2017年01月20日

真冬の読書

ブログを書いてるヒマがぜんぜんなかった。
といいつつ、また「もひとつブログ」つくったんだけど、そっちもぜんぜん書けてない。

やりたいこと、がいろいろあっても、ちゃんとそれをやれてない。
もともとそういうことに無能感が溢れてたわたしだけど、益々無能なかんじがすごくなってる気がする。

きょうは雪、って予報だったけど、未明の気温は氷点下になってなくて。
さいきんは氷点下になってないと「あったかい」ってかんじる。
真冬はだいたいそんなかんじで、氷点下の数字がおおきくなる時期がすごい好き。

目に見える虫がうろつかない冬は、夜、ベッドのとこのライトだけ点けて読書ができるから好き。
夏は暗闇に灯りがここだけ、って環境つくると、すぐに灯りのとこに虫が集まるからイヤなの。

ポメラサイズのぱそこんがあればいいのに、とおもう。
スマホとノートパソコンの中間ぐらいで、ちゃんとキーボードがあるの。
ノートパソコンは、持ち歩きにいろいろ気をつかいそうな気がするし、タブレットも画面が傷つかないようなバッグとかが必要なかんじがするし。
(どっちも持ってないから想像だけ)

でも、ポメラってキーボードも画面も内側に折りたためて、厚みはあるけどごろっとした本体はそのままバッグに無造作に放り込んでおける気楽さがある。
キーボードひろげてもそんなに大きくないし、画面がノートパソコンよりちいさいから、どこかのお店でつかってても人に覗かれにくいし。

お店でお仕事とかしてる人。
横を通る人から画面丸見えなの、なんでぜんぜん気にならないんだろ、って、いつもフシギ。

ものすごいいろいろ活躍してるライターさんと仲よくしてもらってるんだけど。
その人はいろいろ試して、いまは結局、アナログになってる、って言ってた。
ちいさい原稿用紙を持ち歩いて、出先ではそれにいろいろ書いちゃうんだって。
ベッドに入ってからも、おもいついた文章をすぐにそのまま書けるから、意外にベンリ、って。

それでわたしも真似して、ちいさい原稿用紙を持ち歩くようになった。



ちゃんと感想を書こうとおもうと、ちゃんと書くヒマがなくて、書かないままになっちゃうから。
読書メモ的に、ブクログに登録した「読んだ本」の話を雑に。

夢を与える (河出文庫) -
夢を与える (河出文庫) -

これ読んだ。
綿矢りささんは、いろいろ読みたいとおもってて、でもちゃんと読んだのはこれがはじめてかも。

だから、わたしはデビュー作の文体なんてぜんぜんわかってないから、アマゾンであんまり評価の高くないレビューをいろいろ読んでもピンとこないのがおおかった。

この小説しか知らないわたしは、そんなに文章が上手な人じゃないなー、とはおもった。
でも、文体をかえる試みをしてた時期のものだったみたいだから、まだ試行錯誤中、ってことなら納得。
その前後の作品も読んでみたくなる。

文章の魅力はそんなにかんじなかったけど、わたし、この小説は好き。
内容がものすごいよかった。
ちょうどわたしは「芸能界にはいったばかり」の人を身近で知ってたタイミングだったし。
書くお仕事関係のいろんなパーティとか飲み会とかでも、「芸能界」にいる人と知り合うこともあったし。

フランス人と日本人のハーフの父親と日本人の母親をもった夕子。
生まれた時から容姿に恵まれてたから、周りからの勧めもあって、夕子の母親は娘をモデルにする。
赤ちゃんのときから母親が勝手に描いた人生を歩まされた夕子。
容姿にすごい魅力があったから、特にガツガツしなくても、幸運のように「いい仕事」が舞い込んできて、そのまま売れっこになっていく。

あたりまえのように受けるインタビューの受けこたえも、夕子は事務所の指導もあって慣れていく。
将来はみんなに夢を与える女優になりたい。
そんなテンプレなコトバをさらさらと口にできるようになるけど、夕子には「夢を与える」っていう意味がわからなくて。

事務所がつけてくれたマネージャーは、輝いてる夕子を見て、じぶんも輝きたいな、ってファンがおもうことだよ、っておしえる。
いろんな職業を演じることで、その職に憧れる、とか。

でも、夕子は、なにかきたならしいコトバにもおもえて。
上から、の、思いあがったような、きたならしさ。

そんな夕子が、親も事務所も反対する無名のダンサーのオトコに恋して、つきあうようになって、そのせいでじぶんが築いてきたなにもかもをダメにして失墜してしまったとき。
「夢を与える」っていうのはどういうものか、って、やっとわかる。

その「夢を与える」という意味は、いまさら小説に書かれなくてもいいぐらいにありきたりで、だいたいの人はフツーにわかるものなんだけど。
生まれた時から親の意向のままに芸能界で生きてきた夕子が、はじめてじぶんの「意思」をもったら、そのせいでじぶんのいままでのすべてを壊してしまった、っていう残酷な経験をしてやっと「真理」を知る、っていうストーリーが切なかった。

芸能界と無縁で、外からそういう業界を眺めてる「傍観者(ファンとか、テレビの視聴者とか)」なら、芸能界で売れてる人が業界でどういう価値をつけられてるか、ってわかるよね。
努力したから、ってかならずそれが報われるわけでもない。
どんなに演技力や歌唱力をつけても、生まれついた容姿に左右されてしまうものもおおきいし。
この小説でも、芸能界では女性は若いうちにしか価値がないような話もでてくる。

じぶんでじぶんの価値をつくれない。
人から望まれた「じぶん」から外れると、価値を失ってしまう。

ラストは救いがない。
じぶんの「恋」がとんでもないスキャンダルになって、すべてを失ってしまう夕子は。
痛手を負ってかしこくなってカンタンに笑わなくなった女の子なんてだれもテレビでみたいとおもわない、ってコトバで斬られてしまう。

どんなに痛い目に遭っても、バカなままの女の子ならまだつかえる、っていう価値観。

かしこくなったなら、芸能界から飛び出してしまえばいいのに。
でも、夕子が飛び出すべきとこは、「芸能界」じゃないよね。
母親。
母親を捨ててしまわないと、夕子は一生、じぶんが殺されたままでいるとおもう。
生まれた時から、っていうか、生まれるまえから、夕子は母親の人生のための小道具でしかなかったんだから。
夕子の父親をつかまえるための妊娠。
夕子の母親はそうやって、じぶんから離れていこうとするオトコをつかまえて、生んだ子どもでじぶんの夢ゴッコを実現する。

これは芸能界の話、というより、毒親の話。
ひとりのジコチューなオンナが、オトコとムスメの人生をじぶんの欲を満たすために台無しにした、っていう話。

だよねー。

この小説。
ドラマになってるんだねー。

連続ドラマW 夢を与える [DVD] -
連続ドラマW 夢を与える [DVD] -

原作の夕子と小松菜奈さんは、ぜんぜんイメージがちがう、ってわたしはおもう。
『乾き』っていう映画も、原作の娘と映画で娘役やった小松菜奈さんはぜんぜんイメージちがいすぎるし。

でも、「ぜんぜんちがう」っていう役にいつも選ばれてしまう小松菜奈さんは、ものすごいフシギな魅力がある女優さんなんだとおもう。
わたしはまだ演じてる小松菜奈さんは見たことないけど、いろいろ雑誌とかで見る小松菜奈さんにものすごい魅力かんじちゃうもん。

ドラマも見てみたいなー。



まだほかにも読んだ本がいろいろあるけど、これだけ書いたら時間切れ。
つづきはまたのー。
じゃあのー。






いろいろLil Wayne聞いてると、なんか無性にこのMVのLil Wayneが見たくなっちゃう。



posted by ぴの at 19:30| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

寝るまえのたわごと

「愛」に飢えてる人はおおいなー、っておもう。

その「おおさ」の根拠はない。
ただのわたしの感覚。

人をすぐに愛し、人から愛されたがる。
そんな感覚をフツーにいだいてる人のほうが、「じぶんの出会う他人」にはおおい。

恋人がいない人は、恋人をもちたい願望があったり。
恋をすることに、たのしさをかんじたり。

人はひとりでは生きていけない、と、そんなコトバは少しもネガティヴなものではなくて、反対にポジティヴな希望、みたいに吐かれる。

飢える、というコトバはあまりイメージよくないね。
欲する、というコトバのほうがいいかな。

なんてかんがえるけど、どんなコトバをつかうかなんて、関係なくて。

愛を必要とする人。
親の愛。
友だちの愛。
恋人の愛。

愛を必要とする、のは、愛されたい、に等しい。
愛するだけでは、さみしい。

そういう感覚がわたしにはわからないから、わたしは人を愛することができないんだとおもう。

愛されたいという願いもない。
かけらも。

恋愛映画や恋愛小説をいろいろ見たり読んだりする。
いろいろ感情を移入したりするけど、でも、ときどき、そういう「恋愛」ジャンルのものを受けつけなくなる。

ケーキみたい。
たまに食べたくなるけど、ぜんぜん食べたくないときがだいたいで、食べたいときでもたくさんは食べれない。
あまいものは、「ときどき」「ほんの少し」しかじぶんのカラダが受けつけない。

ときどき人の恋愛の物語を見て、恋愛のあまったるい雰囲気をたのしむけど、それに浸りきれない。
とくに恋のあまさには、わたし自身、少しも飢えがないから、じぶんがそうなりたい妄想もたのしめない。

友情とか家族愛のおかげで人生がはっぴーになる、なんていう物語は、じぶんの世界とはまるで関係ない宇宙戦争のSFとおなじ。
じぶんはひとりじゃないんだ、ってしあわせになる主人公は、わたしにとっては、エイリアンとの戦いでギリギリ生き延びれた主人公の安堵みたいなもので、なにかめんどくさい物語を覗いてしまった疲労感もある。

手をつないでるカップルをいろいろよく見かける。
好きな人と手をつなぐ。
その幸福感が、わたしにはピンとこない。

あるくときはだれのカラダにも触れないであるいていたいし、ベタベタしてしまうときは、そのときだけの「刹那」の接触でいいし。

恋人と暮らしてる小説をときどき読む。
どうしてそんな暮らしに息が詰まんないんだろ、って、わたしはいつもフシギになる。

まいにち、だれかがいるベッドで寝起きなんてしたくない。
わたしにはできない。
たまに、えっちするときだけ、とか、そんな暫定的なものだから、おなじベッドにはいることはできるけど。
それが日常になる、なんて、わたしにはムリ。

人を好きになる、っていうのは、その人と日常の舞台をおなじくすることに、なんの苦もなくなること、なのかな。
わたしの家の玄関の中には、わたしはだれにも入ってきてほしくない。
玄関の中に引き入れることができるようになったら、わたしはその人に「恋してる」ってことになるのかな。

恋、みたいなのはいままでもしたことはあるけど。
でも、そのどの人も、わたしはじぶんの部屋にいれたい、とおもったことはなかった。

人を好きになっても。
その人からも、わたしの部屋、は守りたい。

人を愛する、というのは、こころの中に他人を招待すること。
他人の中にも、じぶんがはいりこみたい、ってこと。

そういうことが、じぶんの「願望」とはならない。
だから、わたしは、人を愛さないし、人から愛されたいとも願わない。

恋する必要をかんじない人、と、知り合ってみたいとおもう。
人に恋する人、に、飽きてしまったのかもしれない。



posted by ぴの at 02:57| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

「ことし」って入力すると「2017年」「平成29年」ってちゃんと出た

金曜ぐらいにブログ書こうとおもったけど。

【誤】リア充すぎてぜんぜんブログが書けなかった。
【正】ぱそこんのまえがいろいろモノで埋まってて座れなかった。

年末進行の勢いついでに1月に書く分の原稿も送っちゃったから、毎日ぱそこんつかわなくてもヘーキ。
っていうかんじだったから、部屋のいろいろな片づけをしてて(渋々はじめた)、ぜんぜん片付かないものはどんどんぱそこんの椅子に積み上げてってた。
そしたら、椅子に座るまでの片づけがタイヘンになったから、座らないまま生きてた。

でも。
【誤】そろそろメールチェックぐらいするかなー、って、椅子の上を片づけた。
【正】何日もメールチェックしないのがだんだんやばくなってきたから、しょうがないので、椅子の上のモノをぽんぽんほかの場所に移した。

いま、「ぱそこんのまえ」は、きれい。



ゲストトーク的なラジオ番組では、だいたいゲストに「ことしの抱負」みたいなのを尋ねてて、そのこたえをいろいろ聞いた。

ことしのわたしは、やるべきことをあとまわしにしない、っていうのをかんがえたけど。
しょっぱなから、お正月休み中にやるつもりの片づけを「あとまわし」にしたから、三日坊主にもならなかった。
去年、スケジュールを書く手帳とはべつに、やるべきことをいろいろ並べて書けるようにTo Do List用のちいさな手帳も買った。

おととしの暮れぐらいに、有能な人はTo Do Listなんてつかわない、っていう記事をブログで取り上げたら、わたしがときどきお話する超一流な仕事をしてる超有能な方が、じぶんもつかわない、っおしえてくれた。
ぜんぶカレンダーに書く、って。

やっぱりそうなんだー、って、仕事ができる人の仕事の仕方って、いろいろ知るのがたのしい。

それで、To Do Listについて「来年」ブログに書こうかな、ってわたしは返して。

その会話したのが2015年の暮れだから、そのときの「来年」は2016年。
わたしは2016年中に、とうとうTo Do Listについてのことはブログに書かないままだった。

本の感想とかも、「あとでブログに書く」っていう書く書く詐欺をたーくさん繰りかえした年だったよねー、去年は。

わたしはぜんぜん有能な成功者にはなる気配もないので、いまもTo Do Listの必要性をかんじる。

まず、ことしのわたしが「手帳」に望んだ機能は。
スケジュールを書く手帳のカレンダーは月間で充分。
月間タイプの1日のコマの中に「予定」と「実際にやったこと」を色分けして書く。

スケジュールページのうしろには、ただの罫線のページが20ページぐらいほしくて。
この罫線のページをまず1か月1ページで12か月分インデックスつけて、ここには雑にお金の出し入れを書く。
これはあとでちゃんと「帳簿」に整理して書いたりするメモ代わり。
あとのページは、「税金」とか「車」とか「医療」とか項目に分けて、その年いちねんの記録をつけておく。

とりあえず持ち歩く手帳ひとつで、じぶんのことしの記録、は雑にぜんぶ書きこめるようにしておく。
そしたら、出先で時間潰す必要ができたときとかに、手帳にいろいろ書けるから。

デザインは、ビニールのカバーがついてるタイプのもの、がぜったい。
表紙の内側のカバーのとこに、いろいろ紙を挟みこんだりする。
ずっとまえにつかった手帳に、薄いアドレス帳がついてたから、それに「ケータイのアドレス登録が読み取れない場合に必要な連絡先」をテキトーに書きだして、毎年あたらしい手帳に挟みこんでつかいまわしてる。

To Do Listの手帳も月間タイプ。
これは、欄外に「その月にやらなくちゃいけないこと」をずらずら並べて書いて。
1日ごとのコマには、その日にやるべきことを書く。

スケジュールの手帳にはほんとにだいじな予定を書くけど、こっちのリストの手帳に書くのは日常のこまかい予定。
あしたはなんのゴミをまとめて捨てる、とか。
スケジュール帳のほうには「買い物・ドラッグストア」とか書くだけで、リストの手帳には、なにをどこで買う、とか、買い物にまわる順番を書いたり。
レンタルDVDを返す、とか、記念切手を買っておく、とか、洗車する、とか。

メモで済む内容だけど、メモだとそのメモの紙片をどこにいれたかすぐにわすれちゃうし、それをみるのもわすれちゃうあたまなので、手帳にまとめた、っていうかんじでリストつくってる。

時間単位のスケジュールはわたしには不要。
こまかく時間をきめちゃうと、ひとつでもその通りにならなくなったとき、わたしのあたまには混乱が生じるから、「やること」と「やる流れ」を雑に決めて、あとはそのときのじぶんのあたまの速度に任せたほうが精神的にラク。

手帳類にデジタルをつかわないのは、電源がないとまったくつかえない、っていうことに、ものすごい不便さをかんじてるから。
それをかんじないでつかいこなせてる人たちのほうがおおいのもわかってるけど、わたしは、インターネットとかケータイの機能とか、「それがなくてもなんとかなる」暮らし方してるねー。
書くお仕事だって、いざとなれば原稿用紙に書いて郵送すればいいんだし。

基本「びんぼー」だから、お金のかかるもの、に、じぶんの日常のだいじなものをすべて依存する勇気がない。
ケータイがこわれたとき、すぐに修理出せないかもしれないし、ぱそこんもすぐに買いかえれないかもしれないし、それでもこまらない心掛けで生きてる。

いろんなものが、いざ、それがなくなっちゃっても、なんとかなる、ってレベルを維持して生きてると、お金がないときの恐怖は薄れるし、ものすごい切りつめた超絶びんぼー暮らしするしかなくなっても「不便さ」をかんじるのが少なくて済む。

稼ぐ能力が著しく低い人(わたし)は、お金がちょっとあるときでも、「ものすごい最低限の生活レベルでも気楽に暮らしていける感覚」を手放さないのが、ストレスの少ない生き方のコツ。

To Do Listから話が逸れてる。



ことしの抱負みたいなもの。

やたら愛想をふりまくのは、やめようとおもう。
対人関係で、じぶんの印象をよくする基本は「笑顔」っておもってたけど。
「印象をよくする」ことの必要性をかんじなくなった。

不愛想で、とっつきにくくて、人づきあいがまともにできない。
っていう印象をまわりに持たれることに、ためらわない。
わたしの本質は、そう、なんだから。
ムリして、愛想がよくて、フレンドリーで、(愛想とフレンドリーっておなじ意味?)、人づきあいが常識的、みたいなふりは一切やめちゃう。

それでこうむる不利益は、かんがえたらわたしの場合、たいしたことないし、「いい人」のふりして得る利益、なんて惜しむほどでもない。

書くお仕事関係で知り合ったある30代の女の人は、ふだんぜんぜん愛想がない。
人ギライというより男ギライなので、男性にはとくに滅多に笑顔をみせないし、話すときは口調が凄まじく冷淡。
同性にもぜんぜんフレンドリーじゃない。
よほど親しい人とは、笑顔で話してたりするのを見るけど、そんなのはごく僅かな人にだけで、だいたいは笑顔はかんぜんにない冷めた口調で会話する。
挨拶はきちんとしてるけど、必要以上の雑談に沸かないし、社交辞令も一切言わない。

でもね。
この人、だれからも嫌われてないの。
初対面だと男だけじゃなくて同性に対してもものすごい冷淡な口調で話すから、さいしょはとまどうけど。

でも、その人を知る「みんな」は、「あの人はクールだからねー」って「個性」として好意的にとらえてる。

わたし、その人と会うたびに、その人のムダに愛想をふりむかない基本冷淡な対応に憧れちゃって、わたしもこうなりたい、っておもうようになった。

「不愛想にしててもきらわれない人」になりたいわけじゃない。
「不愛想な人(じぶんにフレンドリーではない人)にいちいち反発する態度に出る人」のおおい人間関係にじぶんを置かないようにしよう、とおもう。

だから、無闇に愛想をふりまかなくても済む範囲、で生きる。



年末年始は、新年の抱負だけじゃなくて、去年のできごと、をいろいろ思い返す時期だけど。

去年、わたしにとってひとつの節目にもなったことがある。

プライベートでもいろいろあったけど、ネット上、で、ひとつ。

去年のある日とつぜんわたしは、ナントカ上のカノジョ(ちゃんと書かないのは検索除け)、っていうのを解任されてるのに気づいた。
これは、あるときとつぜん、わたしになんのひとこともなく、そういうものに任命されたもの。
それから、そういう関係、がネット上でつづいて、でも、終わる時もわたしにはなんのひとこともなく、わたしも気づいてない「いつのまに」、切られてた。
いつまでもそのままだとはおもってなかったけど、終わる時も、それを知らされなくて、しばらくはわたしだけその遊びの固定ツイートを出したままの恥ずかしいかんじになってた。

とても親密な関係性の名称だったけど、それをはじめた相手にとって、「わたし」というリアルな人格はまったく必要じゃなかったみたい。
ネット上の「わたし」の人格すら必要じゃなくて、わたしのIDだけがその遊びのアイテムだった、というだけ。

だから、わたしの意思はまったく関係なく、その遊びはスタートして、終わって。
この遊びに「わたし本人」はほんとになにもかも「無関係」だったことを、さいごにやっと理解した。
いっしょに遊んでたつもりだったから、じぶんがものすごい恥ずかしかった。

さいしょにやってたブログのIDがとつぜんある日、たくさんの人たちに注目されるようになって、友好的非友好的、いろんな「人からの関心」を寄せられるようになった。
有名税というコトバをつかうにはおこがましいかもしれないけど、わたしは、有名税ってこういうかんじのものなのかなー、とかんじてた。

わたしの人格とか意思とかは関係ないとこで、わたしのIDがいろいろ取り沙汰される。
わたしというニンゲンと繋がるわけではなくて、IDと繋がろうとする人たちもいる。
なんどもなんどもブログの記事にわたしのIDを混ぜ込んでる「わたしの知らないブロガー」もいた。
あの頃、わたしのID入れると、アクセスが増えたんだって。(そこにはそう書かかれてた)
わたしのIDは、そういう「一過性」のヘンな力をもった時期がたしかにあったとおもう。

わたし自身はそれがイヤだったから、そのIDから逃げて、どんどんID変えて、ひたすらひっそりネットに棲息してる。

わたしにも、ネットで親しくなりたい人、はいた。
そういう人たちとの出会いもあった。
憧れた人、もいる。

ナントカの関係の遊びの相手も、わたしには「どこかのブロガー」ではなくて、「好きなブロガー」だった。
「大」がつくぐらい。
大好きなブロガーさん、だった。
だから、とつぜんそんな遊びの相手に任命されて、わたしはうれしくて、いっしょに遊んでたつもりだった。

でも、その遊びが終わった時、わたしという個人はその遊びにはなんにも必要がなかったのだと、思い知った。

はてなで、わたしのあのIDの当時の勢いを知る人はもうほとんどいないとおもう。
いまのわたしは、ネット上のどこでもほかの人たちの話題にはならない。
わたしもいまのはてなの人たち、いろいろ知らない人ばかりになってる。

そういう「人からぜんぜん関心を持たれない」位置に、いま、じぶんはいる。
去年、ナントカの遊びが終わった時点で、そういう目立った時期の名残がすべて消滅した。

これからはもう、わたしのIDはどんな人にも価値のないものとなって、わたしはなんにも傷つかずに済む。
わたしはこれからの人生、どんな場所でも、なにをしていても、もう二度と、目立つことはしたくない。

わたしを直接知る「ちょっとの人」たちとのちいさい係わりの中で、そっと無価値な棲息をつづけるだけ。
人にとって無価値でいることは、他人から自由でいれる。

ネット上で無価値でいる、というのは、じぶんをなんにも傷めない。
あの頃のじぶんに寄せられたいろんな関心は、なにもかもわたしには分不相応すぎた。



ブクログをぜんぜんちゃんと記録してない。
ことしはちゃんと記録したい。(これも抱負)

お正月読書。

夢を与える (河出文庫) -
夢を与える (河出文庫) -


ローズマリーの赤ちゃん (ハヤカワ文庫 NV 6) -
ローズマリーの赤ちゃん (ハヤカワ文庫 NV 6) -

これ読んだ。
あとでブログに書く。(2017年初書く書く詐欺)



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posted by ぴの at 15:23| オーランド ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする