるけど、のんびりな木は出てきた葉っぱと一緒に咲きつづけてる花はまだまだきれい。

ゆうべは温暖だとおもう地域の場所の川の桜並木がまだ見事なのを見かけて、ぜんぜん儚くない桜もいいねー、っておもった。

うちの近くに森から離れてたった一本だけぽつんとある桜の木は、いつまでもぜんぜん咲かないから、「いつ咲くのかなー」って通るたびにちらちら見てた。
そしたら、いつのまに葉っぱが出てきて、葉っぱだけの木になって、桜の花は2〜3個だけ満開状態でついてた。
ものすごい暴風の日だったから、満開の花がいくつかまとまってる小枝(花茎?)が、ぱらぱらと地面に落ちてた。
風のせいで花が丸ごと飛ばされちゃったんだー、ってかなしくなってたら。
その次の日、風がなくなって暖かかったら、一日で木全体が花だらけになってた。

ひゃー、24時間も経たないうちにぜんぜん葉っぱしかなかった木がいきなり満開で、ものすごいびっくり。

そんなかんじで、ことしはヘンな気候のせいか、あちこちでイレギュラーな咲き方の桜をたのしめたねー。
散る時期がずれてるから、いろんなところが数日にわたって桜の絨毯になってて、桜が長持ちするとしあわせも長持ち。

花はなんでこんなに華やかで艶やかな姿をしてるんだろう。
いろんな色があって、カタチもいろいろで、こんなにたーくさんの花が咲かなければいけない理由ってなんだろ。

星に生命が生まれたとしても、こんなにたーくさんの種類になる必要もない気がするけど、植物も生物もわけわかんないぐらいに種類が膨大。
ニンゲンだって、いろんな人種がいて、こんなにたくさんの種類で共存する自然の摂理を、生物学的なことには無知なわたしはフシギにおもう。

いろいろとつらいことが重なってるいま、春ギライのわたしはいろんな花に癒されてる。



このまえ、用事で出かけて、通りかかったパスタ専門店でランチしたとき。(ピークタイムはすぎてた)
たった1時間もいないあいだに、いろいろおもしろいことがあった。

ひとりで食べてたら、フロアにいた店員さんがいきなり「シメサバでーす」って声あげて。
「え?シメサバ?パスタ屋さんにシメサバなんてあるの?」って、ちょっとフシギにおもった。
そしたら、また少し経って、「シメサバでーす」って言うから。
まただれかが「シメサバ」頼んでるんだ、って、メニュー開いて「シメサバ」が使われてるお料理を探しちゃった。
マリネになってるサラダみたいなのか、和風のシメサバパスタみたいなのがあるのかなー、って。
でも、鯖なんて使われてるメニューはひとつもなくて、「???」っておもってたら、また店員さんが「シメサバでーす」って言うから、そっち見たら。

「おひとりさま」のお客さんを案内してるとこだった。
あ、「一名さまでーす」って言ってるのが、「シメサバでーす」に聞こえたのかー、って気づいた。

マンガの『あたしンち』でも、みかんのお母さんが美容院に行ったら、店員さんが「しあわせ?」っていきなり言うから、びっくりして「しあわせです」ってこたえようとして。
でも、その店員さん、「いらっしゃいませー」って言ってるだけだったのね。
それ読んだとき、「いらっしゃいませー」が「しあわせー」に聞こえるかなー、っておもったけど、わたし、実際にその体験した。
近所のセブンイレブンに行ったとき、いつも口先だけ愛想がいい(そのくせ感じ悪い)おばさんの店員が、「しあわせー?」ってわたしがはいったタイミングで叫んでたの。
あ、ほんとに「しあわせ」って聞こえるー、って可笑しくなった。

「一名さまでーす」も、「シメサバでーす」に聞こえるよ!
どこかで体験してみてみて。

それから。
そこで食べたあと、帰るまえにトイレにはいった。
そこは女性用と男性用がひとつずつしかなくて、ドアにそれぞれピンクの人型とブルーの人型のプレートがついてる。
ピンク側でわたしはおしっこしてたら、ドアが乱暴にドンドン叩かれて、「はいってますよー」の返答するヒマもないうちにガチャガチャ開けられようとした。
鍵かかってると、外からちゃんと赤く見えるからわかるのに。

なんで中の人を確かめないうちに開けようとする人がいるんだろう、って、いつもドアをガチャガチャする人にうんざりする。

でも、そのときは開かなかったから、そこで待たれちゃうかなー、っておもった。
わたし、トイレのすぐ目の前で待たれるのもキライ。
じぶんが待つときは、席に戻るか、離れたとこで待つようにしてるし。

そしたら、ドアを乱暴にガチャガチャした人は、すぐに隣の男性用にはいってった。
えー、その人の性別はなにー、って、ものすごいナゾになった。
隣は男女兼用じゃないからねー。
わたしが先に出て、隣から出てくる人をなにげに席でちらちら待ってた。
そしたら、出てきたのは50代〜60代ぐらいのおばさんだった。

なんでー。
おばさんはー。
男性用にー。
ためらいなくはいれるのー。

高速のPAや、ものすごい行列ができてたTDLとかでも、すたすた男性用にはいってっちゃう「おばさんたち」って見かけたことなんどもあるけど。
中に男性がいてもはいってっちゃうんだよねー。

そのトイレ事件のあとで。
わたしがお会計でレジに行ったら、ひとりのおばあさんがお会計してた。
「ひとりずつで」って言ってたから、ほかのおばあさんたち(わりと高齢の女性数人のグループ。トイレのおばさんとは別)と一緒のレシートで個別会計をしたかったみたい。
その人がお会計してもらって、わたしがすぐ後ろに並んで。
そのときはほかの人たちはまだ席にいて、トイレに行く人もいたりして騒いでたけど。

わたしの番になったとき、「ちょっと!こっちが先よ!」って、席からぞろぞろレジに来て、わたしの前にはいりこんじゃった。
店員さんが、「こちらのお客さまがお先ですのでー。後ろにお並びくださいー」って言ってくれたけど、「あら。わたしたちのレシート(伝票のこと)はそこでしょ。こっちが先じゃない」っておばあさんたちは主張。
何人もいて、それぞれ個別会計するつもりで、わたしの先にいた人なんてものすごいモタモタお金だしてたから、どれだけ時間かかるんだろー、ってわたし、うんざりした。

店員さんは「個別会計でしたら、こちらのお客さまが先になりますので、それぞれ後ろに順番にお並びください」って、また言ってくれた。
「え?そうなの?」
「おかしいんじゃない?レシートはもう出してるんだから」
「わたしたち、その人(さいしょにお会計してた人)と一緒なのよ」
「まとめてやって頂戴よ」
って、みんなでガヤガヤ騒いで、レジの前からどかないから。
店員さんがものすごい困った顔して、「では、残りのお会計は……」って、ぜんぶまとめた金額を口にした。

そしたら、「ひとりずつにして頂戴よ」って個別会計を言いだして。
「そうよ、そうよ。じぶんが食べた分じゃないと、わかんなくなるわ」って、みんなまた騒いで。
「まとめてやって」って言ったばかりじゃんー、ずるいー、って、わたし、うんざりしてた。

「おひとりさまずつでしたら、やはり、そちらのお客さまがみなさんより先にお並びだったので」って、店員さんはまた言ってくれた。
「あら。そうなの。先にやりたいの。じゃあ、いいわ」
「急いでるんでしょ?じゃあ、譲るわよ」
「若い子はこういうレジ、待てないもんねー」
って、なんかものすごいイヤミを浴びせられて、わたしの後ろに並び直した。

わたし、ここでお礼を言うべき?
って、すごい迷いながら、わたしも困った顔してお財布取りだしたら。
「譲ってあげたんだから、あなた、お礼ぐらいは言わないと。それがマナーよ」って、上品そうなおばあさんに優しく腕を叩かれて、諭された。

え、わたしが譲ってもらったのー?
って、ものすごいモヤモヤして、「わたしが先に並んでたんです」って言い返しちゃった。
店員さんも、おばあさんたちにうんざりしてたみたいで、「こちらのお客さまが順番先なんですよー」って言ってくれた。
「そう。じゃあいいわ。若い人は仕方ないものね」って、上品そうなおばあさんはひきさがった。

お会計をしてもらって出ていくとき、そこにいたおばあさんたちが、「うちの嫁も……」って、いろいろ悪口言ってて、それとわたしを重ねてた。

出てから。
ものすごいモヤモヤが残って。

わたしは、「折れて」、お礼を言って先にお会計するのがよかったのか。
それとも、あの人たちに先にやらせてあげればよかったのか。

「ステキなオトナ」としては、どれが正解だったのー、って、「オトナ検定」の試験問題に悩むきぶん。

わたしは、「若い子はこういうレジ、待てないもんねー」っていうイヤミにカチンときちゃったんだよね。
待てないのはそっちなのに、わたしがここで譲れば、「順番を待てないおバカな若者が年配の人に怒られてそれに渋々従った」みたいな図式になるのが、くやしかったんだとおもう。

でも、わたしが「わたしのほうが順番先なのです」っていうただしさを示したとしても(店員さんもいっしょに)、どうやってもあの人たちには「そうか」って気づいてもらえない。
絶対的にあっちには、わたしが順番を抜こうとしてる、ってしか解釈できてないんだから、わたしがどんなにじぶんのただしさを主張しても、なんの意味もない。

わたしの理想は、「ちがいますよ。わたしが先です。でも、あなたたちに譲りますよ」ってことを上手に伝えれるオトナ。

海外の小説読むと、「自己主張」と「利他主義」を同時に扱えるオトナのキャラクターがたーくさん出てくる。
それに、わたしはすごい憧れる。
でも、そうなるには、わたしにはものすごい難しい。

いろいろ似たようなモヤモヤ事件があるたびに、どういうオトナであるべきだったか、って、じぶんの態度にものすごい悩みながらも、いまだ正解が見つけれてない。
このパスタ屋さんの一件では、相手のイヤミにカチンときてくやしくなった、ってとこが、じぶんの小児的な過ち。
っていうのは、わかるんだけどねー。

やれやれ。(春樹おぢさん風)

たった一時間弱のランチタイムで、「口先接客の空耳事件」と「性別不明トイレ事件」と「順番の正義事件」とたて続けに経験して、なんか人生の深淵をいろいろ覗きこんだきぶんになった。
そういうのは、おもしろいとおもうけど。

きのうの草なぎさんと香取さんのラジオで、草なぎさんが丁度そんな話してた。
どこに行くにも耳栓必須、なんだって。
人が多いとことかだと、人の雑談が耳に入るのがイヤなんだって。
耳に入れば、それでじぶんの思考が生じてきちゃうからって。
人のいろんな話に、じぶんがいろいろかんがえだすのがめんどくさくて、それを防ぐために人の雑談をシャットアウトする耳栓がぜったい必要なんだって。
見ザル聞かザル、がいちばんいい、って。

人の雑談からいろいろかんがえるのがいろんなアイデアのヒントになる、って、創作系の人なんかは言うけど。
かんがえてしまうことに疲れる人、もいて、当然だよねー、っておもった。
なんにもかんがえないでパスタ食べて、トイレでおしっこして、それでお金払って、店を出て歩きだして「あー、おいしかった」って数分だけ余韻があって、それでおしまい、っていう人生のほうが、ほかにかんがえなくちゃいけない大切なことをかんがえる脳の体力が残るよねー、ともおもった。



家族と暮らしてたとき、シャンプーとかトイレットペーパーとか、さいごまで使い切った人が「あたらしいのを補充」しないことに、いつもぷんぷんしてた。

ひとり暮らしするようになったら、そういうぷんぷんから解放される、っておもったけど。

トイレはいったとき、ペーパーのカバーあげたら空のペーパーの芯がついてるだけ、とかわりとしょっちゅう。
使い切ったら、あたらしいペーパーつけとけー、って、このまえトイレはいったじぶんにぷんぷん。

お風呂でも、時間なくて急いでシャワーあびたいのに、シャンプーが空になってたとき。
使い切ったら、その場で詰め替え用補充しとけー、って、このまえシャンプーしたじぶんに激怒する。

ぷんぷんストレスには、家族は関係なかった。
やれやれ。(春樹おぢさん風)

(いまもトイレ行ったら、ペーパーホルダーに芯だけついてた。ぷんぷん)



またラジオの話。
ラジオで聞いた話にいろいろモヤモヤした話。

ゆうべは村山由佳さんの番だったんだけど。
女性リスナーからのメールに、わたし、ちょっときぶんが荒れた。

再婚した人で、それまでは子どもの学校行事には別れた夫も来てたけど、これからは「あたらしいお父さん」との暮らしをだいじにするために、もう別れた夫には来てもらわないほうがいいのかも、っていう悩み。
これの村山さんの応えは、さすが、だった。

そのリスナーの人の気持ちもたてながら、最終的には、子どもの気持ちをいちばん大切に、って言って。
子どもはどういう望みをもってるか、それを聞いてみて、って。

親の離婚と再婚、って、「家族の問題」であるようだけど、結局はその当事者の夫と妻の関係にすぎないよね。
子どもには決定権が与えられてないんだから。

子どもにとっては、「お父さん」「お母さん」は、生まれてからずっと「お父さん」「お母さん」っておもってた人だけ。
「あたらしいお父さん」なんて、再婚する母親が勝手につけた肩書き。

「あたらしいお父さん」も「古いお父さん」もいないんだよ、子どもには。
「お父さん」は、物心ついたときから「お父さん」っておもってた人だけ。

オトナな子どもは、父親や母親が取り替えた「あたらしいお母さん」や「あたらしいお父さん」を、「あたらしい親」と思い込もうとする。
でも、それを親側から押しつける感覚に、わたしはいつもモヤモヤをかんじてた。

子どもの学校行事に、離婚して別居するようになった「お父さん」が来てくれてたなら。
そこで、子どもとお父さんの関係は、親の離婚に関係なく、良好につづいてた、ってことだよね。
なんで、子どもの行事に、子どもにとって赤の他人のオトコが「お父さん」の代わりに来なくちゃいけないの?

そのメールには、別れた夫といまの夫といっしょにお昼を食べるのもどうかとおもう、みたいなことが書かれてたけど。
ふたりの「夫」が同席することにモヤモヤするのは、そのリスナー本人の感情にすぎないじゃん。
じぶんの「まえのオトコ」と「いまのオトコ」が揃った場に「オトコを取り替えたオンナ」のじぶんが居づらいだけ。

子どもに「あたらしいお父さん」になじんでもらいたい気持ちもわかるけど、ほんとのお父さんと逢える機会を奪ってしまっていいとはぜんぜんおもわない。

書くお仕事で知り合った、わたしと同世代の男子から、いろいろそんな話も聞いてた。
小学生のころにお父さんと離婚して、母子家庭で育って。
お母さんはものすごい苦労して働いてくれたのを、その男子もわかってて。
その彼が大学受験期に、お母さんは再婚したんだって。
相手の男性はお金に余裕がある人で、狭い母子家庭のアパート暮らしから、広い一軒家に引っ越すことになって。
その彼とお姉さんの父親代わりになろうとしてくれる優しい人で、大学も私立でもどこでもちゃんと行かせてくれる、って話だったんだって。
18歳になったら、免許取らせてくれて、車も買ってくれたんだって。

でも、彼は「あたらしいお父さん」のお金でじぶんのめんどうみてもらうのがイヤで、大学受験をやめて、高卒で寮があるとこに就職して、ひとり暮らしをはじめたの。
それで、作家になりたくて、わたしと同業者のあつまりに顔だすようになって、わたしとも知り合ったんだけど。

お姉さんは、個室もちゃんともらえた家で「他人のおぢさん」と暮らすのがイヤで、やっぱり寮があるとこに転職してすぐに家を出ちゃったんだって。

「いい人」なんだけど、けっしてじぶんたちの「父親」ではない、親代わりにもなってほしくない、って、その彼は言ってた。
苦労した母親にはしあわせになってほしいから、再婚は反対しないんだって。
でも、そのオトコとじぶんたち子どもは「親子」にも「家族」にもならないって。
お姉さんやじぶんには、お母さんの再婚した相手は赤の他人にすぎないオトコ、だって。

彼はその再婚相手の人のことを「ヒト(他人、の意)」って言うの。
買ってもらった車は結局家に置いて出てきたらしいけど、そのときの車の話をしたときとか。
「ヒトの車」って言い方するのね。
免許取ってすぐ、ヒトの車でちょっとドライブしたけど。みたいに。

オトコとオンナ、が、愛し合って夫婦になるのは自由。
だけど、子どもは、血の繋がらない他人を、「親」とおもえるほうが稀じゃないのかなー、っておもう。

夫婦はもともと他人だから、いくらでも相手を交換できる。
でも、親子は、交換きかない関係だからねー。
こんな親、とおもっても、ずっと死ぬまで親子。
愛してる親、は、別々に暮らしてたって、死別したって、いつまでも「代替できない親」。

親は再婚したなら、その相手は「あたらしいお母さん」「あたらしいお父さん」じゃなくて、「あたらしい家族」として、「子どもの家族」に加えていくしかないじゃん。

子どもの行事には、子どものほんとの親が来ていいとおもうし、「あたらしい配偶者」のほうが遠慮するとか、別れた元配偶者の人と「オトナのつきあい」をするのが、「オトナ」じゃないの、っておもう。

じぶんの親が離婚するだけで、子どもは傷つく。
再婚も、すごい傷つくとおもう。
わたしは、お父さんに「お母さん以外のオンナ」がいるのを知るたびに、お父さんがとられちゃったきぶんになってかなしかった。
お父さんはそっちを選んだんだ、って、傷ついた。

お父さんが他所の女性とのあいだに子どもをつくっても(わたしは異父兄弟・姉妹がものすごいいる!)、じぶんと半分血が繋がってる「きょうだい」なんておもわない。
赤の他人、でしかない。
「おまえのきょうだいだよ」なんて、関係性を押し付けられたくない。

親が勝手に築く「あたらしい家族の関係性」に、子どもも巻き込まないでほしいよねー、っておもう。

お母さんはお父さんと別居してから、ぜんぜんほかの人と恋愛しなかったとはおもえないけど。
その気配すら、わたしや弟には感じさせなかった。
恋愛してもいい、とおもうけど、お母さんがもし「カレシ」をわたしたちに紹介したら、わたしは傷つくか、不快だったとおもう。
それをしなかったお母さんに、ものすごい感謝してる。

もしお父さんとずっと前に離婚して、お母さんが再婚したとしたら、それもわたしはイヤだったとおもう。
やっぱり、じぶんにとって「他人のおぢさん」が家にはいりこんでくるのは、生理的にものすごいイヤだよ。
優しく父親面されても困るし、なんかいろいろイヤな態度を出されたら、もっとイヤになるし。
でも、親が引き入れた他人、を、子どもは排除できない。

親の再婚、って、子どもにとっては、ものすごい重たいものだとおもう。
子どもが自立する力を持つまでは、子どもの気持ちを優先させて、って、親権をとった親にはおもう。

親にもしあわせになる権利はもちろんあるけど、子どもをじぶんの意思でもった時点で、子どもをしあわせにする責任、もあるんだから。
親が離婚したからって、子どもは「片親」になるわけじゃない。
子どもにとって、「両親」は、家族の形態がどんなふうに代わっても、「存在」はするんだから。
親が好きになった他人を、子どもも好きになれるとは限らない。
それを意識して。
ともおもっちゃう。






ロードの新曲、カッコイイ。

わたしも「Green Light」が必要な行先がある。




posted by ぴの at 14:09| オーランド ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

サクラマダ

春がホンキだすはず。
っておもったら、予想外にさむい一週間だった。

お店のコンピュータに出てくる地元の天気予報ではもっと気温が高いはずだったし、東京のラジオでも春本番の陽気みたいってはしゃいでたけど、実際はうちのほうは「さむいー。さむいー」って冬の上着が手放せなかった。
もう売れないよねー、って、廃棄覚悟で仕込んでた肉まんがバカスカ売れた。

この寒さのおかげでぜんぜん桜の開花が進んでない。
こんどの週末はほんとに気温が高くなるみたいだから、そのころがお花見日和かな。

きょうはエイプリルフール。
去年も一昨年もこの日はピグのエイプリルフールイベントをたのしんでたけど、たぶんことしはこのままログインもしないとおもう。
コツコツ課金してたのが1万円ぐらい残ってるんだよねー。
だから、またライフのイベントを課金してやっちゃう、っておもうけど、その時間がぜんぜん見つけれない。

リアル1万円があったらー。
ってかんがえると、ほんと、わたしみたいなギリギリびんぼー人には返金なしの先払い的なシステムって合わない。
電子マネーも一枚でどこででもつかえるわけじゃないから、けっきょく現金でもってるのがいちばん、ってなっちゃう。
電子マネーのいいとこは、いろいろ特典があるとこかな。
コンビニ系の電子マネーを2種類つかってるけど、どっちもコーヒーのタダ券がもらえたりして、そういうお得感は味わってる。



このまえ、計画的万引き、みたいなのにうっかりひっかかった。
ちゃんと気をつけていれば防げたかもしれないけど、ふたりでレジ応対してたのに、ふたりともその場では騙されちゃって。

その人がお店を出ようとしたときに、わたし、「あ!」って、いちぶの商品の支払いがまだなのにき気づいて(いろいろレジ精算を別会計とかにしてめんどくさくさせてたのね)、それが計画的だとも気づいたから、一瞬でお店から飛び出して追いかけた。
あっちも逃げる気満々で、自転車に乗って猛ダッシュ。
それをわたしも必死で「お会計がまだのものがありますー」って叫びながら追いかけた。

もう少しで自転車のうしろを掴めるぐらいまで追いついたけど、逃げられちゃった。

「やられたー」
って、くやしがってお店に戻ったら、いっしょに組んでたバイト男子が「追いかけて捕まえる気だったの?」ってびっくりしてた。
相手はけっこうな巨漢の男性。(巨漢ってコトバじたいが男性限定?)
追いついたところで、逃げる気満々なら、わたしには力ずくではどうすることもできない。
でも、そんなことぜんぜんかんがえてないで追いかけてたからねー。
 
わざとやった、って気づいたから、あたまに血が昇ってた。
冷静だったら追いかけたりはしないで、その場で警察に通報しておしまいにしたのに。
ほんと、追いついたらどうしてたんだろ、わたし。

そのあとは冷静になって、まえにも見かけたお客さんなのを思い出して、その日のそのときのレジ記録をプリントアウトして、店長にカメラ確認を報告。

それとは別件で、またいろいろあった。
お客さんがレジ応対でものすごいクレームつけてきて。
「深夜の女性のレジ」が毎回態度がひどい、って言ってものすごい怒ってきたの。
いま、深夜帯の女性はわたししかいないからねー。(ほかの女性は辞めちゃってる)

「え?わたし?」
ってびっくりして、店長も「え?うちのぴのが?」ってびっくりしたみたい。
接客でそんなひどい態度するはずはないから、っていうぐらいの信頼は、わたしあるから。

でも、そのお客さんは何日の何時ごろ、っていうのははっきりしないんだけど、「数回たてつづけに」ものすごい応対されたんだって。
そのクレームを店長に告げてるとき、わたし出勤してきたから、そこに呼ばれた。

わたしはぜんぜん応対したおぼえがないお客だったから、じぶんがほんとに応対したのかそのお客に確かめちゃった。
そしたら、「うーん。でもたしかー、夜中のオンナの人だからー」って言うから、「夜中の女性はわたししかいないんですよねー」って言ったら、「じゃあ、あなただよ。あなたにひどいことされたからね」って睨んで怒るの。
でも、わたし、ぜーんぜんそんな記憶ないから、(まして「たてつづけ」だったらまったく思いあたらないはずがないし)、「だけど、わたし、お客さまのそのレジ応対したことはないとおもうんですよー」って言ったけど、「でも、あなただったとおもうよ。ああ、あなただよ、あなた」って言い切るの。

だから、店長も「ぴのさんの思い違いってのもあるから」ってわたしを怒って、そのお客さんに謝ってた。
具体的にどんなひどい応対だったかは話してくれてたんだけど、そういうレジの応対じたいをわたし、深夜に受け付けたことなかったから、わたしは「?????」。

どうしても納得いかなくて、その人が帰ったあと、わたしが深夜帯にはいってる日にあの人が来店したことはいちどもない、って店長に言ったの。
でも、「若いオンナの人、って言ってたから、ぴのさんしかいないでしょ」って店長から記憶がないことまで怒られた。

そのお客さんはまたその後に来て、わたしを見つけるなり、「このまえのあなたの態度はほんとにひどいねー。こんどやったら、また店長に言うからねー」ってからんできたから、「お言葉ですが、人違いなさってるとおもうんですよー」って、わたしも言った。

そしたら、「あんただよ。ほら、あんた、このまえは後ろで髪をこーやって(上のほうで)縛ってただろ。髪型変えたからってしらばっくれるんじゃないよ」って、もっと怒られた。

それ、かんぜんにわたしじゃないし。
「わたし、このお店でいちども髪を縛ったことはないから、やっぱり人違いだとおもいます」って言ったら、ものすごい怒って帰ってった。

その後日に「このときだよ!」って、そのレジ応対のときのレシート持ってきた。
それ見たら、人違いどころか、お店違いだった。
「これ、うちのお店じゃないです」って言ったら、「え?」って戸惑って、「あ、ああ。あっちの店かー」って、思いだしたみたい。
うちで失礼なことしたわけじゃなかったからよかった、っておもったら、お客さんも「ごめんごめん」って笑ってくれた。

でも、それで帰ろうとして、そのお客さんが、「でもさー。あんたのとこ、あっちの店とそっくりだろ。それがわるい。店がちがうなら、あっちの店とそっくりにするんじゃないよ。こっちはわるくないよ」って、また怒り直して帰ってった。

おなじ系列だからねー。
看板とかお店の商品とかいろいろぜんぶおなじだもんねー。
うちが真似したわけじゃないからねー。

いろんなクレームがあるねー。
って、おもった('_')



この春はJ-WAVEがものすごい変わった。
いろーんな番組が終わった。
佐藤オオキさんとクリス智子さんの番組も終了。

えーーーーーーー(;_;)

って、ものすごい泣いたら、4月からふたりは別々の番組をもつことになってた♡

佐藤オオキさんは、ショーンKさんの後の枠!
ショーンKさんが追放されちゃってから、あの知的でステキな番組をぜんぜん埋めることができずにいたけど(その後の番組はカラーがちがいすぎて、おなじようなたのしみ方はできなかったんだよね)、この時間帯にまたステキな番組がはじまるのはうれしい。
その担当に佐藤オオキさん、なんて、サイコー。
(ショーンKさんにはいまもぜったい戻ってきてほしいとおもってるけど)

その番組のあとにBOOK BARが移動になってて、土曜日はステキな日になった。

なのにー。
わたしー。
土曜の夜、って、ラジオを聞けないときのほうが多いんだよねー。
(;_;)

平日はジャムの後の番組をいろいろ変えてほしかったのに、それは継続みたい。
あの番組、評判がいいとはおもわないのに、それでも継続するのって、ラジオ局的大人の事情なのかなー。
わたしは平日の夜はJ-WAVE離れ。で、ラジオ難民。

車ではCD聞くことが増えた。



Early Times - LOVE PSYCHEDELICO
Early Times - LOVE PSYCHEDELICO

お母さんのCD。
さいきん、車でCDまるまる聞くようになってハマッてる。

この中にはいってる『Last Smile』の歌詞は、わたしにはとても深い。
いろんな解釈ができるのかもしれないけど、わたしはこれ、自殺した人の歌、だとおもってて。

Last Smile歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65921

このまえ、わたしはゾンビの夢をみた。
人とゾンビの話したあとだったから。
夜に帰宅したじぶんの家で、なんかヘンな違和感があって。
言いようのないこわさをかんじながら、わたし、ベランダのある窓を開けたんだよね。
そしたら、ベランダにたーくさんのゾンビが群がってた。

ぎゃー、って逃げだそうとしたけど。
そこに、叔父さんも、いた。

ゾンビみたいな姿になってて、わたしはそんな叔父さんがこわい、って一瞬おもったけど。
こわがることないじゃん、だって、叔父さんなんだし。
って、おもって。
それから、どんな姿でも叔父さんにまた会えたことがうれしくなって、わたし、泣きながら叔父さんを家にいれてた。

死んじゃった姿でもいいから、またいっしょにいれるのはうれしい、っておもったの。

そしたら、窓の外にいるたーくさんのゾンビだって、それぞれは、「死んだだれか」で、その人を愛してた人がそれぞれいたはず。
なんで人は死ぬと恐怖の存在にされちゃうんだろう、って、ヘンなきもちになった。

死者は敵ではないはずなのに、なんで死んだ人は生きてる人の敵になってしまうの?

人が死ぬとホラーになる、っていう感覚は、どこから来たんだろう。

きょう通った森の中に、お墓があるのを見つけた。
まだ下草が生えてないから奥まで見通せたんだけど。
下草が生える時期には傍の道からは見えないかなー、っていうぐらいの奥のほうに、いくつかのお墓がある墓地ができてた。
たぶん、その森の地主の家のお墓だとおもう。
うちのほうは農家なんかは畑に墓地をもってたりするし。

森の奥にある墓地、って、それだけでホラー的。
っておもいながら通ったけど。
その家の人たちには、その墓地がこわいはずはない。

わたしはお母さんのお墓がこわいなんてことないし。
まったくの他人が、まったくの他人の死者をこわがるだけで、近しい死者、っていうのは、ぜんぜんこわい存在でもないし。
亡霊でもいいから傍にいて、っておもうことだってあるよね。

わたしが小学生のときから知ってる叔父さんの友だちの人が、人は怨みより愛のほうが強いとおもうのに、怨みをもつ霊ばかりが出るのはなぜだろう、って話してたのを思いだす。
現世に執着が強く残るのは、怨みより愛のはずだって。
死んだら、怨んだ人のとこに化けてでるより、愛してた人のそばに現れていいはずだって。

叔父さんが死んだあと、わたしはなんども、叔父さんを見た。
「そこに立ってる」の。
死んでしまった人のように、無表情でなにも言わなかったけど。
わたしは、こわくなかった。
それより、ずっといつも現れて、っておもった。

あれは霊なんかじゃなくて、わたしの執着が生んだ幻覚だと、わたしの理性はそう解釈してる。
執着で「また会える」なら、いくらでも死んだ人に執着したいよ。

そんなふうに、執着はうまくコントロールなんてできないけど。

お母さんが、死んだ人が遺すものは「罪悪感」だ、って言ったことがある。
しあわせな死、というものを、かんがえる。
しあわせに死ぬことばかりでなく。
しあわせに死なせる、ということ、も。

死んだ人が遺すものは、いろんな「悔い」だ。
その「悔い」は、「愛」でもあるね。

死んだ人をこわがる、という、愛とは相反する感情は、なぜありがちなコンテンツになってるんだろう。



CDショップでこれを見つけて、買っちゃった。

A LONG VACATION - 大滝詠一
A LONG VACATION - 大滝詠一

ナイアガラフリークを自称するお父さんが持ってたから、わたしも子どものときから知ってる。
でも、アルバムぜんぶをおぼえてるわけじゃない。

さいきん、ラジオでときどき『君は天然色』がかかるようになって。
(昔の曲ほど公式動画があるといいのにね)

そのたびに「あ♡ いい曲♡」っておもって、音源が欲しかったの。
ラジオであるアーティストのあるクリスマスソングがかかって。(名称伏せるけど)
それがあんまり『君は天然色』にそっくりだからびっくりしたけど、そもそもそのタイトルじたいが大瀧詠一さんの有名曲のフレーズに酷似してるよね。

っておもうぐらいの知識がわたしにあったのは、お父さんのおかげだとおもう。

親からの文化的継承、って、いろいろおおきいよねー。
って、おなじく親のシュミをいろいろ受け継いでじぶんのシュミに溶け込ましてる友だちと、いつも言う。
(その友だちも、ブルーノ・マーズの新曲が「ミッキー・マニア」に聞こえる、って言ってたし。わたしたち、ディズニーフリークの親を持ったおかげ)

でも、もし、じぶんが子どもを持ったら。
その子には、じぶんのなにが引き継がれるんだろう。
人からの受け売りばかりなわたしは、じぶん自身が取りこんでじぶんのものにした文化なんて、なにかあるのかな。

話は買ったCDに戻すけど。

このジャケットは、ツイッターでも繋がっていただいてるイラストレーターの永井博さんのイラスト。
お父さんはこれのレコードを持ってるから、お父さんギャラリーにはこのレコードジャケットが飾られてて(お父さんは永井博さんを「神!」と崇めてる)、わたしはそれを見ながら育った。

あらためてこのCDをぜんぶ聞いたけど。
やっぱり『君は天然色』はすごいカッコイイ。
お父さんは『FUN×4』が大好き。
(これはビーチボーイズのFun Fun Funが元ネタ)

わたしはそれと『恋するカレン』がいい曲だよねー、っておもって聞いてた。
これは、失恋した男子の切ない歌。

……だとおもってたら、歌詞をちゃんと聞いてたら、これ、とんでもない男子の歌じゃんー。

恋するカレン歌詞:
http://www.kasi-time.com/item-12850.html

ふられちゃったぼくはじぶんの片想いをかなしがってたけど。
その後半。
彼女が選んだオトコには価値がないようなこと言って、そんなオトコをじぶんより選んだ彼女を、ふられたじぶんより哀しいオンナ、とか言ってるー。

やだ。
こんなオトコ。
こんな思考、こわい。

っていうか、じぶんのおもいどおりにならなかった途端、それまで崇めてたものを貶める思考は、
ぜ ん ぜ ん 愛 じ ゃ な い
から。

カレンさんはこんなオトコふって大正解!

なんて突っ込みいれながら聞いちゃった('_')

恋愛ってほんと、めんどくさい。
ふっただけで、いろいろ恨まれる。
それでも、じぶんが好きな相手以外からも広くモテたがる思考が、わたしにはわかんない。

好きな人の愛だけあれば充分じゃん。
好きでもない、それ以外の愛をどんなに集めたって、じぶんが愛するよろこび、は味わえない。

じぶんが愛してるなら、その相手がじぶんを愛さないからって、恨む必要もないじゃん。
ただ、かなしめばいいだけ。
逆恨みっていうのは、じぶんの欲望を満たしたかっただけ、ってこと。
じぶんの欲望が果たせなかったことがくやしいだけ。
そんなの、少しも愛じゃないじゃん。

欲望は、「愛」にくっついたりするものだけど、「愛」とはイコール、じゃないから。



ラジオで村山由佳さんが、「合格」のことを「桜咲く(サクラサク)」、「不合格」のことを「桜散る(サクラチル)」とも表現する話をしてた。

日本語って、そういう言い換えがいろいろステキ。


posted by ぴの at 21:11| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする