2017年02月25日

take a bow

まいにちまいにちまいにちまいにち乾いた風がつよすぎて、窓を1ミリも開けれない。
昼間の外は換気するのにきもちがいい気温だから、できれば小窓なんかは開けっぱなしにしておきたいのに。
窓をちゃんと閉めてても、畑のこまかい土がはいりこんできて、ざらざらする。

さいきんはにわか雪、がおおい。
気づくと雨じゃなくて雪が降ってるの。
フロントガラスが濡れたり、車の屋根に雪のつぶがつぶつぶ積もったり。
夜中なんかは1時間ぐらい降っただけで、畑が真っ白になる。

だけど、すぐに雪はやんで消えて、すぐに地表は乾いて、風が吹くたびに湿ってたはずの土がさらさら舞い上がりだす。
夜中でも道を走ると、対向車のライトが照らしてる範囲が茶色のスモーク状になってて、昼も夜も一日中空気がひどいことになってる。

真夏のゲリラ豪雨がいま、季節の神さまのうっかりミスで一回ぐらい襲ってくればいいのに。



プレミアムフライデーがなんなのか、やっとさっきわかった。
会社勤めの人は早く帰れるとしても、それでいろいろお金をつかってもらうとしても。
そのお金をつかってもらう側の仕事の人たちには、プレミアムな金曜日ってぜーんぜん関係ないじゃん。
経営者の利益はあがるのかもしれないけど、底辺時給ではたらいてるブラックサービス業の非正規労働者なんて、なんの得もないよね。

仕事から解放される時間を増やして、どんどん遊んでお金をつかってもらう。
っていう政策がとられるたびに、そういう人たちが遊ぶ場所ではたらく人たちにはなんの恩恵があるんだろう、ってフシギなきもちになる。

サービス業の非正規には、「週末」なんてぜんぜんうれしくないよ。
コンビニなんて日曜祝日割増時給制度すらないし。

原稿だってー。
会社勤めの編集者さんは、週末とか連休とかは、「休みまえ」に「休み明け」シメキリの仕事をくれる。
じぶんたちが休んでるあいだ、書く人は書くお仕事をする。
休日執筆割増原稿料制度、法律でつくってー。



いろいろと人がいなさすぎるようになったわたしのバイト先のお店。
シフトがものすごいことになってて、それは店長の自業自得だからあんまり同情もしないで、「おもしろいことになったなー」っていう黒いきもちで見てたけど。

もうこの業界、まともな日本語が通じてまともな常識をもってるまともな人(日本人じゃなくてもOK)でシフトをきちんと埋める、ってことは100%不可能なんだとおもう。
じゃあ、仕事できなかったり、常識がなかったり、日本語がカタコトすぎる外国人だとしても、とにかく出勤してきて退勤時間まで店内にいてくれればいい、っていう妥協をしても。
そういうのも、もう難しい時代なんだとおもう。

きちんとシフトが埋まらない。
リアルネコの手を借りるしかないぐらいに、「ニンゲン」だけではシフト埋めれない。

都内で見かけたある店舗(コンビニじゃない)は、人手不足なので週に何日かお休みします、って貼り紙がしてた。
コンビニは契約でお店を閉める時間をつくれないから、まえに書いたことあるけど、人手不足なのでレジを待たせる、って書いてあったとこもある。
ワンオペでまわしてる系列もみる。(その系列はいいのかな)

うちのお店はいろいろありすぎて、「かろうじて最低限の仕事ができる人」だけで営業がなりたたない状態になって、仕事がほとんどできない人(能力がひくいんじゃなくて、意識がひくい人ばかり)でシフトを埋めなくちゃいけなくなって、店内のいろいろがものすごいひどいことに陥ってる。
店長と店長代理と店長一族の(ぜんぜんつかえない)高齢の身内で「ぜんぜん埋まらないシフトのコマ」を埋めてたら、その人たちの健康被害がでるレベルになった。

仕方ないから、シフトを減らしたかったわたしもヘルプ側にまわるようになったけど、そんなことじゃなんにも改善されない。
しかも、「仕事の意識が最大限にひくい人」たちのシフトの日には納品を制限して、わたしのシフトの日に集中的に発注かけるようになったから、わたし、作業を最小限にしてもらってるほかの人たちとおなじ時給っていうのが死ぬほどバカらしくなってる。

こうなると、ほんとに、職場は崩壊してくね。
いままで、いろいろこのバイトのグチとか文句とか書いてきたけど、そういうレベルとぜんぜんちがう。
ステージがちがう、っていうかんじ。

ホログラムおぢさんは、こんな状況に陥ってる「お店の危機」がぜんぜん理解できなくて、あいかわらずのんびり意識ひくいままはたらいてるけど、店長と組む日が増えたから、そのストレスがたまってるみたいで、わたしへの暴言や態度がものすごいひどいことになった。

あんまりひどいから、わたし、ついに反撃にでた。
信じれないぐらいの暴言を吐きつづけてとまらないおぢさんに、ずっと黙って仕事してたけど、いきなりわたし、(店内にだれもお客さんいなかったから)、レジカウンターに金属のトレイを「バーン!!!!」と叩きつけて。
「いい加減わたしも言い返しますよ!わたしと喧嘩しますか!?わたし、口喧嘩はつよいですよ!」
って、吼えた。
ほんとに、吼えた。

そしたら、おぢさん。
一瞬で黙った。

わたし、じぶんの口調のきつさにびっくりした。
って、じぶんがすごいイヤになったけど、なんか威圧的な言い返しをしないと気が済まないぐらいの沸点に達してた。

その日はそれからふたりして、一言も口きかないで黙々はたらいた。
(はたらいたのはわたしだけ。おぢさんはふてくされて、レジで仁王立ちしてただけ)

その次にまた組んだとき。
こんどはおぢさんが反撃してきた。
なんかいきなり、「このまえのことだけど。こっちがなんかしたわけじゃないのに、アンタ育ちがわるいね。どんな親に育てられたんだか」って、ずーっとくどくどからんできた。

だからわたし、ちらっとおぢさん見て、「わたしの生い立ちが今夜の仕事にどんな関係がありますか」って、こんどは大声にならないように、ものすごい感情のない声で抑揚なくぼそっと言い返して、それきりじぶんの仕事を黙々した。
そしたら、ずーっとぶつぶつ、わたしの親の顔がみたいとか、いろいろからみ続けてきたから、わたし、うちの菩提寺をおしえた。
そこのお墓にお母さんがいるので、そこに会いにいってください、って。

そしたら、次のシフトのとき、「アンタは長生きできるよ。性格がきついオンナってのは長生きするんだよ。アンタのお母さんはやさしかったんだね。だから早死にしたんだね。そのぶん、アンタは長生きしなさいよ」って背中をパタパタ叩かれて励まされた。
('_')

このおぢさん、やさしいときと暴言のときと極端すぎて、ほんと、わかんない。

店長ともすごい喧嘩した。
シフトの穴埋め地獄がすごすぎて、ものすごい疲れ果ててきてるのはわかってたけどねー。
ある頃から、だんだん不機嫌になって。
わたしにだけじゃなかったけど、わたしと組んだある日、一気に八つ当たりみたいに不機嫌をぜんぶぶつけられた。

店長が疲れきって、通常なら40分ぐらいで終わる納品作業が、40分経っても「え?まだこれだけ?」ってぐらいしか進んでなかったから。
わたし、店長がやばいぐらいに疲れてる、っておもったから、じぶんの作業は後回しにしてそっち手伝って、店長に休憩はいってもらおうとしたら。
じぶんの仕事をなにさぼってんだ、って、ものすごい形相で怒鳴られてびっくりした。

じぶんのは後で充分間にあうから、って言ったら(ほんとに余裕で間にあうの)、そうやっていつもやってないじゃないか、って怒鳴られまくった。
「は?わたしが?わたしはいつもぜんぶやってますよ。やってないのはほかの人だとおもいます」って、わたしもやっと口をはさむように言い返した。
そしたら、「ほかの人は関係ない。じぶんの仕事をきちんとやれと言ってるんだ!」って、ものすごい喚き散らしてきて、ものすごいこわくなった。
(このときもお客さんはぜんぜんいなかったけど)

わたし、じぶんの作業残して帰ったこといちどもないです、って言ったけど。
やってないのをこっちは確認してるんだ、口応えするな、ちゃんと仕事しろ、って怒鳴られまくったから。

ほんとにわたしがやってないって確認したんですか?
って、わたし、ものすごい醒めた口調で返してから、「そんな言いがかりで怒られるなら、わたしもここ、辞めます。こんなにシフトの穴埋めの協力してるのに、バカバカしい」って言い返した。
「今度のシフト、出しません」って、次のシフトを出す時期だったから、そう言ったら。
そんなすぐに辞めれるわけないだろ、って怒られたから、「じゃあ、次のシフトからぜんぶの日を出れない、って出します」って言い返した。

そしたら「そういう話じゃないだろ」って言って、それから、「ぴのさんじゃないのはわかってるんだけど、みんな、いい加減な仕事するから、ぴのさんについ当たっちゃったよ」って謝ってきた。

「店長、疲れすぎてるんですよ。あとはわたしがぜんぶやれるから、休憩しててください」って言って、そんな休んでられない、って言い返してたけど、ムリヤリ店長を休憩に入れた。
それで一時間ぐらいで出てきたから、もっと休んでてください、って言って、そんなわけにいかない、っていうから、疲れて八つ当たりされるのイヤだからわたしのシフトの日は休憩たくさんとってください、って、わたしもきつい口調で言い返した。
だって店長、何時間はたらくのー、っていうぐらい、シフトはいりっぱなしだからねー。

それで、店長にできるだけ休憩とらせて、わたしはフツーにはたらいて、それから、ほかの日の店長の地獄のシフトをいくつかかわってあげた。
「疲れてるのわかるけど、八つ当たりされるの、すごいイヤです。こっちもどっと疲れます」
って文句を言ったら、「ちょっと寝不足すぎてイライラしてた。ごめん」って謝ってくれたから、それで店長とはフツーに戻った。
店長代理から、そのあとで、「まさか、ぴのさん、辞めないよね。こんなときに辞めないよね」ってものすごいきつく言われた。
店長代理とも関係がこじれてたから、ふたりの対話ってさいきん、いろいろ喧嘩っぽいんだけど。

「こんなに人がいないときには辞めないつもりですよ。いちおう、雇ってもらってお世話になったから。でも、あんまり不機嫌ぶつけられると、わたしもバカバカしくなります。そしたら辞めるかも」ってぐらいは言い返した。

そしたら「そうだよねー。さいきん、わたしもぴのさんに当たりすぎてるって反省することおおいんだよねー。でも、ぴのさん、言い返すようになったから良かったとおもって。これからも喧嘩していいから、言いたいことは言い返して、それでなんとかお店支えていこうよ」って店長代理に言われた。

職場がものすごいブラック状態になると、ふわふわした性格で穏やかににこにこはたらきつづける、なんてできないねー。
イライラしてくる人と、こっちも負けずに戦うようになって、こんなじぶんイヤ、っておもいながら、でも、ほんとに雇ってもらったこととか、いろいろお世話になったことはあるから、職場の危機をじぶんの感情だけで切り捨てれない。
そうやってブラックに取りこまれていくのかもしれないけど、わたし、じぶんがどんどんふてぶてしくなっていくのが可笑しい気もある。

辞めればいいのにね、こんなバイト。
でも、文句言いながらも、ぜんぜん辞めない。
辞めても、次にまた同系列の他店舗ではたらいてる。
バカみたい。わたし。

なんで辞めないんだろ。

いろんな常連さんとおしゃべりするのがたのしいから?
お店をいろいろ変わってきて、常連さんも変わってきてるけど。
わたしがいまのとこで働いてるの知った、まえのお店の常連さんが、わざわざ来てくれたりもする。

わたし、いま辞めないのは。
いつでもこのバイト、辞めることはできるから、だとおもう。
経済的に、いちおう、このバイトしなくても、生活はなりたつようにはなったから。

いつでも辞めてやれる、っていう強気が維持できるから、なんとなくじぶんに余裕が生まれるのかな。

いろんな人と言いあいすると、こころがすさむ。
わたしは性格がよくなくても、人といつもあらそう状態にじぶんを置くのは苦手。
だから、対人関係でこころがすさむようなことがあると、もう辞めてやる、っておもう。

だけど。
わたしもこうやって、壊れていくんだろうね。
じぶんのこころのだいじなぶぶんを強酸で溶かしていくみたいに、どろどろした場所から逃げ出さない。

人って、わたしにとってものすごいキライなぶぶんがたーくさんあったとしても。
ちょっとだけ、その人のやさしさみたいなカケラを見ちゃったとき。
そのやさしさがじぶんに向けられたわけでもなくても、「あ、この人の中にこういうやさしさもあるんだ」って見えたとき。
それが、錯覚だとしても。

この人はわるい人ではない、っておもっちゃう。
その、ちらっと見えたやさしさみたいなものを、わたしはじぶんの中に僅かにある「善意」をかきあつめて、きれいなこころで向き合わなくちゃいけないきぶんになる。

そういうじぶんを、いちばんバカらしいとおもうけど。
わたし、すごいキライな人の「少しはいいぶぶん」を見つけると、じぶんがまともなきもちになれるのかもしれない。
じぶんの理性みたいなものに陶酔できるのかもしれない。

けっきょく、わたし、じぶんを少しでもまともなニンゲンのふりすることをやめれない。








出先で流れてるのを歩きながら聞いてて、これもうっとりするようなきれいな曲、っておもった。
この歌詞は聞いてるだけで、わたしにもわかる。
ものすごいわかりやすい(易しい)英語、ってことなのかなー。

わたしも華麗にお辞儀して職場を華麗に去りたい。
人生からも華麗にお辞儀して「さよなら」と言って、華麗に去りたい。



 
posted by ぴの at 19:47| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

月光が落ちてこない夜

集中して書きたい仕事があったから、ぜんぜん文体がちがうブログとか書くのはキケンな気がして、遊びのネットはかんぜんに断ってた。

じぶんがこういう仕事をするようになると、「できあがった作品」より、それを創り上げるまでの「メイキング」のほうに興味が湧く。
同業の人たちといろいろ仲よくしてもらって、いろいろ飲んだりするけど。
意外に、じぶんが手掛けた仕事のメイキング話、ってしないんだよねー。
「全体公開」的なエピソードはいろいろ聞いたりするけど。
そこでは語ってもらえないぶぶんの創作秘話、みたいなの。
企業秘密、ってことなのかな?

この人がなんでこの仕事を、ってとこを知りたくても、どうしてその仕事をゲットしたか、って、案外「ほんとの話」はしてもらえない。
仕事のグチとか、プライベートなこととか、そういうのはお互いに突っ込んだ話ができるようになったとしても、「ここはだれにも公開しない」っていう鍵の領域を、だれもみんな持ってる。

おなじ書くお仕事をする人たちといろいろ知りあって、ものすごい好きになる人、っていうのが何人かいる。
ほとんどはわたしより年上の女性なんだけど、セクハラ的なことをまったくしてこない年上男性の人もいる。

そういう「好きな人たち」と集まって、たのしい時間をわいわい過ごすと。
この仕事をしてよかったなー、っておもう。

でも。
わたしがこの仕事を辞めたら、わたしはもうここに混ぜてもらえないんだ、ともおもう。
そんなこと関係なく個人的につきあってくれる人もいるかもしれないけど、少なくとも「同業の仲間同士の集まり」にはもう呼ばれない。

仕事をしてるから、声がかかる。
仕事をしてるから、知らない人からも話しかけられる。
仕事をしてるから、初対面でもすぐにわいわい盛り上がれる。

仕事の繋がり、って、その仕事をしてる、ってことが基盤だから、繋がっているあいだはとても頼もしくてありがたいものだけど、その世界からじぶんが離脱してしまった瞬間、消えてしまう世界だなー、っておもう。
そんな儚く脆い世界を、なぜ人は必要としたり、それをだいじにしてしまうんだろう。

脆いものだからだいじにする、っていうかんがえもあるけれど。
じぶんが「なにもの」っていう属性を変えた途端に断ち切れてしまう世界に、じぶんが生涯つきあおうとする必要はない。

こちらも、じぶんが「ちがう場所」に拠点を移すたびに、世界を変える。
それぐらいの割り切りが、じぶんを自由にする。

なにがあっても繋がっていれる人、というのは、わたしでも何人かは思いつく。
だけど、それは「属性」がちがうぐらいでは断ち切れない、という絆ではあるけれど、わたし自身が変わってしまったら、そこにはなんの保障もない。

わたしが読んでるあるブログの人は、躁鬱をかかえてるらしくて、躁転したときに人が離れていくことを書いてた。
わたしが身近のだれにもじぶんがウツなのを話さないのも、メンタルの問題は他人にはシェアしきれない重さがあるとおもうから。

メンタルなものに限らないね。
わたしのやっかいな病気のことも、人に打ち明けたところで、人は困惑しちゃうとおもうから。
優しい人ほど、こころを痛めてくれるとおもうから。

わたしは人前ではなるべく理性的にふるまって、ヒステリーも起こさないし、愛想はよくなくても不機嫌にはならないし、人に迷惑かけないような思考を捨てきれない。
だから、「離れていかない人」はまだいる。
「まだ」というだけ。

わたしが「人が変わったように」変わってしまったら、いま離れていかない人たちだって離れてしまうとおもう。

孤独を味方にする、っていうのは、「離れてしまう人」にいちいち執着しなくて済む、ということ。
いつかわたし、この輪にいれなくなるときがくるかもしれない、ってかんじるとき。
その輪にいるあいだは、たのしい時間のシェアを「たのしい」とかんじるし、それと同時に、「それがなくなっても構わない」という冷めたじぶんも育ってる。

書くお仕事をしてると、依頼がきたとき、それを引きうけることで、ある種の世界へのパスポートを更新するきぶんになる。
いつか、「もう書くお仕事はいいや」っておもったとき、わたしのそのパスポートは効力を失う。
わたしにはアクセスできない世界ができる。
そこに、それまではじぶんがどれだけ気侭に存在できたとしても。



宇多田ヒカルさんの『letters』って曲を、このまえ、どこかでなんとなく耳にした。
お母さんがもってたCDにも入ってたから、この曲は知ってる。
いい曲だなー、って、なんとなく、わたしはおもってた。

このまえ、ひさしぶりにこの曲を耳にしたときは、いろいろ歌詞についてかんがえた。

「キミ」はいつも置手紙を置いてふらっと放浪してしまう旅人みたいな人。
そういう「キミ」を待つ恋愛に疲れて、「ひとりでもだいじょうぶ」っていう確信はまだ持てないけど、「キミ」をもう待つ暮らしはやめることにした。
そういう、これも失恋、の歌。

わたしはそうおもったから。
「キミ」はそんなふうに気侭に生きてても、必ず帰るって言えば置き去りにした恋人に安心を与えてるとおもって、そんなじぶんを待ってて「おかえり」って言ってくれる恋人の存在を疑わない子どもじみた人、っておもった。
そういう恋愛は、片方だけがオトナにならなくちゃつづけれないから、オトナ役を押し付けられたほうは疲れるねー、って。

そんな「キミ」から離れる決意がついてよかったねー、って。

でも。

この歌、恋愛ソングじゃなくて、お母さんのこと歌ってるんだよ、って、人から聞いた。

その真偽はほんとのところはわかんないけど、宇多田ヒカルさんの親子の話は芸能ニュースみたいなのでなんとなく入ってくる情報もいろいろあったから、「そーだったんだー」って、そのまま納得しちゃって。

それから、これが入ってるCD探し出して、これは「彼女のお母さんの歌」っておもいながらなんどか聞いた。

そうすると、なんかじぶんの感情がいろいろリンクした。
それで、涙がぽろぽろ出た。

わたしのお母さんは、お父さんがわたしたち子どもを捨てたあとでも、ずっと子どものそばで生きてた。
だけど、お母さんのこころまでが、わたしのそばにいたのは幻想だった、ってわかった出来事があって。
弟のそばにはお母さんのこころはずっとあったけど、わたしからはお母さんのこころはとっくに離れてた。

それを知ってから、わたしもお母さんから離れることにした。
こころを、お母さんから離そうとして、わたしにはもうお母さんは必要ない、ってことにじぶんの軌道修正をした。

わたしも、「ひとりでもだいじょうぶ」なじぶんにしてった。

それなのに、お母さんは治らない病気になって、わたしはまたお母さんの娘、に戻った。
最期の数か月は、お母さんとわたし、いい関係だったとおもう。
それで、お母さんは息をひきとる瞬間、わたしと手を繋いでて、最期にぎゅっとその手、つよく握って、その力がふっとほどけて、それで死んだ。

お母さんの最期に、お母さんの死を見届けたのは、弟じゃなくてわたし、だった。

ずるい、とおもう。
こういう運命に。

わたしはお母さんから離れることができなかった。
わたしは傷ついたはずだったのに、その傷をさいごまで、親に「わたし、傷ついたよ!親のせいだよ!」なんて言えない子どもの役をやめれなかった。
お母さんを失ったあとのお父さんの壊れ方みてると「なんでいまさら。生きてるあいだのお母さんをぜんぜんしあわせにしなかったくせに」って死ぬほどなじりたい。
でも、そういうことをすると、お父さんが傷つくから、わたしは言えない。

わたしは「お父さん、いまさら、お父さん面して、わたしたちとかなしみを共有しないでよ!」って言いたいけど、そんなことはたぶん、死ぬまでぜったい言えない。

わたしは親から離れて、「遠くにいるけど、親のしあわせは願っているからね」っていう子どもになりたかった。
そういうきれいな子どもにも、わたしはなれなかった。

お母さんが死んで、ほんとにかなしくて、さみしくて。
なんで、じぶんがさみしがってるのか、じぶんがわかんない。
わたしがお母さんを失ったのは、もっとそのまえだったはず。
わたしはとても傷ついて、そのじぶんを必死で立て直した。

なんで、そのじぶんが、またお母さんを失って、メソメソ泣いてるの?
なんで、こんなにわけわかんない喪失感に襲われて、その喪失に怯えて、じぶんのこころからなにもかも元気を消失させちゃってるの?

お父さん、お母さん、わたしを愛したふりをしないで。
愛してなかったなら、死ぬまでそういう態度をちゃんと貫いて。
親の義務と愛をごっちゃにして、それをわたしに「親の愛」に見せかけないで。

そういう、地団駄踏みながら泣きわめきたかったじぶんの小児的な衝動も、もう爆発する火口を塞がれて、死火山みたいに沈黙する。

わたしはどんな手紙もいらない。
だれから、も。

どんなきれいなコトバが書かれていても。
それが愛のコトバにみえても。
そういうものを書き連ねたものを、わたしを傷つけないように、なんていうこころでパッケージして、わたしに受け取らせて、わたしにそれをありがたがらせる。
そして、わたしをだいじに扱ったつもりになって、わたしから離れる。
そんな手紙は、生涯、だれからももらいたくない。



月のある夜は、海がキラキラ光る。
そういう光景をなんども見たから、わたしは、月光ってぜったい暗い海にキラキラした光の破片を落とすものなんだとおもってた。

でも、そうじゃないことを知って、ちょっと衝撃だった。

このまえの満月の晩。
あんなにまんまるのおおきな月が夜空の真上にぷかぷか浮かんでるのに、その真下に広がる海は一辺の光も落ちてなくて真っ暗だった。

あのまんまるなお月さまはどこを照らしてるの?
海は真上に満月が出てるのを気づいてないみたいに、目をこらさないとそこに海があるのもわかんないぐらいの真っ暗。

どうして?
って、すごいナゾ。

いつもただの真っ暗な闇がひろがってるようにしかおもえなかった崖の下が、月灯りでものすごい岩場の海になってるのをはっきり見たこともある。
月光、ってすごい、っておもったのに。

月灯りで夜でも影ができることも、わたしは知ってる。

それなのに、あの晩はなんで、海が少しもキラキラ光ってなかったんだろ。
真上の満月の月灯りが、地上のどこにも反映されてないかんじ。

だれか科学的に説明してー、って、ホンキでおもった。

なぜ、満月が海面を照らす月夜とぜんぜん照らさない月夜があるの?

その夜の地表は、月光をぜんぶ吸いとっちゃう闇に襲われてた。
いつもの夜の闇と区別がつかない人たちにはぜんぜん気づかれていなかったが、その夜の闇はじわじわと地表の光を喰い尽くして光のない世界を拡げていたのだ。

なんていう、ディーン・R・クーンツ的なホラー解説はじぶんでもおもいついた。
わたしが知りたいのは、もっとちゃんとした科学的な解説。



このまえ、村山由佳さんのラジオで流れてて、なんて美しい曲なんだろう、ってうっとり聞いちゃった。
こころがおかしくなってるわたしには、この歌詞は、じぶんに語りかけられてるみたい。



このMVもステキ。
とくに、ふたりがポスターに落書きするとこ!



posted by ぴの at 14:17| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

いまどきのわたし

シーサーブログが新バージョンにかんぜん移行するんだって。
いままでは選べたから、旧式を選んでたけど。
あたらしいのになったら、わたしのぱそこんでつかえるのか、ドキドキ。

はてなはつかえなくなっちゃったから。
ぱそこんを買い換えればだいじょうぶになるだろうけど、まだこれが動いてるうちは買い換えない。

つかえるものを、あたらしいものに買い替えるのが、わたしはものすごいめんどくさい。
だから、壊れるまでつかいつづけてると、予想してたより長くつかえてしまうものがおおい。
買い換えてたら、こんなに長くつかえてたものを捨てたことになってた、ってもったいなくおもう。

壊れるまでつかって、それのほんとの寿命というのを知るのも、びんぼーのおかげ。
お金があったら、あたらしいものの誕生には敏感だけど、それの死を知らずに生きれてしまう。



西のほうは雪でタイヘンなことになってるらしいこの週末。
わたしんちのほうはぴーかん。
このまえの雪も、金田一耕助おぢさんのフケみたいな雪が一日中パラパラ降りつづけてたけど、地面はうっすらも白くならなかった。
ぜんぜん積もらない雪がせっせと降る。
わたしみたいにむなしい雪。

空気がつめたい日もおおいけど、その空気はもうかんぜんな冬じゃなくなってる。
春が紛れ込んできて、がっかりする。



お寺さんと一周忌の日を決め、いまから親戚に連絡しておく。
すごいね。
春になったら、もう一年経つんだ。
時間は、手元に置いときたい記憶もどんどん過去へ押し流す。

お父さんは、お母さんのこと連絡した日から、ツイッターがとまってる。

春はイヤ。
わたしにはかなしい記憶ばかり、積み重なってる。



いまどきの子は感覚がぜんぜんちがう。

っていうことを、じぶんよりずっと上の世代の人がいろいろ言うのを聞いてきた。
じぶんが10代のころは、「いまどきの子」にじぶんも含まれているとおもって、じぶんのこと言われてるような気がしてたけど。
いまの年齢は微妙。

親世代の人からは、わたしは「子世代」になるのだから、「いまどきの子」にはいるのかな。
でも、もういい年をしたオトナの年齢ではあるから、いまはもうはいらない気がする。
かといって、「いまどきの子は」っていう批判に、「うんうん」って同調するオトナ側にもはいれない気がするから、わたしの年齢ってどんな属性なんだろ。

なーんておもってたけど。

「いまどきの子はー、わかんないー」
って、おもうようなことが、あった。
バイト先で。

二十歳前後ぐらいな年の女子。
まだ10代かも。
わたしよりはぜったいぜったい年下。

そんなお客さんが数人で来て、まずひとり、カゴにいろいろお菓子とかドリンクとかいれてレジに来て。
レジに立ってから、カゴから商品を取りだして、左右に分けて置いて。
わたしがスキャンするやつ持ってたら、
「こっち」
って、片方のほうを指すから、そっちに取り分けた商品をスキャンしだした。
「こちらのは、お会計を別になさいますか?」
って、わたしが反対側に取り分けたほうの商品について聞いたら。

「それは買わないから」
って、一言。

「は?」
って、一瞬声だしかけて、「あ、これはやっぱり要らないってことなのかー」って理解して、余計なことは言わずに「はい」って言って。
スキャンした商品のお代をいただいて、袋に詰めたら、その人は買わない商品にはもうなにも言わないでレジから去ってった。

「すみません。これ、やっぱり買いません」
っていうコトバが、わたしなら出てくる感覚があるから、なんかちょっと違和感はあった。

そしたら、その女子といっしょに来たほかの同じ年齢ぐらいの女子のお客さんも、いろいろ入れたカゴの商品を、レジで左右に分けて。
「こっち打って」
って、買うほうさして。
「こちらのほうはお会計別になさいますか?」
っていちおう聞いてみたら、
「それは買わないんで」
って言われた。

「?」

とりあえずいろいろカゴに入れて、レジで買うもの決めて、あとはいらない、ってことなのかなー。

それでもいいんだけど。

わたしだったら、やっぱり買わない、っておもったものは、レジに来るまえに戻してくるけど。
その女子のお客さんグループ、ぜんいんが、おなじことをしたので、
「いまどきの子って、そういうもんなのー」
って、おもった。

「いまどきの子は、わたしたちとちがうー」
って、おもった。
すごいオバサンになった気がした。

でも、これからの若い「いまどきの子」がみんな、こういう買い物するようになったら。
レジには商品返却係が必要になるー。



わたし自身が買い物にでかけたとき。
そばにいた親子連れの会話が自然に聞こえてきて。

幼稚園か小学生かどっちかぐらいの年にみえる男の子とお母さん。
男の子が、「○○ちゃんのお母さんは美人。●●ちゃんのお母さんは美人じゃない」、って、友だちのお母さんの美人判定してた。
こんなちっさいのに、友だちのお母さんの美貌くらべなんてしちゃうんだー、って、わたし、つい「オトコの本能はー」って呆れたきぶんで可笑しくなって聞いてたら。

その子のお母さんが「あら、●●ちゃんのお母さん、すごい美人じゃない」って異議申し立て。
「ううん、美人じゃない」
って、言い張る美人判定士男子。
「お母さんは?」
って、お母さんがじぶんのこと聞いたら、
「お母さんは美人」
って、こたえたから、
「●●ちゃんのお母さんのほうがお母さんよりすごい美人だよ」
って、お母さんが言って。
そしたら、その男の子。
「お母さんと○○ちゃんのお母さんはクッキー作れるから美人。●●ちゃんのお母さんはクッキー作ってくれないから、美人じゃないの」
って説明してた。

オトコを落とすなら美貌じゃないよ!手料理だよ!

って、わたし、すごい感心した。
男は肉じゃがで落ちる、って都市伝説はほんとなのかも。



まえに、ウソっこ交換書簡ブログつくって。
たのしかったけど、ぜんぜんつづかなかった。(熱しやすくて冷めやすい系)

それでまた、ぜんぜんつづかない気がするけど、ウソっこブログつくった。
こんどはあたまがかわいそうな詩人のふりした、ウソウソな日記。
意味のないデタラメをだらだら書くのも、たのしい。
いろいろ書いてることには、実はいろいろ元ネタがあったりします。

ここです⇒ ('_')

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じゃあのー。





posted by ぴの at 19:16| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする